キリスト教考察:光の燭台
しょこら「貴方は私を導く存在です」俺氏「大きく出たね」しょこら「数千年の縁があるのでしょう」
あんまり色々と余計な事を書くと胃痛になったり、頭痛がしたりするので手短に書く。
機会があったら詳細に書く。
しかし、それはその先を知りたいかその人が思うことだ。
俺だけがいちいちだらだら書いてても貴方のためにならない。
まぁ、腹の底まで掛けるけど、それは胃痛がするのでやらない。
是非、聖書を読んで下さい。
俺は10年前に洗礼を受けてクリスチャンになった。
よく日本人のイメージとして洗礼名を受けられると思うかも知れないが、そいった事の無い正統的なプロテスタント教会だった。
洗礼を受け生まれ変わった人は肚に精霊が与えられるという。
実際、精霊が宿ったかどうかは実体験としてないが、そういう事だと信じよう。
どっちにしても洗礼をして生まれ変わった気分になった。
それまで憎しみと怒りの人生であったが、劇的に変わるという事はなかった。
ただ俺も生の意識があったから、本当の事を言うと少しマシになった程度であった。
イエスの御名において俺に付いた現世の汚れを落とす期間になった。
聖書のどこの箇所に書いてあるかわからないが、罪のない穢のない魂になりたかった。
しばらくは教会に通って、神の教えを聞いてたけど、いまいちピンと来なかった。
でも今は違う。
優しい教会員に導かれて、素直に優しくみんなを見れるようになった。
それまで歪みまくってた心が正常に戻りつつあった。
若い人にはわからないだろうけど、人生には色々な罪がある。
俺が受けたのはあざけりとそねみとそしりの罪だ。
いじられキャラである俺は、世の濁流にのまれつつ泥水をすすった。
自殺未遂なんて何回もある。
その度、良いことのない人生だと後悔したが、後悔したって腹は空くし、寝れば朝起きる。
もう何か起きるのを待つのは辞めだ。
これからは自分から取りに行く。
神様は決定しない。
あくまで判断材料を与えるだけだ。
本当にやりたいかどうかは自分の意志で決まる。
今まで周りに合わせてた事が今では嘘の様に雑音に聞こえなくなった。
真っ白な世界へ。
本当に何も悩みが無くなった。
悟りの境地だ
よくクリスチャンは世の中で何に例えられるのか?という箇所がある。
それは世の光で、燭台はベットの四隅に飾られるでしょうか?
灯りが部屋全体に届くような所に飾られる物だ。
とマタイかヨハネに書いてあった。
だったら俺がみんなを導くべきだ。
語弊があったら申し訳ないが、別に従えようとは思ってない。
独立性を担保しつつ、個人が良いことだと思ったことを聖書に照らし合わせながらやればいい
キリスト教はイエス・キリストの宗教だけど、聖書が基本だ。
詳しいことはこれからだけど、この文章も頭の中で推敲した事だ。
何が何でも信じ込まなければいけない。
という事でもない。
人に説明する能力も必要だ。
日本広しと言え、文章で宣教できるのは今の所そんなに居ない。
教会のビデオメッセージとかもあるかもしれないけど、俺はもっとハイでもないローでもないミドルで行く。
聖書に右にも左にもそれない平らな小道を歩け、とある。
だったら激しすぎず、優しすぎず、もっと真ん中を射抜いて行こうと思う。
それができるのも悟りと癒やしがあったからだ。
キリスト教は道であり、真理であり、神様そのものだ。
真理とは愛ではないか?
他の宗教も研究してみるべきだと思うけど、他は許さないという教えでもない。
ただ神の国に通じるために研究してる神の教えだ。
もし、この文章を見て教会行くかどうか迷ってる人はマイペースで行けばいいと思う。
そんな非科学的な事があるのか?
と考えることもあるだろう。
でもそもそも世の中自体人間が解き明かしてないのだからやって見る価値はある。
信じる人はもともと信じる素養があっただけだ。
貴方は神に選ばれたのだ。
そしてそれを独占せずに福音を述べて欲しい。
光の燭台は隠れてることができないのだから。
ただ右の手のやってる事を左手に教えるな、という箇所もある。
私に全てを預ける必要はないから、聖書の祈りを実践してみよう。
貴方に神の愛が降り注ぐかもよ?
どんな時だってほらスマイル!
話しに花を咲かせよう。
神様はいつでもあなた達が救われる事を願ってます!