黒い塊

「どうしてこんな醜い顔をしているんだ。一体、俺が何か悪い事でもしたのかよ。ノルマもこなすし、残業だって断らない。それなのにどうして俺を避けるんだよ。この顔さえなければ、今頃は結婚して慎ましやかな暮らしを送っていたんだろう。くそッ!」
そんな人間を乗っ取る男がいた。そいつは生きているのか、死んでいるのかで言えば死んでいるほうに近い。鏡の世界から醜い顔の人間を選んで身体を乗っ取り、現実世界を生きていた。永遠の命といえば聞こえはいいが、醜い顔で生き続けるのは呪いだ。

「おい、ジャガイモ、こっちに来い。」
「はいっ!」
「この手榴弾を持って敵の前線で起爆してこい!」
「はいっ!」
「ん? 何だお前、手が震えてるじゃないか。そんなんで任務が務まると思っているのかっ!」
「すいません!」
「死ぬことは怖いか?」
「こっ、怖くはありません!」
「だったらもっとデカイ声で言え!」
「怖くありませんっ‼︎」
「もっとだ!」
「はいっ!怖くありませんっ‼︎」
「もっとだっ‼︎」
「はいっ‼︎ 死ぬことは怖くありませんっ‼︎」
「よーしっ‼︎ 一発殴らせろっ!」
そう言うと上官は男の胸ぐらを掴んで顔面を殴った。
「うグッ…」
「走れ!ジャガイモッ‼︎」
「はいっ‼︎」
鼓膜は上官のだみ声で震え、星が散ってる視界の中をよろめきながら走った。食料も銃弾も豊富な敵陣の前に飛び出すことを戦闘と呼べるだろうか。答えは否だ。男の恐怖の発生地点はそこにあり、一体自分は何を守るために、まるで無意味な行為をしなければならないのか分からなかったのだ。しかし、次第に視界の星が見えなくなった時に理解した。
「上官たちは自分を囮にして逃げたのだ」
その瞬間、男の心の中に今までに経験したことのない黒々とした塊が現れ、その塊は先ほどまで身震いしていた男に例えようのない力を与えた。その刹那ーー
「パンッ!パンッ!パンッ!」
スナイパーは正確に男を射撃した。直線的に走ってくる敵兵を撃つのは簡単なことだった。男が動かないのを確認して、何人かの兵士が銃を構えてジリジリと近寄った。先頭の兵士はうつ伏せのまま動かない男を蹴って仰向けにした。腹に二発、もう一発は首を撃ち抜いていた。泥なのか血なのか分からないものが、兵士の履いている真新しいブーツを汚した。
「みんな死ねばいい。こんな馬鹿げた、何の得にもならない事をやってる奴らは。みんな死ねばいい。そうだ、俺がみんな殺してやる」
「なんだこいつは。笑ってやがる…」
「頭がイカれてたんだろ。じゃなきゃ丸腰で突っ込んでくるような事しない」
「おい、二人とも下がれ! 目が動いている。まだ生きてる!」
『バーン!』
誰の手なのか、誰の足なのか、血なまぐさい匂いの中で主人を失った肉体が横たわっていた。すぐに敵陣の救護班が駆けつけたが生存者はいなかった。不可解なことに三人の頭部は発見されたが、一人分の頭部が見つかることはなかった。

それから男は呪いのような日々を生き続けている。確信したことは三つ。
一つは死んでも再び醜い顔の別人となって蘇る自分。もう一つは、いつの時代も虐げる側には自分よりも醜い人間が居座っていること。最後の一つは、心臓に巣食うこの黒い塊が自分以外の全ての人間にも備わっているという事だった。
「どうして自分がこんな目に合うんだ」という常人の思考は「自分と同じように蘇っている可能性のある上司を殺す」という逸脱した楽しみに変換された。
そして男はずっと生きている。ずっと…。

#小説 #ショートショート

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