山間のギョッギョッ姫

ギョ姫なる口伝が、ある山間の寒村に残っている。ギョッギョッと鳴いては畑をのたうちながら作物を荒らす。駆除しようという話は寄合所などで何度もでるが、一度も実行されずにきた。

ギョッギョッは、人間に似ているのだ。

下腹からしたは魚とも蛇ともつかぬものだが、上身が問題になった。頭の毛はざんばらのボサボサで身だしなみは最悪の極みで獣臭がするが、頭部は人間とそっくり同じに見えた。つまり、瞳と顔があって、頭にくっつくゴミの如くボサボサは頭髪に見えうる。

足がないから地を這う、野生どうぶつの人間版とも見えたのである。

だから、駆除はきもちがわるいという話になる。ギョッギョッと鳴くそれに作物を与えると、大事そうに腕のさきの指で抱えて『それ』は食をむさぼる。すると、山を登って帰って行く。人間に似ているが、似ているだけで別ものなんだろう、大方の村民の意見はそんなところだ。ギョッギョッなる生き物が正体不明でわけがわからないから、神様に格上げされる、それは時間経過とともに起こるし日本人の神話観からすると自然のことだった。

誰かが言った。

「あいつ、人魚なんじゃねえか?」

「ばか。ニンギョつうのは海に出るし、目を疑うほどの美女のカラダがあるんだろ。あいつじゃせいぜいヤマンバだ」

ギョッギョッは週に一度くらいは現れる。誰かがまたニンギョ姫などといぶかしがるから、いつの間にか神様らしき異形のそれはギョ姫という名前で呼ばれた。ギョ姫。人魚姫とは違うけれど、似ているから。

村の近代化が進むにつれて、ギョ姫は姿を見せなくなっていったが、山の麓にいちばん近い佐藤さんの邸宅には今もギョ姫が現れる。佐藤さんにすれば昔話の口伝ではなくて、こんにちにつづく、現実だった。

広大な畑を所有している佐藤さんは、ギョ姫に供物を与えて、ギョ姫が食べているときは手を合わせて拝んでいる。

八百万の神とはこのようなお方を言うんだろうな、と、佐藤さん。かつては村全体の信仰心を集めたギョ姫であるが、いま、ギョ姫は佐藤さんだけの神様になっていた。誰かは言うかもしれない。

「それ、邪教信仰なのでは?」

佐藤さんは、もし面と向かって言われたなら、違うと答えるだろう。ギョ姫は八百万の神様なんだぞ、と。

佐藤さんは、ギョ姫の最後の信徒である。


END.

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