手話がつかえる人魚と、私の夢

童話作家アンデルセンは、ほんとうは、冒険家だったのだろう。なにせ、うちのママは人魚だから。

はじめ、うちのママは普通じゃないと気づいた。

わたしは子どもだったから、この場合の『普通じゃない』は皆と違う、という意味だ。しばらくして障害者という言葉を知った。そして、ああ、ママってこれなんだ……と幼心にショックを受けた。

うちのママはにこにこした笑顔が似合う。笑顔の思い出ばかり。手先が器用でしゅっしゅと色んな記号を指先で描いたり切ったりせわしく、それは手話というやつだった。
パパもに微笑みを浮かべて手をしゅっしゅさせる。私も、自然にいろんな手の言葉を覚えた。それは、うちのママがいるときに使う。幼稚園や小学校では、普通に、そう『普通』に声でしゃべって人と話す。

私ってやつはバカだ。ママが皆と違いすぎることが、妙に恥ずかしくって、授業参観日なんかは恥ずかしかった。誰かがママに話しかけるんじゃないかとヒヤヒヤしていた。

小学校高学年にあがるころ、でも私はママのさらなるおかしいところに、気がついた。ママは里帰りをする。数ヶ月のうちに何日間か、夏休みに何日間か、年末になると大晦日から正月まで、どこかへ消えてしまう。はじめはそれが当然と思えたけど、テレビでドラマやらアニメやら観るようになってこれが『普通』ではないと知った。

「パパ。どうしてママは、私たちを置いてどこかに泊まってるの?」
「陸地だからだよ。ママには海水が必要なんだ」
「??」

もしや……うちってパパまで、『普通』じゃないんじゃ……。

そう、思い始めるとき、私は中学校を受験して、合格して、中学生になった。あっという間に高校生だ。言葉を一切しゃべれないママとの手話ももう馴れて、障害者なんて単語を見ると『障がい者』になおしておきたくなるくらいには、ママも普通の人なんだと思えるほど成長できた。
ママは、普通。ただ、障がいがあるから、しゃべることができない。それでもママはママ。そういうもの。

ところが、ある日のこと、パパがドライブに連れて行ってくれた。夏休みのいつものママ不在の数日間のことで、パパは近場の海まで車を走らせた。

明け方の海は美しくて、日の出が海面をきらきらと格子状に光らせた。光のつぶが波と一緒に前後して、光は留まることを知らずに揺れている。
早朝の砂浜をパパと一緒に歩いていて、私は、とんでもないものを見た。

「あなた! ハルカ! こっちこっち」

見た。いや、聞いた。

「はじめまして――? っていう? ハルカ。でもハルカ、もう18歳だものね。あなたが、いつか子どもを産むとき、きっとこのことは影響がでちゃうだろうから、あなたは知る権利があるのよ。だって、あなたは、人魚の娘なんだもの」
『それ』は流暢な日本語でしゃべる。

ママの清楚な顔立ち、ママのぬばたまの黒瞳、ママのウェーブがかった腰まである黒い長髪、白い素肌、豊満な乳房……それをすべて剥き出しにして、下半身は、魚のそれだった。絵本で見たことがある。絵本から抜け出た、『人魚』だった。
波打ちぎわに魚の尾ヒレを繰り返し濡らしながら横たわる。両手を砂につけて上半身だけを人間のように持ち上げている。

私を人魚の娘といったママそっくりの人魚は、こうも言う。

「この姿ならしゃべれるの。ごめんね。ハルカ。ハルカ? 驚かせて、ごめんなさ、い」
「ママ――、ママの声?」
パパに、確認する。心臓が破裂しそうに高鳴った。
私は、その場に膝が崩れて、よくわからずに自分の顔を両手で覆った。どうしてか涙がでてきて、鼓膜がツーンと痺れて高音を響かせた。耳が遠くなって声がぜんぶ遠くなる。ママの声。ママの声!

