プログラマー35歳定年説
※注意
この記事はCOBOL技術者が読むと、非常に気分が悪くなりますので読まない出ください。
あと、自分はリアルではCOBOLERさん達とは仲いいです。
昔は、プログラマー35歳定年説って言葉をよく聞いた。
プログラマー35歳定年説を聞いた当時、凄く「なんでそうなるの??」って思って何故なのかを超調べて自分なりに理解できる答えを見つけれたので記事にしてみます!!
1.よく聞く説
「徹夜の多いプログラマー。35歳くらいから肉体的についていけなくなる」「常に最新の技術を追いかけていくのが辛くなっていく」
ネットで調べたらこの2件が良く出てくる。
ただ、この理由ってすごく取って付けた感じがする。
肉体労働でもないからそこまで体力使わないし、35歳になるころにはスキルもそれなりについて徹夜するようなヘマをふまないようになってるでしょ?それに技術者が技術を追いかけないとか医者が年取ったら医学に興味が無くなるっていうような話。
本末転倒だ。
と、いう訳でやたら「35歳定年説」をしょっちゅう口にするバブル世代のCOBOL技術者に色々とインタビューしてみた!
2.現場の話
COBOLERさんが言うには下記のとおり。
(※COBOLERとはCOBOL使いの事。コボラーという)
COBOLだけでずっと食べてきたが、世の中はインターネット時代へと移りつつある。
色んな技術に手を出そうとしても唯一できるのがVB6とAccessを使った業務システムの構築。
ただ、一生懸命学んだところでこれらの技術は新卒でも扱えるシロモノで、若い人達はさらに難しいJavaでWEBシステムとか作っている。
もう自分達が技術で勝負できる時代は終わったと大量に辞めていくバブル世代。
生き残ったのは管理職になれたエンジニアばかり…
3.新しい技術を何故身に着けないのか
さらにすごく疑問に思った。
そもそも35歳で定年になっちゃったプログラマさんには妻子持ちな人もいただろうし、仕事辞めるとなると人生大打撃。ベテランエンジニアなんだから若い人たちがしれっと使っているJavaで同じようにWEBをつくりゃイイじゃん?!
なんで頑なにJavaを拒否するんだろ?
Java触ると死ぬの??
そんなとき、「COBOLのソースを解析してJavaを書く」という仕事が自分の所に来た。
COBOLを読み解くとやっている事の単純さに驚いた
数千行のコードを解析した結果、やっている事は「SQL文一発で済む処理」
COBOL全盛期の当時はSQLのような便利なものは無かっただろう
そうだとしても単純な処理に数千行も記述が必要なんてナンセンスだ。
さらに処理をする前にファイルをソート(並び替える)処理とか
ジョブ同士を連携する処理とかもCOBOL以外の仕組みに頼っており、本当にCOBOLで実装している処理はコンピュータシステムの中のごくごく一部であった。
ふと、昔、上司のCOBOLエンジニアに聞いた不思議なセリフを思い出した
「複雑な処理はプロ(ベンダー)に全部やらせるんだよ」
この時、(プロって自分達じゃん。何いってんの?)と疑問に思っていたがこの時全てが解決した。
4.COBOLでやっていたこと
この画像をみていただきたい。
「処理フラグ」があるレコードに対して、「残高」から「引き落とし額」を引くという単純な処理だ。
処理フラグのあるレコードから引き落とし額が引かれて
残高が減っているのが分かりますねw
これ、SQL2発で終わりますよねぇ
最近のプログラミング言語で処理を書いたとしてメソッド内のソースコードは10行も行かない。
ただ、これ
COBOL的には1本のソースを組んだりする。
そして、このCOBOLソースが動くための仕組みをベンダーが用意する(エラーが起きた場合の処理等を実装したりね。今でいうI/Oの例外処理とかです)
SQLをちょろっと書けば終わる処理を
1本のプログラミングソースとして実装する時代があったのです!!
しかも複雑なI/Oエラー処理とかは全部ベンダーまかせ!!
彼らがWEB技術に手を出さない理由を聞くと
そもそもHTMLですら難しくて書けない!!
5.何故単純なプログラムが書ければ良かったのか
当時、COBOL技術者以外にもC言語技術者とかもいたわけですよね~。
その時のC言語技術者ってホントスキルが高い人が多い。
なのに単純なプログラムしかできないCOBOLプログラマーを大量に雇っていた企業は沢山あった。
むしろそっちの方が多かった。
一部上場している大手であってもそうしてた。
疑問に思った。
「そんな技術で大丈夫か?」
(競争に勝てなくない?)
6.当時のアドバンテージ
「大丈夫だ。問題ない。(古っ)」
なぜ大丈夫かというと当時(COBOLERさん達が大活躍していた時代)のIT業界におけるアドバンテージは「コンピュータシステムを持っている事」であったから。
「4.COBOLでやっていたこと」で書いた処理は本当にたいしたことない処理だけど、当時はみんな電卓でしていた。
それが機械でブワワワワーって処理して一瞬で終わる
ただただ、それだけで凄かった。
まぁそうですよね。
電卓をたたく人間の人件費だってバカにならないし
人がやる事だからある時急にミスが出たりする。
だから、自動で処理するコンピュータを持っている企業というだけでアドバンテージがある時代だった。
某大手企業もコンピュータがある事のアドバンテージを有効活用しようといて、凄く大きいコンピュータを沢山収容物凄い投資してた。
「コンピュータのみを入れるビル」
を建てていた(8階建てのでっかいビル)
十億や二十億のレベルじゃない。
大手企業はそこまでしてコンピュータを持ちたかった
そう。当時はコンピュータのある企業でコンピュータが触れればエンジニアとして認められるという世界だった。
7.ソフトフェア技術を軽視した時代
当時はハードウェア(コンピュータ)があればそれで有利だった時代なので、それこそ大量にCOBOL技術者を採用していた。
当時のCOBOL技術者が良く話す話題で「1行書けば100円もらえた」という話があります。
毎月1万行のクソソースをたれ流せば月収100万円プログラマです。
本当にクソソースをたれ流して100万円もらってたプログラマーさんが沢山いたそうです。
「プログラマ」という職種がバカにされやすいのもこういった時代があったからでしょうね。
そして、その甘い考えのツケが「プログラマー35歳定年説」として降りかかってきたのではないかと思います。
8.第二のCOBOLER世代
この話(35歳定年説の詳細)を聞いてから、自分は常に技術を学ぶべき事がエンジニアのとして生きていくうえで必須項目なのだと思った。
第二のCOBOLER世代にならないために
ブログで「個人で開発したよー」みたいなネタを載せているけど、常に開発して技術力をなまらせないためにやっている。
もちろん嫌々じゃなくて楽しくてやってるからなんら苦にならないけどね( *´艸`)
自分は常に意識している事があります。
エンジニアであることは常に開発を続ける事。
※この記事のネタの情報はネットで検索した情報ももちろんですが、COBOL技術者が生々しく話してくれた情報も多く取り入れております。
35歳の時に定年とならなかった彼らは若い世代に同じ道を歩まぬようにアドバイスをしてくれました。
そんな彼らに感謝を込めてこのブログを送ります。
(COBOLER見るな言うときながらこの文末www)
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