予約待ちの大人気ヴァンパイア
そんなに死にたいか? 吸血鬼退治を専門とする、すくなくとも祖先はそれ専門だった一族の末裔であるエーコ・ヴァルシングは思う。
祖先の血がためか、エーコがようやっと予約まんぱいのその男と遭えたとき、彼は、その赤眼を横に寝かせてひろげた。キツネ目のように細めて、にこっとした笑顔だった。
「やぁ。飛び込みはお断りしているんだけどね。ぼく」
「吸血鬼ニルネルね?」
「やめてください!!」
エーコが尾行した女が、絶叫した。新宿歌舞伎町、深夜三時。神社方面にいたる裏道の途中で、道幅がせまいため、彼女が立ちはだかった両手を広げると黒衣のニルネルがほぼ覆い隠された。
上背があるから、頭2個ほど突き出ているが、それにしたって小綺麗な顔立ちにきちんとすいてとかしてある黒髪だ。吸血鬼は、清潔感があって、現代なら大学生の院生でもやっていそうな優良児に見えた。
半面、彼をかばう女は、目の下にクマがあってどこかしなびたスーツを着ていて、髪と眉がぼさぼさだ。ツヤがなく、生気もない。虚ろな目をして、しかし今は必死になってエーコに叫んだ。
「やっと取れた予約なんですから!! 邪魔しないで!!」
ようやっと取れたイタリアンの予約を守るように、女は死の闇を庇う。
「吸血されて、殺されるんですけど? アナタは」
「それがなんだっていうんですか。世界でいちばん、最高のやさしさときもちよさで死ねるんならもうそれでいいんだよ。邪魔するな!」
「だ、そうだよ?」
ニルネルが、にやにやする。腕をつがえて、面白そうにエーコ・ヘルシングを、現代に生きる吸血鬼退治屋の末裔を観察していった。
エーコも、普段は派遣社員として働き、ときには残業までさせられる。しがないOLをやっている。吸血鬼がすくなくなった昨今、実家のちからは弱まって、しかし退治屋の職務があるので正社員にはなれずに、エーコはこれからもずっと派遣社員として、それがだめならバイトとして、低賃金の暮らしをせねばならない。そんな事情までもが、ニルネルにはお見通しのようだ。エーコの着ている服を見て、古式のハンマーと巨大な釘を手に構えてる彼女の姿に、苦笑しながら味わい深そうな慈悲の笑みをこぼす。
「ヘルシングのお嬢さん、時代はとっくにぼくの味方になったんだよ。わかっているだろう? 現代は、安楽死が必要なのさ」
「――だからって吸血鬼に殺されるだなんて、馬鹿げてる」
「どこがですか!!」
ヘルシング家と吸血鬼の因縁など、日々の暮らしが大変な、一介の限界派遣社員にはどうでもよいようだ。犠牲者であるはずの女が目を血走らせてエーコに怒り狂った。
「アタシは!! きもちよく楽に、死にたいの!! もういやなのぜんぶぜんぶ!! 放っといてよ!! 吸血鬼の予約とるのがどれだけ大変だったかわかる!? 半年も順番待ちしたのよ!?」
「そんな苦労も今日までだよ」
「あっ」
うしろから、青春映画の一場面のようにして、ニルネルが女を抱きしめた。絹に触れる手つきで女のぼさぼさした髪をすき、愛おしげに、にきびや吹き出物で荒れた素肌をなでた。
にっこりとして、ニルネルは勝利をエーコに宣言する。
「ヘルシング家の現当主。こちら、ヴァンパイアは、いまや大人気の予約殺到順番待ちなのさ。いちばん楽にきもちよく死ねるサービスは老若男女問わず、望まれているのさ。時代は変わったんだよ」
うっとりとして、闇に抱かれてずぶりとニルネルの黒衣に吸われる女。これから運搬されて、どこかのビルの谷間でじっくりと血を吸われるのだ。殺されるのだ。しかし女は恍惚と両目をゆがめてうすら笑う。エーコに向けた、あざけりだった。
「ああ……、やっと、楽に、なれる」
「ま、待って! そんなのダメでしょう!?」
「時代についてけてないな。ヘルシング。むしろ、お望みなら、ぼくだって君を優しく殺めてあげるよ?」
「あたしはあんたを退治しにきたのよ!!」
憔悴した悲鳴が、歌舞伎町に響き渡る。夜はもはや静まり、路地裏には闇しか残らず、吸血鬼は女を掻っ攫っていってコウモリとして羽ばたき、いずこかへと飛んだ。エーコは呆然とコウモリを見送った。
なんで吸血鬼の時代になってるの? 今更。なんでこんな時代になったの? あたしの代で。
そう、思えてしまい、名門ヘルシング家の末裔がこんな屈辱に身をやつしてしまう世の中であるのだから、それが答えと肌が実感する。怖気がしてエーコはしばし世間の壁を前に立ちすくんだ。祖先から受け継がれてきた、ハンマーと釘が、だらりと虚空に垂れさがる。
ともかく今宵、予約待ちの吸血鬼には、逃げられた。
END.
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