ひろすぎ海の呪一滴(たんぺん怪談)

不幸は突如、我が身に雨のように降り注ぐ。青信号なのに車にはねられるし、ハイキングコースなのに足をすべらせて川に転落したり。不幸は事故とも呼ぶし、あるひとたちにとっては、呪いとも呼べた。

極端な人口減少により今はすっかりひとがいなくなったある寒村。そこは海沿いの小さな港町で、漁師たちが船をだしていた。高齢によって大方の漁師は引退して年金ぐらしをしている。
そんな村でも、ちかごろは田舎暮らしに憧憬を抱いた若者などが移住してくることがある。村人たちは、極端に閉鎖的な村であるとはわかっていながら、とりあえずは彼らを歓迎するのが常のことだ。

さて、例の村には信号機がない、白線がかすれた横断歩道があって、古びたハイキングコースがあって、海もあるが後背にはそびえ立つような山岳もあった。村の医者はご老人がひとり、ちなみに無免許である。おなじく無免許のこれまたご老人のナースが常勤している。今では看護師をナースとは呼ばないが、この場合は彼女が自分をナースと呼んでいる。

ある朝、移住者の若者が海から担ぎあげられて、無免許医のもとまで運ばれた。
無免許医はペンライトで若者のひとみを照らし、まぶたを指で剥き、まんまるの眼球をしげしげと観察した。眼球は血管が血走って、ところどころが破裂して、若者の目はバケモノじみた真っ赤な目玉になっていた。
診察書に、呪い、と診断が書かれた。若者がぼうぜんと途方に暮れた。

「海には、触れちゃならん一滴があるもんなんだよ。どのくらいその数があるかわしゃ知らんが、その泡に触れりゃ祟られる。そういうものがあるんだよ。災難じゃなあお前さんは。こぉんなに広い海で、そういう泡に障わちまったやつ、わしゃお前さんでやっと2人目だよ。ああ、不幸な事故だよ、紹介状をかいてあげるから、山の向こうの神社さんに行ってき、わしゃあ、昔、若い頃にあんたと同じように祟られたが、神社さんでお祓いしてもらってなんとか一命はとりとめて、半年ぐらいで視力は回復したんだよ」

ま、参考程度に。ナースが言った。さらに、もうちょっとナースは言う。

「もしかしたら人魚姫が泡になったときの泡かもしれんよ。海にゃあなんでもある。人魚姫が消えちまうときの泡なら、人間を祟り殺すぐらいなんでもねぇことでしょうよ」

若者に、呪いの診断書と、神社への紹介状が手渡された。
そして無免許医の診察であるので、診察料は2万5400円ほどが請求された。まさに不幸! 事故!


END.


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