ワシはただ踊るだけ
不老不死になった爺さんは、べつに、たいして震えず怯えず困らず、感慨は抱かなかった。
それも、愛し合った女が、自分は人魚だと告白してきて、あなたが死ぬことだけは耐えられない、どうか私を食べて、そして私といっしょに永遠を過ごして。病に伏した爺さんにそう嘆願してすがりついた。
爺さんは普通の人間とおなじく、ひどくおどろき、動揺した。そして断った。しかし妻はしつこく我が身を煮込めと差し迫った。妻は、己で、おのが腕を切り落とす始末だった。
仕方がなく、そして愛情ぶかい夫婦であったから。
事はなされた。爺さんは不老不死になり、愛する妻は、消えた。爺さんに消化されて二人はひとつの血肉になった。
もはや、爺さんは、普通の人間の感情も感覚も哀しみもわからなくなった。
不老不死の肉体は頑丈で病など一瞬のうちに逃げていった。死神も去った。残されたあばら小屋を出て、爺さんは旅に出ることにした。べつに、その場にずっと居てもよかった。妻との毎日の思い出がある家だ。それに爺さんはすでにシワクチャで、いまさら、歳をとらぬ肉体になったからといって、変化しない爺さんを怪しむ者もいないだろう。爺さんは長生きじゃあと歓迎されるかもしれない。
それでも爺さんは旅に出た。
妻の思い出、腹のなかにいる妻の肉と。
旅先でなにをするか? とくに、決めてはいない。爺さんはいろんなひとを見たいと思った。そして、見るだけだろうとも。
爺さんは、喜んだり、悲しんだり、感情に振り回される人間たちのそばで、ただそれを眺めているだけの存在になりつつあった。妖怪の新種とも言うべき存在に。
ただ、ただ、踊るだけ。そばで踊るだけ。爺さんは妻とずうっといっしょだから、ただだだ踊るだけ。
手をたたいて踊りたくなるような場面を見たい、爺さんの気持ちは、それだけだ。
永遠の命がもたらすものは、永遠のヒマな時間でもあった。
爺さんは、腹のなかの妻を運びながら、踊れる場所を探しにゆく。ただ踊るだけ。
不老不死になって、それだけが、妻の望みであって、その先は彼女もなにも考えてなかったのである。
だから、爺さんはただただ、踊るだけ。
END.
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