どこにでも、いつまでも
もともと口が達者だったわけじゃない。
よく、外国語を覚えるには外国人の異性を好きになれと言うけど、きっと俺もそれとおんなじ。
どこにでもいるような地味な女。
化粧もしない、ジャラジャラとアクセサリーを付けることもしない。黒髪のショート、匂いは牛乳石けん、白いハンカチ、誰にでも優しく、当たり障りの無い会話をする人。でも、心から笑ってるところは見たことがなかった。
俺はそんな彼女を笑わせたくなった。
お笑い番組でやっていた事のマネをしてみたり、日常の楽しかったことをネタにしてみたり。
「その話、テレビで見た」とか、「芸人の〇〇のほうが面白い」とか言ったあとに「今の何点ぐらい?」と訊くと、「う〜ん。30点くらいかな」と辛口の評価が返ってきた。何というか、相手がバリアを張っているのかと思っていたのが、俺のほうがバリアを張っていた気がしてきた。自分でもだんだん話すのがうまくなっていると自覚し出した。それでも50点を超えるのも難しかったりして。
ただ、一度だけ「うーん。79点。いや、80点かなぁ…」と言われた時がある。
「残りの20点は何が足りないの?」と訊いたら辛口審査員は「顔」と答えた。
「いや、無理じゃん!」と返すとゲラゲラ笑っていた。見たかったものに出会えた気がした。そんな日が続くと思っていた。
でも、ある日を境に彼女は居なくなった。
テレビを点けてお笑い番組をやっているとチャンネルを変えるようになったのはそれから。
何だろうね。悲しいわけでもないのに、その鮮明な記憶が蘇って涙が流れるんだ。
心の病? いや、違うね。だって自然な事だもん。対処法はないだろう。
先日、大会で優勝した先輩が居酒屋に連れってくれた時に「どんなに今がクソでも、チャンスは来るからな。お前もチャンスが来た時のために感覚磨いとかないとダメだぞ。クソだからって、クソになったらクソなんだよ」と言っていた。食事の場だったのでより一層口の悪さが際立ったが、言っていることはもっともだ。
俺はお笑い芸人にはならなかった。
その代わりに消防士になった。力に自信があるわけでもないし、リーダーシップがあるわけでもない。でも、場の雰囲気を和ませることができる能力があったから、筋肉ムキムキの男どもの集団の中でも何とかやっていける気がしてる。
君のおかけだ。助けたい気持ちも彼女がくれたのかもしれない。
何の話って?
ある晴れた春の日に波にさらわれた、どこにでも居るはずの何処にも居ない、俺の記憶の中に居る女の話だよ。
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