そのアバターは愛を知らない
アバターなんにする? 公共オンライン空間に初めて接続ができる四年生たちは、その話題でもちきりだ。ティラノサウルス! あたしんちの猫! 自分そっくりにキャラメイクしようかなぁ。各々でちがう意見が出揃う。
昼休み前の授業は、電脳空間におけるネットリテラシーと個人情報保護に関する授業だった。春佳はとなりで給食のパンをかじる友人を注意した。
「リアルそっくりなのはダメだよ。ネットで画像検索ってしたことある? 似てると顔写真がヒットしちゃう」
えー、ああ……、部活に支障が出るかぁ、と、残念そうに漏らす友人は、ダンス部だ。大会での写真がネットにアップされている。
つまらなさそうな目つきでパンをひとちぎりすると、春佳に水は向けられた。
「アバター、もう決めてるんでしょ」
「バレたか」
「ぜんぜん嬉しそうじゃないもん、あんた」
「人魚姫にしようと思うんだ」
意外そうに白目を広げて、パンはくちのなかでモゴモゴさせて、となりの席の友人は怪訝に眉を寄せる。好きなの? 単刀直入に質問してきた。
「アハ、童話に好き嫌いとか、ある? マンガとかのが好きに決まってるじゃん」
「いやあるでしょ。人魚姫なんてメルヘンなの、なんか……。あんたのイメージと違う。陸上部の次の新人がなんでまた足がない人魚姫よ」
「足ならあるよ。人魚姫ッてほら、陸に揚がるために足をもらうじゃん」
「でも、声が出せなくなる。カラオケ趣味のやつがよく言うー!」
「正反対のもんにするのってカッコよくない?」
春佳はなんでもなく言うが、ウソをついた。自分のパンをかじる。物理で唇をふさいで、会話は終わらせた。人魚姫にする理由なんて春佳にしかわからない、春佳だけのヒミツだった。
春佳は、家に帰るとカップラーメンを食べる。給食がいちばん好きな女の子。それが春佳なのだ。
なにせ、これ以上に美味しいものなんて、ろくに食べさせてもらえない。フラストレーションをぶつけたくて陸上部に入ったから余計に、いつも空腹になってしまうから、給食の時間が人生でいちばん幸福だ。柔らかなパンを噛み締めてじっくり食べていると、学校の友人は笑った。
「あんた、ホント食べんの好きだよねー」
「まあ、ね」
「人魚姫ってゆうとさ、デデニーのアレあたし好きだよ。あのアトラクション好き」
「あ、ごめん。観たことない。乗ったこともないや」
「マジで!? ちょっとー、人生損してるよぉー?」
「いつか乗るよ」
「乗るんじゃないよ。観るやつ。マジで知んないの? 劇場みたいなアトラクションだよ、あれ」
「あー、そーなの? へえ。面白そう」
春佳は曖昧に笑い返してテキトウに言う。知らない世界の話に対しては、いつもこうだ。友人は悪意もなく、ただ、奇異なものを見る目をした。
「なんで人魚姫なの? そんなに知らないくせして好きでもなくって」
(似てるからなんだよ)
「うーん、気分? かな? もう決めてんだからいーじゃん」
春佳は、給食のシチューにパンを浸す。ミルクのコクとまろやかさが小麦にマッチして、食べていると唾液がブレンドされた。美味しい。春佳はチラと夢想に数秒間だけ引きこもった。
(人魚姫みたいに誰かを愛する一生ッて、こんな味がするものなのかな。なら、恋したい。誰でもいいから)
「アバター、ペンギンとかどう? 春佳」
「いいね。人魚姫にペンギンつき、似合うじゃないの」
「コラコラ。お付きの人にすんなし!」
給食の時間が過ぎていく。食器はぺろりと清められていく。得体のしれない孤独感が、クラスメイトたちの話し声に満たされた教室にいるにも関わらず、春佳の腹を侵食した。
また、空腹感をおぼえた。
END.
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