デメキンの恋

サカナがニンゲンに恋をした。魚はデメキンといわれる金魚で、恋慕したのは彼女にえさを毎日与えてくれる女未亡人。デメキンは老いやちょっとした事故で目玉がとれやすく、この黒褐色のデメキンはもう両方とも目玉がポロリしていた。

にも関わらず。デメキンが稚魚だった時代から、両目ポロリして尾ビレも欠けたボロボロのデメキンになった今でも、未亡人は「デメちゃん」と毎日決まった時間に声をかけてエサをくれて変わらぬ愛情を注いでくれる。

愛さずにはいられようか?

恋せずにいられようか?

デメキンは一匹きりでよく管理された水槽のなかで尾ビレをフリフリさせて泳ぎ、今日も一日、愛するレディを想っていた。メスのデメキンであるがそもニンゲン相手にデメキンの恋なのだから性別なんて些事である。デメキンは心から彼女を愛していた。

愛には、魔法がある。

老いきってよぼりよぼりと今日も泳ぐ。出勤する未亡人が今日も「デメちゃん」と声をかけ、えさをくれる。そのとき。

「う!」

未亡人はその場にくずおれた。頭を片手で抑えて、痙攣しながら玄関の外に這おうとするものの数分間で力尽きた。棚の上の水槽では、デメキンが砂利に不時着してかすかに見えるレディの太ももに向かって全躯を硬直させていた。

愛とは魔法である。

なにに願いが通じたのか、何に愛を神聖なる愛と認められたのか、なにもかも定かではないが。マンションの管理人は奇妙な証言をした。

「いや、管理人室に行こうとしたら、マンションから女の子が走ってきたんですよ。それはもう……なんというか……とにかく両目が潰れて醜い子だった。髪もざんばら切りで着てる服もボロボロで、うちにこんな虐待されてる子がいるなんて、知りませんでした。でもその子もおかしくって…シワシワのクチャクチャっていうんですかね…? お婆さんみたいだったんですよ。若いちいさな5歳くらいの女の子だと思ったんですけど、老衰して背中が曲がって縮んだお婆さんにも見えるんです。いや、その子は背中は曲がってなかったんですけど。で、タイヘンだタイヘンだって叫んで301号室の宮ノ下さんとこまで私を連れて行ったんです、ええ。共同管理の鍵で部屋を開けたら、そしたら、宮ノ下さんが廊下で倒れてまして……。救急車は呼ぶでしょ、来るでしょ。女の子も救急車に乗っていきました。でも病院に着いたのは宮ノ下さんだけだって言うし、救急隊員の方も女の子なんて見なかったって言うんですよ! 怖い話ですよね? 私、明日一応、お寺に行っておこうかと思ってますよ。ほんと、幽霊みたいにぶきみな女の子に連れて行かれたんですから!」

頭の手術を終えて、処置が早かったために一命をとりとめた未亡人は数日してから目が覚めた。かすれた声で、看護士と話しているうちに願い乞うなどした。

「あの……、うちの……、ペットがいるんです……、えさをとりあえずあげておいてもらえませんか……?」

連絡をもらったのは、先程の管理人だ。また301号室に入るが、水槽はからっぽだった。なにもいない水槽に、ポンプがブクブクした泡を送り込み続けていた。未亡人が一ヶ月後に帰宅して確かめても、やはり水槽にはなんにもおらず、デメちゃんと呼んでも周囲を探しても、落ちた様子などもなんにもなかった。管理人は、宮ノ下さんは意識障害が残ってるのかしら、と後に語った。


さらに一ヶ月ほどして、ある救急車のなかでようやく救急隊員が気がついた。カサカサに干からびた黒褐色の平べったいものが片隅に転がっている。

「なんだ、これは? ゴミかな」

なにか、どこか、どこでもないところから何かが答えるとするならば、それはゴミではなく愛と恋が姿形をもったものである、との回答があったはずだろう。



END.

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海老かに湯
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