人魚の歯あり

「妾(わらわ)を誰と心得ているのか!」

不遜に迫ってくる蛮族、程度のものだろう。魚体性のメスから見た人間の姿なんて。
「お姫様……」
私はそんなつもりはないが、

「世界で唯一のお姫様ですよ。人魚姫。ああ、どの文献でもあなたがたを悪く言う者がいない、謎が溶けました。その変幻自在なる御顔、人間などからしたら相手の求める理想の顔をいともたやすく反映させる、その面! 神秘と幻想と憧れをいともたやすく手中に収めてしまう!」

「連日、似たような褒め言葉をもろうたところでな。妾はちっともなびかん」

「そうでしょうか?」

思わず、素で声が出た。そんなことはなかったからだ。

(おっ、と……)

まだいけない。こちらの名前を覚えられるほどには、いけない。

浅瀬に半身半魚のおおきすぎる魚がいる。データ出力に、故障を真っ先に疑った。しかし足を運んでみれば、研究所の浅瀬にその巨大魚は確かに横たわっていた。

ボートか何かのスクリューで腹の下を切られたあと。
血は、なぜだか赤かった。

(子宮には当たっていないはずだ)

『大丈夫ですか? 立てますか? 返事はできますか?』
『……な……に、……何者だ……』
『触りますよ』

(うん、当たっていない!)

いの一番に確認をして、魚のメスを見上げる。

私から見た、古代王朝の血を受け継ぐ世界の真なる支配者、魚たちの王国やら真珠の海やら不老不死の彼岸などは、ゴミだ。このメスがそれらに彩られた生活をどれほど自慢しようが心が傾くことはない。

私から見た、この出逢いの不幸な点は。

魚のメスが、同じように。私と同様に顔を見て。強烈な執着心を持たなかったこと。幼い頃に亡くなった隣人のお姉さんが、まるで成長したかのような顔と出で立ちで私の前に現れた、それに等しき現象ではなかったこと。

この魚の行く末を、もっと知りたい、見ていたい、誰にも、天にも神にも奪わせないと。

決意を促すほどすらなく、何も無かった。こと。

(これほど一方通行ですと希望もなんも持たなくて済みますね)

利点はこのくらい。
人魚姫を懐柔できれば、一度だけでも、それでよいから不満はなかった。
私には。


END.

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海老ナビ
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