有名税が取り立てにやって来る

「ウソッ! やだ、大ファンなの私。ネタバレ画像ちょうだいよ!」
「……え、っと……」

友佳は、笑顔を凍りつかせた。

正反対に、これまでサシ飲みしていた女性は、うなぎのぼりのテンションでひとりで顔を両手で抱えてキャアーッなどと叫ぶ。

「ウッッソ!! やだぁー、じゃあ山ノ湯様の本名も竹下さんってこと!? 友佳ちゃんの弟さんなんだもんね!!」
「え、あ、それは。まぁ……」

「うっっそ信じらんない!! やだあー!!」
ちっとも嫌じゃなさそうに、歓喜の悲鳴。見た目は、1人で酒を飲みにきた酒豪の女性といったシチュエーションにふさわしく、はつらつとしているが黒髪に黒目のちょっと気が強そうな目つきの女性だった。
アイドルなどの追っかけとはひとめで判断ができない。

友佳は、ちょうど仕事、こちらは単なる事務仕事だが、嫌なことがあって今日は一杯飲もう、という気分だった。店内でこの女性と視線が逢って、挨拶などかわし、気がつけばカウンターに並んで仕事の愚痴などを言い合うようになっていった。

そして、うっかりと、友佳は有名税に相当する、自分の不条理で不当な立場を嘆いてしまった。
それに対する反応がコレだ。

「山ノ湯大雅! つうかタイガー様! やだー、家でなんて呼んでるの? っていうか芸名だよね? 本名はなんていうのタイガー様は?」
「ええっと……えー」
友佳は、冷や汗する。やばい。猛烈に脇の下が汗ばむ。

ただまあ、と胸のうちで前置きはした。本名くらいなら、本気になってネットで調べればすぐに見つかるはずだ。弟は、だれかがおれの卒アル写真を勝手にネットにアップした、といつだったが憤慨していた。
「……竹下小虎……」
言う。途中から、きゃあああああっ! 静かな酒屋にふさわしくない、黄色い絶叫がこだました。

彼女は目を見開かせ、瞳孔をひろげて食いついた。
「うそやだ!! なにそのエピ!! ことら!? だからタイガーなの!? 芸名でおっきな虎になってんの!? やだ!!」
やだ、というが、この場合では意味が逆になっている。やだ、うれしい、などの言い回しで『やだ』だ。彼女は赤面して手に汗握って、友佳にギョロッと尋常じゃない形相とまなこを注いだ。注入しまくった。
本気の、まじもんのファン子の目つきだった。

「今、演ってる『マーメイド・プリンス』――、知ってるよね? 公演ごとにちょっと結末が違うの。人魚姫どおりの悲劇だったり喜劇だったり人魚姫の逆転ホームランだったりしてさ。そんで全通しなきゃってチケ争奪戦やばい! あとから配信もあるらしいけど、そんなんいつになるかわかんないのよ、こっちとしては待ってらんないの」
「はあ、……あの、大ファンの方に会ったって、弟に言っておきますよ」
「ねえねえ、ネタバレ教えてよ! タイガー様の写真とか持ってないの? あ、プライベートのでももちろんいいよ!」

なにがもちろんじゃい!! 脳裏に叫ぶが、友佳はお愛想笑いでアハハと喉を搾った。

「ネタバレ画像もらえない? さっき言ったマメプリは公演ごとにオチがちがうからさ、タイガー様がいちばん目立つのはどこの回か知りたい」
「お、弟に、聞いてみないと」
「ギャー!! タイガー様に直接!? うっそでしょ!!」

んなわけあるかい!! 胸裡で絶句するが、友佳はお愛想笑いでウフフと頬を引き攣らせた。

やばいな。やばい。1秒でも早く、この店をでよう。そんな思考に支配される。有名人の身内を持つと、こんなふうに意外なところで有名税を摂取されてしまうんだから、本当に厄介なものだ。

