悪魔のジュース(コメディ)

「あのぉお……。ゆみ君のお母さんさん、ゆみ君の血まで、悪魔に染めないでください。勘弁してもらえませんか。これ、ワイロです」
「ん!?」

 晴子が目をみはらせる。授業参観日、帰り際にそばにやってきた女の子は、息子の隣の席の春美結愛だった。

 摘み立てのたんぽぽが、捧げ物のプレゼントを持つように、短くてまるっこい指先に摘ままれている。たんぽぽが、晴子をあおぐ。結愛はほの暗い眼差しで静かに晴子を糾弾した。
 落ち着いた、2年A組の担任先生によく似たしゃべり方をする。

「ゆみ君、悪魔になりたくないって、あたしに泣くんです。ママは悪魔なんだから仕方ないってゆみ君はいいますけど、あたし、将来はゆみ君と結婚して子育てとかしたいんです。だから悪魔にされると困ります。本で読みました。悪魔って、そのうちに山羊のツノが生えたりするんですよね? ゆみ君のお母さんさん、それ、結愛はいやです」
「ええ……、ええーと。結愛ちゃん。たんぽぽ、ありがとうね」

 ずずい、と突き出されるたんぽぽのプレッシャーに負けて、晴子は一輪のその小さな野花をもらい受ける。結愛が頬を寛がせて前歯を見せて、にまにま、といったふうに笑う。
「契約、ですね。ゆみ君のお母さんさん。悪魔なんだから破っちゃダメですよ、ゆみ君はあたしと結婚する日まで大切にしてください。悪魔のジュースなんてもう二度と飲ませちゃいけませんから」
 それでは、と、しゃなりと結愛がレディのようにかしこばって頭を下げた。
 それは、人間とはちがう、悪魔に対しての敬礼らしかった。
 たんぽぽを手に、グレー色のスーツを着込んだ晴子が、残される。
 呆然として突っ立っているので下駄箱には父兄がいつの間にかいなくなり、居残り授業をさせられる小学生のように、晴子は、廊下にひとりぼっちで佇むのだった。

 翌朝である。晴子は、息子の弓実にいつも飲ませている――、青汁ジュースを用意せずに、しかし粉末状のそれのパックはその指で摘まんで、息子に聞いてみた。
「ゆみ、あんた、コレ嫌いだった?」
「え!?」
 うそだろ!! 弓実はそんな表情だ。

「だいっっっっきらいにきまってんじゃん!! ママの悪魔!!」
「そう。そう。じゃ、青汁は……、でも健康に良いけどなぁ。あたしが子どものころなんか」
「死ぬほどまずいにきまってんじゃん!? ママの悪魔!!」
「そ、そんなに嫌だったんだ? そりゃわるかったね。ああ、ところであんたのクラス、ゆあちゃん? 春美結愛ちゃん。仲良いの?」
「え?」
 息子は、朝ごはんのトーストを口から離して、ふしぎそうに晴子を見る。きょとん、と晴子そっくりに目をみはった。

「ぜんぜん? 話したことあったっけ。ハルミ……、は知ってっけど、下の名前、ゆあってゆうんだ? へーよく知ってんね、ママ」


 晴子は、これは、たいへんなことが起きるぞ、と気づいた。そして返事の代わりにすこしだけ悩む。


 悩んだすえに、青汁のパックは破ってコップに注ぎ、水に溶かした。トーストの皿の隣にデン! 緑色のコップは訪れる。
 息子がパニックになって狂乱した。
「ま、ママの悪魔!! 悪魔ー!!」
「いいから、やっぱ飲んどきなさい。あと、あんたの血はもう緑色だし、手遅れだから。皆に好きに母さんは悪魔だとても言ってちょうだいよ」
 あくまああああああ~~!! などと騒がれるが、これはもう、青汁を飲み続けることこそが息子の平和の為だろう、晴子は自分をその通りだと思って息子に「飲みなさい」、無慈悲に、悪魔になって、命じた。


END.


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