その日、私ははじめて、ママとしゃべることができた。

その日、帰り道には、二本足に戻ったママとそのうえ素っ裸のママを大ぶりのバスタオルで包んで「車に着替えがあるよ」と言った男、私のパパ。三人? それとも二人と一匹? ともかくも三匹の私たちは自宅へと帰った。私は車内でめそめそと涙を目に貯めて、ママにずっと抱きついていた。ママはもうしゃべれなくなっていて、ニコニコしながら眉を少しかなしそうに皺寄せて、ずっと私の背中を抱いていた。

何度か、手話をきった。

――ごめんね。じぶんが、魚で。
――ごめんね。ずっと、黙っていて。
――ごめんね。ずっとずっと、愛しているよ。

私は、それから人魚姫の絵本がやたらと家に多いことに気がついた。帰宅してから何種類も本棚にあることに気づいた。ようやっと勘づいた。うちのママは最初からずっと人魚だった。だから、しゃべれない。人間になったかわりに、しゃべれない。
人魚のママは、その夜には二本足をチノパンに収納して、エプロンを巻いて、くちがきけない障がい者のママとして、手話とにこにこ笑顔で『夕食、なにがいい?』なんてパパと私に聞いてきた。

そして夜更けになっても、私は家中の人魚姫の絵本をずっと読んでいた。頭が真っ白にほうけて、目がちかちかして霞んだ。気づくと、涙がにじんだ。

なんでだろう。感動しているようだ。
人魚姫の作者の名前を、何度も確認した。アンデルセン。ホー・セー・アナスン。きっと彼は本当のことを知っていたんだ。
人魚姫は恋が叶わず、泡になって消える。しゃべれないために、王子に恋を告げられないまま。
でも、うちのママは、しゃべれないけれど手話がある。手話がある。手話があるから、私のママはずっと私と喋ってきたし、私と一緒に生きてきた。

どうしてだろう。涙がでる。感動してるようだ。

「人間って――すごいなぁ……」
ベッドに人魚姫の絵本、児童向けの、海外の洋書、マンガ版、とにかくたくさんの人魚姫の物語の本をひろげながら、私はその夜たくさん泣いた。手話があってよかったと、知らない誰かに祈って今のこの時代に感謝した。

高校の卒業式の日、パパとママがきた。『普通』の皆と同じく、『普通』のパパとママ。スーツを着て、にこにこして、しゃべらずともママは感情を手話と表情で話そうとする。初対面の父母にはパパが応対する。パパとママの、恋のお話、いつか私がもっと大人になったら、教えてもらいたい。きっとそれはどんな人魚姫の物語よりも私のこころに届く。
私をあたたかく、慰めて、希望と呼べるほどのおおきな感情を抱かせてくれる。

私は、大学生になった。三年生から専門が分かれる。福祉コースにするつもりだ。

ハローワークの職員スタッフになるのが私の夢になった。
障がいのある人に、きちんとした会社をあっせんして、彼女たち、彼たちに生きやすい環境をもってもらうことが、私の夢。たぶんそれは、パパがずうっと昔、ママにしたことだ。ママが私のママになれるよう、パパがそうやったのだ。

アンデルセンは、どうして人魚に出会って、どうして泡になったのを知っているんだろう。なにがあったんだろう。想像すると、怖い。物語を書かずにはいられなかった気持ちがわかる気がした。

でももう、現代じゃ、誰もそうはさせない。現代には手話がある。人魚姫だろうとアンデルセンが書き残した不思議な童話の主役たちのような、日本でいうところの妖怪のような存在、あるいは本当に人間だけど障がいがある人たち、そんなすべてのひとたちは、現代なら幸せになれる。
私は、そんなものを手助けできる人間――いや人間じゃなくって正確には、人魚の娘だったのだけど――に、なる。なってみせる。

きっと数年後、ママは、その日もにこにこして声をしゃべれないまま、でも幸せそうににこにこして、手話をする。

――いってらっしゃい! 私の宝物!

私も、いってきます、と手話を返す。大好きなママ、と返事をする。それってとっても素敵な話だ。きっとアンデルセンの夢見た未来が、ここにあるんだろう。
今日のところは、まずは大学に。福祉を学ぶために。
私の、大切な人魚たちの夢を、花咲かせるために。




END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。