夕暮れ駐在所にて(たんぺん怪談)

蛇を見たんだよ、駐在所に駆け込んできた村民が目を大きく開いて悲鳴した。次に走ってきた若者は、

「そこで人魚を見た!!」

と証言、もとい悲鳴を上げた。

駐在所はへんぴな田舎であって、ルールに則って警官一人の配置。二十四時間の交代制勤務、しかも二人組ではたらく交番のような多機能ぶりは、環境がゆえに承認されなかった。そうこうしている間に、駐在所は逃げてきた村民たちでぎゅぎゅうっとなる。アナコンダだ! キメラだった! 人魚ってキレーな女だろ! でも人魚としか言えねぇ!

好き放題に村人が叫ぶ。狂乱のなか、せまくるしい駐在所になんとも奇妙な這う水音が届いた。皆が、かん黙した。誰もが恐怖に肝を凍らせて身をよじる。駐在所のすぐ外で、どうやら湖か海から這い出てきたらしい、濡れた細長の巨大生物がその影を伸ばしていた。

真っ赤な夕陽が空にあがる。紅く染まるアスファルトに写る、異常な高身長のそれは、駐在所を目指して這っていた。目は蒼く、瞼は無く、まん丸い眼球を剥き出しにして、それは舌をちろりさせる。ピンクの臓器色をしている。乳房を垂らして、惜しげもなくヌードを披露する上半分。そして下半身は、確かに蛇であって魚であった。見分けがつかない。蛇にして魚である怪奇現象、それが姿をもったかのような怪物。

舌をチロチロさせながら、巨大なメス性のそれが村民でぱんぱんにふくらんだ駐在所を覗きこんだ。

パンパンパン!

発砲したのは駐在員である。今にも引き金から指をこぼしそうに動揺して、泡を吹いて駐在員は無我夢中で弾が尽きるまでそれを狙撃した。それは、しろい、漂白された体液を流した。舌をチロチロさせながら撃たれた巨躯をもんどりうたせるが、夕陽の輝きのなかに再び待ちなおし、村民および駐在員を絶叫させた。それが、ながい、長過ぎる手を伸ばし、子どもがおもちゃ箱を漁るようにして目当てのオスをひっぱり出した。鈴木さんのところのせがれだ。眉目秀麗、文武両道に優れ、東京で早稲田に通っている。村いちばんの出世頭などと呼ばれる、あの鈴木さんのせがれ。かわいそうな鈴木さんの子どもは、尿を漏らしながら、怪物の手に握られながら今逃げてきた道を引き戻されていった。

「おま、かぁい、がーあいいねええ」

怪物がしわがれた声でなにか言う。愛の言葉だったんじゃないかと思う。あとになって駆けつけた、町からの二人組の警察官に、何人かがそう証言した。水の濡れたあと、そして精液のような白い体液により、巨大怪魚蛇は湖から来たことがわかった。

それ以外は、鈴木さんのせがれの行方も含めて、すべて不明となった。未解決事件。翌年、あのとき駐在所に牛詰めになった村人たちは総じて逃げ出して引っ越していった。駐在員は、頭をおかしくして、今日もピストルを抱えてぶるぶるしながら駐在所に詰めていた。あの怪物。あれを仕留められなかったことが、駐在員の後悔である。

あるいは、あの時間にあそこにいた事そのものが、あの日あそこにいた全員の後悔でもある。鈴木さんは、自慢のせがれを駐在員と村人十数名によってあの日の夕暮れに殺されたとして、依然、相変わらず、弁護士を雇って裁判を起こそうとしていた。鈴木さんがなんだかんだ一番人が変わって狂ったな、なんて捨てぜりふを残し、引っ越しする奴もいる。


END.

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