「えっと、申し訳ないんですけど、うち、弟がそういう仕事してるから、あんまり今はもう会えてなくって……。弟の仕事内容についてはちょっとわかんないんですよ」
(ほんとうはめちゃめちゃ知ってるけど。あたしも、弟好きだし。ていうか芸能プロダクションに履歴書を送らせたの、あたしだ)
「弟、ほとんどホテル暮らしなんですよ」
(今も実家住まいだけど――)

「えー!! でもプライベートな写真ぐらいは持ってるでしょ? 見せてよねえ、一枚、なんかとっておきの!! お願い!!」
「いや~。フォルダにないですよ、そんなの」

本当は山と積めるほどツーショットやらワンショットやらあるが、それは姉弟のひみつだ。ハムスターを飼うのが姉弟ともに大好きなので、よく一緒に写真を撮るのである。

女は、我慢ができないように、友佳に懇願する。

「ねえねぇこんなチャンス滅多にないんだからさ。教えてよ、タイガー様のこともっと! おねえちゃんなんだよね? 友佳ちゃん。ならいいじゃん」
「いやいや人権侵害ですよ姉とか関係なしに……」
思わず、ぽろっと本音が漏れるが、酒の入った熱狂的なファンはそんなのお構いなしにぐいぐいと肩を寄せてくる。反対の肩をかつがれて肩組されて、往年の友人のような振る舞いだった。
「タイガー様の面影、そういえばちょっと目元にあるかも。友佳ちゃん! ぎゃーっ、もうやだぁ。あっはっはっはっはっ!!」
「あはっ……」

(怖っ!!)

腹の下側に吐き捨てて、友佳は空に唾してやりたくなる。

弟は好きだし、仲が良いし、とても仲睦まじい姉弟ではあると思うが、そんな弟が有名になってテレビや演劇で活躍するのは気分がいいが、こんなふうに有名税を徴収されるのは正直、友佳は大嫌いだ。面倒臭い、気まずい、それになにより、自分自身が、大事な弟の障害になってしまうのが嫌だ。

無理やり、スマホを出した。ああっ、おおげさに叫んでみる。
「すみません!! 同居してる母からラインきてました。あたし、もう帰らなきゃ。今日はありがとうございました」
「えっ!? うそ、ちょっと。ライン交換しよ?」
「ごめんなさい~、いそがなきゃ!」

わざとらしかろうが、なんだろうが、友佳はのれんに腕押しそのものに一方的に断りを入れて店から走ってでてきた。お会計は電子マネーで一発タッチで終わらせた。
走って、店から追われないように新宿の夜を必死になって疾走した。追跡されて自宅バレなんてしたらめちゃくちゃ面倒な話になる。

「小虎……!! ねーちゃん、複雑!!」

ヒールの高いパンプスでかつかつかつんと全力疾走する友佳はうめく。

今となっては、かわいいかわいい弟を、こんな――あんな――魑魅魍魎のうごめく巣窟に送り出してしまったことを、ちょっとだけ後悔している。あの日、勝手に履歴書なんて送らなければ。弟は、当時好きだった子とそのままゴールインして今頃は平凡な家庭を築けていたかもしれない。

友佳は、若気の至りと、そして自分の弟へのゆがんでしまった愛情に、胸がぎゅっとなって痛くなる。テレビや舞台でその姿を見る度に、ぎゅっとなる部分がある。

弟のほうが、当事者だから、有名税の徴収ぶりはもっと凄まじいだろう。
想像を絶する追い立てがあるはずだ。それこそ税務署よりもきびしい。友佳ですら、この理不尽な有名税の徴収にしょっちゅう手酷くされるのだ。

今日もまた、後悔に胸をぎゅうっとされてしまい、地下鉄に辿り着くころには友佳は汗だくに顔を濡らしながら、手で胸を支えた。
はあ、溜め息に、吐息だけではないものがまじる。

「……次の休みは、一緒にスマブラしてやるからっ……、姉ちゃん、ちゃんとプレイするからさ……、小虎、許して……っ」

実家でも言えない懺悔を、人知れず、地下鉄のホームから祈った。
新宿の雑多なひとごみに混じってすぐにまぎれて溶ける。あわゆきの、新宿からするとあまりにちっぽけな、悔恨である。



END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。