書き入れ時
「さぁさぁ、どうぞお入り下さい」
「では失礼します」
お盆の時期になると寺の住職は慌ただしく行ったり来たりを繰り返す。
「今日も暑いですからビールなんてどうですか? 死んだ爺さんも喜びます」
そう言うとお婆さんは遺影に目をやった。
「いやいや、せっかくですがこの後もまだ残ってますので…」
「いーじゃないですか。ちょっとくらい。ね?」
「いえいえ、ミイラ取りがミイラになるじゃありませんが、事故でも起こせば祈りに来ている者が祈られるようになってしまいます」
「はっはっは。それもそうですねぇ。無理に勧めてすいませんねぇ」
「いえいえ、お気持ちだけで結構ですよ」
住職にしてみればこんなやり取りもまた夏の風物詩だった。
「ではさっそく… シィーナァーガァーワァータァーマァーチィー」
念仏はすぐに終わった。
「あれ? もうおしまいですか?」
「ええ、最近は家に坊さんが長く居るのを嫌うご家庭があるので、念仏も短いものを採用してるのです」
「そうなんですかぁ。時代が変わったんですねぇ」
「では、私はこれで…」
「ああすいませんねぇ。お見送りします」
「いえ、ここで結構。まだ暑い日が続くのでご自愛下さい」
そう言って住職は忙しそうにお婆さんの家をあとにした。
それからまもなく玄関のチャイムがなった。お婆さんは住職が何か忘れ物でもしたのかと思って、すぐに玄関の扉を開けた。
「はーい。お坊さ…」
「あっ、すいません。警察の者ですが、今ここにお坊さんが来ませんでしたか?」
そこに立っていたのは警察手帳を片手に持った一人の刑事だった。
「ええ、来ましたけど… 何か?」
「とくに何もないならいいのですが、そのお坊さんは変な念仏を唱えていませんでしたか?」
お婆さんはついさっきのことを思い出した。
「変かどうかは分かりませんが… 念仏が短かったような気がします。時代に合わせてどうのこうのって…」
「もしかしたら今流行ってる坊主のフリをした詐欺師かもしれません。被害者の証言によれば念仏ではなく、山の手線の駅名を言ってるだけだと伺ってます」
それを聞いてお婆さんの顔は青ざめた。確かに南無阿弥陀さえ言っていなかったのを思い出したのだ。
「では、今から警察署でお話を聞かせてもらっていいですか?」
「は、はい… 今から準備します」
お婆さんは震えた声のまま刑事の車に乗った。
「この時期になるとお年寄りを狙った詐欺が流行るんです。それで私は巡回していたんですよ」
「そうなんですかぁ」
「お金は取られましたか?」
「そういえば、料金を払う前に坊さんは出て行きました」
「不幸中の幸いですね。大丈夫です。すぐに犯人は捕まりますよ」
「ほんとうにありがとうございますねぇ」
お婆さんは動揺している自分を気遣ってくれる刑事に心から感謝をした。
「では、私はこの後も巡回しないといけないので、窓口で書類を書いて下さい」
警察署で降ろされたお婆さんは、車が見えなくなるまでお辞儀をした後、言われた通りに窓口に向かった。
お婆さんの話を聞いた女性職員は鼻息を荒くしながら質問した。
「ちょっと、念のため質問しますが、その刑事は夏なのに冬物のコートを着てませんでしたか?」
「ああ、そういえば… でも親切な方でしたよぉ」
「それは今流行ってる二人一組の泥棒です。一人が住人を連れ出してる間にもう一人が部屋を物色するんですよ。もしかしたら今頃…」
お婆さんは頭の中が真っ白になったが、その間にも女性職員は会話を続けた。
「どうでしょう? お一人じゃ大変でしょうから、本署と提携している老人ホームへ入ってみては? 今ならお安くなっておりますよ!」
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