海が太古の好奇心
今よりも海は濃く、どろりとして海水は緑色をしていた。それは人間たちが生まれる前の話で、世界は後の恐竜と呼ばれる複雑巨大な生物が闊歩していた頃である。はたして、その時代の海は、超巨大・巨大・特大の魔獣が当たり前に存在する魔窟であった。その巨大ぶりは地上の生命とは比べものにならない。体重という枷が外れた海の生きものたちは、人間社会のビル建築のような巨体をあますことなく成長させ、海を泳ぎまわっていた。
さて、人魚という生きものは長寿である。もちろん、彼らは人が人間になる前から存在していた。恐竜時代にも人魚はいたし、その前時代にもいたし、そもそもカンブリアン期から由来を持ってきている。
人魚たちは雑食だ。どの時代でもなんでも食べた。人間の祖先となる猿人類だって溺れていれば食べた。人魚たちにすれば、あのときぐらいが、海がにぎやかでちょうどよかったよねー、という話だ。
「アタシたちも命懸けでさ。喰うか喰われるか、命懸けの毎日だった」
「恐竜ども、あれはやばかった。巨大すぎてうちなんか目の玉とおなじサイズなんだから。たまんないよ、殺されそうになった」
「ていうか、食われたよね」
人魚というものは特殊な生きもので、不老不死という特性がある。食われて引き千切られようが、そこから再生しなおせるだけの胆力がある。アメーバか単細胞生物と、実は原理がそっくりなのだ。
あの時代を知っている、特に長生きの人魚などは「やばい」「やばい」とくちぐちに言うが、まだ若い人魚などはピンとこなかった。この海に、そんな超巨大、絶望的なまでにおおきな支配者がいたとは、信じられなかった。
「シロナガスクジラよりもおおきいの? お母様」
「もっと、もっともっともっとだよ」
「へえ」
また、新たに生まれた人魚が一匹、昔話を聞かされる。
その頃、地上では人間が好き勝手に増殖して、科学なんて法則を発達させていた。いよいよタイムトラベルができるようになるらしい。人魚は一匹、その時間逆行装置にひときわの興味を抱いた。恐竜時代にとべないものかしら? というふうに。
「やめときなさい。食われるわよ」
「今とは、比較にならない時代だったんだから」
「でもそういわれると興味がでてしまいますわ。お母様、お祖父様」
海辺に建造された、とある科学研究所に熱い視線を送る人魚は、やがては親族の目を盗んで人間の研究施設へと潜り込んだ。
ところが、時代の洗礼を浴びる前に、
「おい。人魚だ!!」
彼女は、人間の洗礼を浴びた。人魚の肉は不老不死の霊薬であると彼らのあいだで信仰されているのである。科学研究所に忍び込んだ、尾びれのある人間っぽいものはすぐさま捕獲されて、水槽へと放り込まれた。彼女がどんなに人間の声のまねをしても、人間たちは彼女を解放しなかった。少しずつ彼女を切って刻んでは人魚を食べようとした。
人魚は不老不死であるが、別に、食べてもなんともならない。そんなことはデボン期からわかっていることだ。しかし恐竜にも人間にもそんなことは、それぞれの事情によってどうでもよく、人魚はやっぱり食べる対象だった。
水槽に閉じ込められながら、少しずつ毎日食べられる彼女の最後の望みは、とっとと人間が絶滅してくれることだけだ。核戦争でもなんでもはじめりゃいいのに、と、毎日念じながら、過ごすことになった。
不老長寿の怪物でさえ、好奇心には敗北する。
END.