仙台高決平成30年12月11日金法2139号88頁をめぐって ・・・倒産手続開始不申立て合意の解釈と効力
倒産手続開始不申立合意に関する裁判例が金融法務事情に掲載されましたので、その内容と感想を備忘録的に書き留めておきたいと思います。
1 事件の概要
債権者による破産手続開始申立てにより、破産者に破産手続開始決定がなされ、これに対して、破産者が即時抗告を行いました。
破産者の主張の大きな点は次のとおりです(このほか破産原因の存在も争っていますが省略します。)
① 債権者は、破産者に対して次の内容の誓約書を提出している。
(a) 債権者は、債務者に対するすべての請求を放棄する。
(b) 債権者は、債務者に対して金銭請求を含む一切の訴訟提起をしない。
② この誓約書により破産手続開始申立権を放棄したのに、破産手続開始申立てをしており、破産法30条1項2号の「その他申立てが誠実になされたものでないとき」に該当し、破産障害事由がある。
2 裁判所の決定
裁判所は、破産者の即時抗告を棄却し、破産手続開始決定の効力を維持しました。
破産者との主張との関係では次のような判断をしています。
① 誓約書によって、債権者の破産者に対する債権は放棄されたが、誓約書の日付以後に新たに債権が発生している。誓約書の解釈として誓約書の日付以後に生じた債権にまで放棄の効力は及ばない。
② 誓約書の「訴訟の提起をしない」ということには倒産手続開始申立てをしないことは含まれない。
③ その他破産障害事由となるべき事由は見当たらない。
それほど大きな違和感のある判断に思えます。同時に、決定の内容を見るといくつか気になることが書いてあるようにも見えますので、以下気になるところをいくつか検討してみます。
3 決定の論旨の検討
(1) 倒産手続開始不申立合意と破産障害事由の関係
この決定では、倒産手続開始不申立合意がある場合に、その効力を直接論じるのではなく、かかる合意が存在するのに破産手続開始申立てをすることが、破産障害事由を生じさせるかという構成をしているように見えます。
もっとも、決定文の事案の概要を見る限り、破産者《抗告人》の抗告理由に沿って判断したというにすぎないものと思われます。
一般に、債権者と債務者との間の倒産手続開始申立てをしないという合意は、少なくとも一定の範囲で効力があるというのが多数の見解かと思います。これは、倒産手続開始申立てを行う権利は債権の内容の一部であり、債権者が自由に処分できる性質のものであることによります。
債権者による倒産手続開始不申立て合意があるにもかかわらず、その債権者が倒産手続開始申立てをしたときは、不起訴(訴訟不提起)の合意の場合を参考にして考えると、裁判所は端的にその合意の存在を理由として倒産手続開始申立てを却下してしまえばよいように思われます。理論的には、破産障害事由としての「不誠実な申立て」を論じる必要はないと思いますが、本件では裁判所は抗告人(破産者)の立論に対応した検討を行ったためにこのような整理になったように見えます。
なお、裁判所としては誓約書の解釈として倒産手続開始不申立ての合意を存在を明確に否定していますので、条文上の破産障害事由を経由するかどうかは結論に影響を与えないように思われます。
(2) 倒産手続申立てと訴訟提起の違い
この決定では、誓約書の解釈を行うにあたり、誓約書の日付時点で存在する原因事実に基づいて民事訴訟を提起しないことが合意内容だと示したうえで、以下のように述べています。
これに対し、破産の手続は、開始申立て債権者の利益のみならず、総債権者の利益実現を目的とし、加えて、破産者の資産を保全・増殖して、それをすべての債権者に平等に分配するという機能を有するから(証拠引用略)、本件不起訴合意条項の文言に示されていないにもかかわらず、本件不起訴合意条項によって破産手続開始の申立てが制約されると解することは相当ではない。
注:本件不起訴合意=誓約書中の「一切の訴訟提起」をしないとの合意
本決定の中での以上の記述は、一見すると、破産手続の性質上、破産手続き開始申立てをしないとの合意が困難であるとも読めなくもありません。
