プルトギニユンと怪物

海溝はふかく、複雑に入り組んでいた。一方では地底マグマのほうへと地下深く削りそびえ、一方では、海を突き破って空を目指して岩礁の先端部が突き出しになっている。
その、突き出た部分は、海と陸をある程度は行き来できる生物たちの憩いの場になっていた。

プルトギニユンもそのうちの一匹で、びしょ濡れのヒレや全身を岩に乗せて、ひなたぼっこを楽しんでいた。
太陽の陽差しは心地よく真っ平らな海へと注ぐ。波はおだやか。ざざん、ざざんと海と海がぶつかっては崩れる音が、プルトギニユンの鼓膜にも心地よい。プルトギニユンは空を見上げて、めずらしい、うすい水色とピンクのグラデーションの空を楽しんだ。仲間たちの間では、珊瑚の時間と呼ばれる、朝日の出現時刻であった。

「あら」

怪訝に声を漏らした。
珊瑚の時間が終わり、日の出がはじまって、太陽が白くなる。空が珊瑚のピンク色を忘れてすっかりと青く染まりゆく。
そんななかを、ばっさばっさ、なんらかの物体が飛行している。それは、意外に速く飛んでいて、プルトギニユンがまじまじと眺めている間に彼女の目と鼻の先までやってきた。

「おはよう。お嬢さん。ボクは、いえ俺は、あるいは私は、あなたに。まずはボクの話をしてもよろしいですか」
「どうぞ?」
プルトギニユンは、小首をナナメに寄せて、微笑んだ。
「ボクはある船の乗組員でした。でも、航行中に、この海域であなたを目にしてから、あなたを忘れられません。あなたが好きなんです。ひとめであなたのすべてが好きになった。どうかボクをそばに置いて下さい」
「あら? まあ」
「俺の話も聞いてくれ」
「はい」
「俺はずうーっっと空を飛んでた。島から島をわたる、渡り鳥だった。でもある夜にあんたがきらきらと月明かりの下で泳いでるのを見かけて、あんたになりたいと思ったんだ。あんたは美しい。どうか、俺のことも見てほしいんだ、あんたに」
「あたしに?」
「私の話もいいですか?」
「どうぞどうぞ」
「私は、カジキマグロでした。海を常に突進して泳ぐことが生き甲斐です。そのほかの生き方は知りません。ですが、あなたを知りました。あなたがこの岩礁でよく休んでいるのを見かけました。あなたのそばで、ゆっくりと、腰を落ち着けてあなたを感じていたいのです。どうか、あなたのそばで、私を許してもらえませんか、あなたは安らぎの姿をおもちだ」
「まあ」

プルトギニユンは、あらためて、じいっとそれを眺める。人間のようなうすっぺらい胴体に、黒い羽がつきはぎしてあって、鳩のような胸毛がふっさりと生えている。それでいて、マグロとそっくりな鋭い尻尾が腰元にあって、どうやらヒレになっているようだ。泳ぐのはきっと上手だろう。
そして、この妙な生きものは空を飛んできた。プルトギニユンは、微笑んだまま、「どうして?」と尋ねた。
「人間とも、渡り鳥とも、カジキマグロとも違う姿をしているの?」

「「「それは」」」

「「「改造してもらえたからです」」」

声が三つ、重なった。

聞けば、人間のとある学者は「きめら」なんてものを研究していて、生物の改造を専門にしているとか。噂を聞いた彼らは学者のもとにいき、1人、1羽、1匹が揃ったところで、学者が手を叩いたという。わかったぞう、きみたちをつなぎ合わせよう!!
縫って縫われて神経を繋がれて、1人は頭が残されて、1話は羽が残されて、1匹は尾ひれが残された。あとの部分はごちゃ混ぜのぐちゃぐちゃだ。とりあえず生命保持ができればいい、との方針で合体手術が敢行された。

プルトギニユンは、話を聞いているうちに、ますます微笑を深くした。
「まあ、まあ。そんなに、あたしを? ありがとう。いいわ、ぜひ、お友達になって。あたしとずっと一緒にいて!」
「美しいお方、海にもこの憩いの岩部にも、どこまでもお供します」
「ありがとう」
晴れやかに笑う、プルトギニユン。

彼女の前にいるそれは、いわゆる『怪物』でしかなかった。
しかし、彼女もまた、人頭に人肉に魚の下半身を持った、この世の異端を集めたような怪物のうちの一匹である。人間にしても渡り鳥にしてもカジキマグロにしても、本来は恐ろしい怪物でしかないはずの彼女であるが、しかし、彼らにとっての彼女はちがう。彼らはプルトギニユンに恋をした。

プルトギニユンは人魚であるから、怪物らしくなにも気にせず、新たな怪物を受け入れて、彼を隣に座らせてあれやこれやと話しかけた。
あはは、きゃっきゃ、甲高い笑い声がおだやかな海面をすり抜ける。


END.

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