⑭戸籍がなかった理由
まず、もうこれを書いてある時点で戸籍を作ってから12年経ってしまったので色々順番が定かでない部分や当時からよくわかっていない部分もありますが自分の言葉で感じたことや事実を書きますね。
この世に存在していないと発覚して
児童相談所の人や施設の先生、家庭裁判所など様々な人が私のために動いてくれました
当時私は17歳
母はすでに亡くなっており、
父とは私が小学校5年生の時に出て行ってから
一度も会ってはいませんでした。
(小学校5年で出て行きはしましたが母の亡くなった際に遺骨を勝手に持ってしまった、、など会ってはいませんが間接的なエピソードは多々あります...)
そんな中どうやってできるのかと不安でしたが、さすがプロです。ちゃんと調べていただき、
わかった事実、
母が私が名乗る誕生日にとある産婦人科で女の子を出産していること
その事実が分かっただけでもホッとしました
もちろん、産まれた時の話は父や母が生前の時に色々聞いていました。
写真もあります。産婦人科で私であろう赤ちゃんが寝てる写真があったのですが寝ている私のベットの上部に貼られていた苗字らしきものが、今の私が名乗っている苗字ではなかったのですが、
小さい頃は気に留めてなかったです
自分も子どもを出産した今となってはおかしいポイントですよね
あとは、母が私を産んだ時、前の旦那となかなか別れられなかったかなんだかで、でも出産してすぐ正式に別れられたけど、ここで出生届を出してしまうと法律上、前の旦那との子どもになってしまうという
いわゆる、
「離婚後300日問題」
って事で出生届をだせなかったのではと
↑これは色々調べての児童相談所の見解なのか、父と児童相談所の話し合いでわかった見解なのかはあいまいですが私はそう聞いた記憶があります
だとしても、のちに離婚できてしばらく経った時に出生届を出す手続きをしてくれたらよかったのに、、
ってそもそも、父と母も結婚してなかったって事もなぜ?ではあるんだけども、、
ってなわけで、母が亡くなっている今、
生きているのは父だけ!
私は父と6年ぶりに家庭裁判所で
会う事になりました
実際に会うのは小学校5年の時以来、6年ぶりでしたが、私が児童養護施設に行ってからも、父は施設にいる私に会いに来ていました。私がどこの施設にいるのかとか、どう調べたのかはよくわかりませんが。
父は会いに来る時も毎回毎回酒を飲み呂律が回らない状態でした。(対応した施設の先生が私に状況を話してくれました)
私も会いたいか聞かれたと思いますが、
怒りと怖さと不安とさっまざまな感情でどんな言葉でもうまく表現できませんが、当時は会いたくないと話していました。
その為、会う事はありませんでした。
酒がぬけた普通の状態だったらあっていたかもしれませんし、会ってなかったかもしれません。
私は私で1人でいろんな思いをかかえて本当に寂しさに押しつぶされながらも1人で前を向いて進むしかない状況の中、母の写真をみて涙を流しながら頑張って過ごしてきました。
遺骨だけ持っていって、パッと現れて、しかも酒が残ったまま会いたいはさすがに受け入れられなかったのが正直なところです。
話を戻します、
DNA鑑定をして父の籍に入るために
もちろん当時も父の苗字を名乗って生きてました
父と会うのに怖さや不安や心配、多少の喜びや大きな怒り、色んな思いが込み上げてはきましたが、
パスポートを作るにも、もちろんこれから生きていくにもこのまま無戸籍の状態なわけにもいかないですし
6年ぶりに家庭裁判所で会った父は痩せて、当日はアルコールも抜いていたのか顔色も状態も至って普通だったと思います。
これで戸籍もできるし、修学旅行にも間に合いそう!そんな思いで、親子ながら互いに緊張しながら、一緒に行ってくれた施設の先生が今の私の様子を父に伝えてくれて、わたしが頷いて、、みたいに多少会話をしたのを覚えています
そして、また鑑定結果の日にと
別れて帰りました
これで安堵できるはずだったんですけどね
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