出逢えば人魚姫は死ぬ

「私こそ、人魚を食べたひとにはじめて会いました!」

はしゃいでミツコが前のめりにテーブルに迫った。アイスコーヒーが2杯、彼女たちのあいだを取り持っている。

「こうしてニオイでわかるなんて……。意外だわ。寿命だけじゃなくて根本的に生き物の在り方がきっと変わるのね。人魚を食べたら」

「今まで、私は150年ほど生きてきましたけど、初めてのひとですよ、イワさん」

「300年ぐらいかしら、あたしは。あたしはどうかねぇ……。人間じゃないものなら見たけも、でももしかしたら、そのなかに人魚のニオイもあったかもしんないわねぇ」

「人間じゃない? あ、悪魔ですか?」

「やだ、わっちの時代よぉ。妖怪よ、あやかしよ。今はもう山にこもったみたいだけんどね。ええっと……、ミツコさん」

「はい、イワさんはもう大先輩すぎて、私からしたら妖怪みたいですよ」

「うふ。そう? でね、ミツコさん。気になることがあるのよね」

「…………」

ミツコがふいに瞳からみずみずしい生気を消失させた。能面被りの顔になる。薄い唇も閉ざされて口角が両端で水平線を保った。

ミツコには秘密がある。半身人間、半身魚のなんらかの怪異を食べて今まで外見変わらず生きていたミツコであるが、秘密はそれ以上に語られざるべきものだ。しかし、ミツコとおんなじ匂いのする女、イワはためらわず、禁忌を口にした。

クラシックミュージックがかかる、午後の穏やかな喫茶店に、クラシックな魂をもつ女たちは密談する。

イワはそれまでと変わらず、うすく、たおやかに微笑んでいた。

「ミツコさんは、人魚を食べてから、どのくらい人間のほうは食べられたの?」

「…………」

ミツコがかんもくする。唇を閉ざし、生気の失われた目でイワを凝視した。イワはふふっと尼僧ほどの楚々とした笑い声をあげた。

「わかるさね、ニオイがするさ。やっぱし、思っちょったんよ。ウチらが喰ったもん、人魚やのうて妖怪か怪物かようけわからんもんやったんやなぁ。こうも人食いの衝動起こるんはやっぱ異常なんですわな」

「……50人くらい、です、多分」

「わっち、300人ほどかね。1年にひとり食ろうて、まぁ、若返りますわ。ほほっ。厭だわぁ、ほんとうにミツコさん、あたしのお仲間なのねぇ」

そうですね、無表情に答えるミツコが、テーブルのうえからしおしおと上背をどかした。イスの背にもたれて気が抜けた。魂がどこかに行ったよう、空虚な宙を見た。

そして、大妖怪にきいた。

「私、なにを食べたんでしょうか?」

「餓鬼辺りやないかと、あたしは思うておるよ。人魚なんて存在してないかもしれんね」

アイスコーヒーの氷が溶けてガラスが音を立てた。カランカラン。があんがあん、ミツコの脳裏では失われるロマンチックな魚影が過ぎ去っていく。人魚姫の麗人妄想が残像すら遺さず、ミツコから消えた。

喫茶店に居るのは、2匹の人食い鬼である。


END.

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海老かに湯
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