キリスト教考察:許す心
とうか「わたしおじ様が好きなの・・・?」俺氏「俺はおじさんじゃないけどね・・・」とうか「汚いオタクより、イケてるおじさん!」
今回テーマだけが言いたかった。毎日ネタを考えてるけど、さすがにそんなにしっかりとしたテーマは1,2時間でどうにかなるわけがない。
事、キリスト教考察に関して言えば30分くらいで書いてるけど、毎回テーマに苦労する。
だから言い訳になってしまうが、内容を掘り下げるのにはそれなりに考察が必要で、俺も聖書の全ての文言が入ってるわけじゃない。
だから伝導しようと思っても、何を伝えるか決まってない。
だから、キリスト教に関して言えば、本職の牧師・神父さんに聞いてくれ。
毎週、説教・礼拝があるだろう?
俺がそれを2日間で書き上げることなんてかなり無理してる。
また、体の調子が悪くなるかもしれないし、そもそも全員に言ってない。
だからこのブログ自体、有名になりたいとか、収益が上がって欲しいとか思ってない。
単に神様は素晴らしいと心から思う次第だ。
今回のテーマ、「許す心」だけど、聖書から何か引っ張ってくるのに適当な聖句はあるだろうか?
ちょっと検索するから待って、
はい、
もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しいかたであるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる(ヨハネの第一の手紙1:9)
ネット検索して拾ってきたわw
俺もこの箇所がどういう意味なのかが分かってないけど、神様に告白するなら全ての罪は許される。
汚い事でも、いやらしさも、罪のある事でも。
当然無罪放免ってのは無いかもしれないが、とりあえず許される。
散々、不義理を働いてる人より、当然、罪が清められる。
話しを横道に反らすと、今の若い子は人を信用してない。
常に誰かの代替をしていて、自分に非難が及ばないようにしている。
それはそれで賢いが、人生に何の苦労もしないで、価値があるか?
若い子は当然、それが正しいと思ってるし、高価であると思ってる。
でも年配の方からしてみれば、そんな奴、興味がなくなるだろう。
若い時苦労をして成功したっていうなら、話しとして価値がある。
でも、稼いで稼いで何の苦労もしなかった人が人の心を捕らえられるだろうか?
賭博黙示録のカイジの和也みたく。
話しが長くなってしまった。
ともかく俺は人として話す価値のない人とは喋りたくない。
黙るなとは言わないが、喋るなと言いたい。
俺の聞こえない所で喋って欲しい。
喋って欲しいと言ったが、今日、iPhoneでヘッドフォン聞きながら音楽を聞いてたら横からおじさんに「音が漏れる」と注意されてしまった。
その時は何も考えられず謝ったが、よく考えてみると、電車の中でパソコン開いてなにかやってるのも公私混同だと思うけどね。
駅のホームでやれよ。
なんで俺が配慮しないといけないねん。
幅とって邪魔でしかないんだけど。
それは俺が注意されたからムカついてるだけだし、私怨でした。
おっさんも出る所出さないと駄目だな?と思った水曜日の夕方でした。
イヤフォンでほとんど聞こえてないはずだが?
こっちは気を使ってイヤフォンしてんだから耳栓でもしてろよ