狭い空間

タクシーの運転手をしていると「いろんな所へ行けていいですね」なんて言われることがあるが、行き先を決めるのは客しだいだし、長い時間同じ姿勢でいるから身体のあちこちにガタがきていて、休みの日は整体マッサージに行かないとやってられない。それに、どの時間にどこで客を乗せれば、だいたい何処へ向かうのか見当がつくから、勤続年数が多いほど楽しみはなくなる。この間も世界は意外と狭いんだなと思わされたことがある。
あの日は確か夕方の赤坂だったか、一人の客を拾った。見た目の年齢は五十代、自分と同じくらいの男性だった。「どちらまで?」と聞くと「横浜アリーナまで」と言った。金曜日だったからすぐに渋滞が起こると予測して、少し迂回しながらアクセルを踏んだ。
「今日ってコンサートですよね?」と尋ねると客は堰を切ったように喋り出した。
「そうなんですよ。何年前だったかなぁ。知り合いがやっている行きつけの居酒屋があるんですけどね」
「ええ」
「だいたいいつも四、五人で飲んでいて、トイレに立った時にカウンターに若いのがいて、一点を見つめてボーッとしてたんですよ。一人で飲みたい奴なんだなぁと思って、そのまま用を足して、また1時間ぐらい経ってトイレに行くと、まったく同じ姿勢でボーッとしてるんですよ」
「奇妙ですねぇ」
「でしょう? でね、マスターが知り合いだからチラッと聞いたらずっとあの様子だって言うからさ俺話しかけたんだよ。酒の勢いもあったせいかな」
「ええ、それで?」
「一人で飲みたいならアレだけど、兄ちゃん良かったらこっちに来て一緒に飲まない?って言ったら、伺いますってボソッと返してさ」
「一緒に飲むことになったんですか」
「そうそう。でね、個室の仲間もボーッとしてる兄ちゃんに気がついててさ、どうしたの?って皆んなで聞いてさ、そしたら彼は音楽やってるんだって答えてさ」
「ええ」
「なんか悩みでもあるの?って。そしてらね、若いうちは買ってでも努力しろって親父に言われて、自分はずっと頑張っているのに周囲の人から現実を見ろだとか、夢見てるなとかって笑われて疲れたって」
「思いつめてたんですね」
「彼にしたらそうなんだろうけど、俺たちはオッサンだからさ、その悩みがさ、なんつうのかな、青春というかさ、懐かしいというかさ」
「記憶のフタが開いた感じですか?」
「そーそーそー。それよ。今と昔じゃ違うのかもしれないけどって前置きして、オッサンたちが目をキラキラさせながら昔話を聞かせたら彼泣いちゃってさ。笑ったね」
「泣いたんですか?」
「俺たちももらい泣きして全員号泣よ。ティッシュをもらいに言ったら、マスターも影で聞いてて泣いてやんの」
「マスターもですか」
「店主何やってんだよってさ。笑っちゃうよねぇ」
「絵が浮かぶ話ですね」
「でさ、その子がさ、今日歌うんだよ」
「えっ!?」
「運転手さんいいリアクションするねぇ」
「すいません」
「その子がさけっこう売れっ子になっちゃってさ、今でもその居酒屋にたまにふらっと来てくれたりして、この間会った時によかったら来て下さいってチケットくれたのよ」
「へぇ、そうなんですか」
「マスターなんて、店にサイン色紙を飾ったらファンが来てくれるようになったってはしゃいじゃってさ。閑古鳥が鳴いてたくせにさ」
「じゃあ、これからみなさんでコンサートですか?」
「そうそう。待ち合わせしてんの。いやぁ、継続は力なりって言うけど、人生何があるかわかんないもんだね」
「そろそろ着きますね」
「いやぁ、長い話を聞いてもらっちゃって悪いね」
「いえいえ、こちらこそ貴重な話をありがとうございます」
客が降りる時に「お忘れ物ありませんか?」と聞いたあと「みなさんによろしくお伝え下さい」と一言添えた。
全く客の言う通りだ。まさか実の息子の恩人を送り届けることになるなんて思わなかった。私はコンサートなんか行ったら、人のことを笑えなくなるぐらいに泣いてしまうだろうから「ファンの為に席を」と遠慮したが。
いやはや、世界は狭いもんだ。

✳︎前にもこんな内容の話を書いた気がする…笑
たぶん、救いのない話ばかり書いているから無意識にビギナーズラックというか、成功者の話でバランスを取ろうとしているんだと思う。
世界は広いのに手の届く範囲にしか自分の世界がないってのは万人に共通することだと思っていて、それをタクシーの運転手の話として書いてみた話。
この牢屋から脱出できる人間は幸せだと思います。

#小説 #ショートショート

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