人魚姫になれていたらの夢想
ああ、ルカちゃんが今日もケンゴと一緒に帰るそうな。春海は、一瞬、喉がつまって声がでなかった。ルカとケンゴは幼馴染みで、春海が高校に入学してきたころにはすでに付き合う寸前のような関係だった。
だから、2人が付き合ってる、とうわさが流れたら祝福が相次いだ。きっとあたしを除いて、と、春海は胸中に吐き捨てるしかない。ケンゴはぱっと見はモテるタイプではなく、強面の低身長男子という、小悪党じみた外見であるし、顔は頬が骨張っていて顎が引っ込んでいて鼻も低い。そんなに顔はよくない。ただ、目がきれいだ。ステレオタイプの不良で例えるなら、まちがいなく雨の日に捨て犬を見つけたら、捨て置けないタイプ。
春海は、ケンゴを大好きになった。きれいに活き活きとした眼差しの通り、ケンゴは心優しくて女子男子わけへだてなく誰かが困っていれば手を貸すやつだった。知るにつけ、ますます好きになった。
けれど、ルカがいた。
浅沼瑠華という名の彼女は、ほとんどずっとケンゴの傍らにいる。どちらから告白したかは春海は知らないが、恐らくケンゴだろう。ケンゴがルカを見るとき、その瞳には、優しさのほかに潤んだ憧憬が含まれていた。それはきっと恋の感情なのだ。
春海は、貝には、なれなかった。ケンゴに話しかけず、貝のようにただ、そこに沈んでそっと寄り添っているだけ、とは割り切れなかった。
毎朝、今日はもっとケンゴと話そう、ケンゴを遊びに誘おう、などと考えた。実際に、2人でゲームセンターにでかけたこともある。ケンゴがルカにラインしていたのを覚えている。
春海はそっと教室を抜け出して、近道の階段をおりて下駄箱に先回りをする。下駄箱をでてすぐの場所で、黒髪ストレートの小柄な可愛い女の子がカバンを両手に持って提げていた。ルカだ。春海は下駄箱をついたてのように利用する。自分の身を隠しながら接近すると、2年B組の下駄箱にケンゴが現われた。彼は、聞いたことがない声でルカに言う。
「るかぁ。待たせてごめんな」
「けんちゃん。うーうん。スタバ行く約束、覚えてるかな」
「新作がでたんだろ? 何度もラインで画像送るなって。しかも無言ラインで。わあってるって、付き合うよ!」
「へへへ~!」
ルカが歩き出し、靴を履き替えたケンゴが続く。
1年生の下駄箱側に隠れながら春海はこれを見送る。このとき、春海の脳裏に駆け巡ったのは、昔から妙に頭に残っていた童話だった。
恋が叶わなければ、泡になって消えるという悲しいお話だ。人魚姫。人魚である彼女は、人間の足を手に入れるために、自らの声帯を失った。だから人間になっても王子に話しかけられもせず、そして人魚に戻るために王子を殺せもせず、みすみす自らの命を見殺しにして泡と消える道を選んだ――。
「…………あ」
春海の右頬に、ぽろ、と涙が漏れていた。失恋の痛手がぎゅうっと凝縮された一滴だ。
それを指先にとり、ひとしずくを凝視する。
春海の視界はさらにゆがんだ。涙がまだこぼれそうだ。貝になれず、恋人になろうと奮闘したこの一年数ヶ月が頭に走馬灯になって流れた。すべて無駄だったんだ、これ。
ああ、ああ――、あ――、人魚姫になりたい。しゃべれなくて、ルカともケンゴともしゃべらずにいて、彼らの恋が成就したらば同時に泡になって消えるなら、よかった。
1年生たちの気配がするので、春海は上履きのままで校舎をでた。校門のほうにいけず、裏庭に逃げて呆然としていると、スカートのポケットにいれてあるスマホが震動した。ルカからだ。送られてきたのは、スタバ新作ドリンクの写真だ。トレイが手前にあって、おくのほうに、もう一人誰かのトレイが見えている。
ああ。あああ。人魚姫になっていたら……、春海は今さらながらに嘆いた。
もし、そうなっていれたら、今さら、彼女と彼に友達面をするハメになっていなかったのに。
下心がずきずきして胸を蝕んで吐息を暗くする。貝じゃ、まだそこに残るからイヤだった。人魚姫なら、消えてしまえるから、羨ましい。
恋とは、下に心と書いて恋であるとか、なにかで読んだ。春海はずっと下心しか持っていなかったから、もはやどこにも、逃げ道はない。
恋した彼と、奪った女と友人にならず、海の泡と消えた人魚姫はきっと賢い女だったにちがいない。
END.
読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。