ピーターパンの殺人は趣味に思われたが
人見知りなので人を知りません。他人を知りません。けれど、親も亡くなり、さびしくなり、でも、誰かと仲良くなるやり方が、わかりません……。
小学生だろうか。
いや、50歳を越した人間の現実である。おとぎ話ではなくて、単なる現実で、残酷な結末もなにもなくただ虚無感のただよう、無為な現在進行形の無であった。
これは、おとぎ話ではない。
おとぎ話は子どものもの。
大人の見るおとぎ話は、妄想、精神に支障をきたしている、人格にほころびがある、悲しいものを連れている。おとぎの国と毎日いっしょに歩いているのに、おとぎ話のなかの住人みたいなのに、でも、現実のすがたは50歳を過ぎた、おとな、ダイのオトナであった。
人は、それを、不審者などと呼ぶ。
ケースワーカーのミチは苦い顔でニュースを見た。女子誘拐事件は気になっていた。犯人が捕まって、それは女子の証言によるもので、ハダシで歩いていた女子は大人の誰かに保護されたので、こうなった。
悪人を捕まえるハッピーエンドである。モノガタリとしても。めでたし、めでたし。終わりの時間。
けれど、ミチは、もはやため息も出なかった。現実のすがたは残酷すぎて。
犯人の人間は知っている。
引っ越す前に担当したことがあった。
犯人の供述が、テレビのテロップに流れていた。
『友達になれると思った。』
おとぎ話に住んでいると、たぶん、気がふれるのだ。
そこは、子どもだけの世界だから。
原作のピーターパンも、集めた子どもが大人の年齢になったら、殺害するワケである。
事件になるから先にヤッただけだ、あれ。
END.
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