しかし、この記述はあくまでも「一切の訴訟提起」をしないとの合意に、破産手続開始申立てをしないとの合意も含むかという検討の文脈で行われたもので、それ以上の一般論などを述べるものではありません。
事案の判断としても、誓約書に倒産手続開始不申立ての合意は含まれないとの解釈は正当なものと思います。「訴訟」という文言に倒産手続開始申立ては含まれず、本決定の上述の箇所のように訴訟と倒産手続開始申立ては機能を大きく異にします。権利放棄条項の解釈は限定的に行うべきということとも整合しているでしょう。
本決定は倒産手続開始申立て合意の有効性については何も述べておらず、誓約書の解釈として、そのような合意の成立を否定したというにすぎません。
(3) 将来発生する債権に基づく倒産手続開始不申立ての合意の効力
本決定では、(2)で引用した箇所の直後に次のように述べています。
まして、相手方が、本件誓約書の作成日付である平成30年4月11日の翌日である同月12日以降の原因に基づき抗告人について破産手続開始の申立てをすることは、本件不起訴合意条項によって何ら制約を受けることはないと解される。
もっとも、この一文が何を意図したのかは不明です。
議論の進め方をみれば、そもそも誓約書に倒産手続開始申立ての合意は含まれないと判断しているのですから、結論を出すのにこの一文は不要です。また、事案の判断を行っている箇所であることから、将来生じる一定の範囲の債権に基づく倒産手続開始申立てを行わないとの合意の効力を一律に否定しているものとも読めません(また、そのような合意の効力を一律に否定すべき理論的な根拠もありません。)。
本件では、誓約書のもう一つの内容である請求放棄条項について、誓約書の解釈として放棄の対象に将来発生する債権は含まれないとしており、その点とのつながりを考慮したのかもしれません。
しかし、この一文は結論に至るためには不要な議論であるばかりか、請求放棄条項との関係を議論しているのか、誓約書の本件不起訴条項の解釈を行っているのかすら明確ではない、中途半端なものになってしまっています。この一文は不要であり裁判所の筆が滑ったと言わざるを得ないように思います。
この一文が将来生じる原因に基づく倒産手続開始不申立合意の効力を否定する先例的な意味はないといってよいでしょう。
4 ここまでのまとめ
以上のように、本決定は債権者・破産者の間の合意の解釈として倒産手続開始不申立て合意が存在しないと判断して、破産者からの即時抗告を退けたものであり、それ以上のものではありません。
決定文の中には一部誤解を招きかねない記載もあるものの、この決定によって債権者の倒産手続開始不申立て合意の効力について何らかの一般的な判断がくだされたものではないとの位置づけでよいと思います。
5 付論 倒産手続開始不申立て合意の効力とその限界?
先に述べたように、債権者による倒産手続開始不申立て合意は、理論的には債権の内容の一部で債権者が自由に処分可能である以上、原則として有効であると考えられています。
また、実務上、特に倒産隔離されたSPVを用いた取引については、SPV内の資産が不足する場合の処理が事前に関係当事者間で合意されており、倒産手続での処理がその合意に優先することは不適切と考えられたことが、倒産手続開始不申立て合意の有効性の議論を後押ししてきたように思われます。
SPVについて、関係当事者間の契約どおりに適切に履行されている場面(債務不履行時に予定通りに財産処分や分配をすることを含みます。)では、債権者による倒産手続開始不申立て合意の有効性を認めて、SPVに倒産原因がある場合でも、かかる合意を締結した債権者からの倒産手続開始申立てを裁判所は却下してよいと思います。
しかし、関係当事者間の契約どおりにSPVによる履行やSPVの財産の管理されていない場合やその疑いが強い場合にはどうでしょうか。この場合には債権者としてはSPVに倒産手続開始を申し立て、裁判所の選任した管財人により財産の管理処分を行わせ、債務者の財産管理の状況を明らかにするよう求めることは当然の権利のように思われます。
法的な構成としては、次のような立論がありえましょう。
① 倒産手続開始不申立合意の解釈として、このような場合は不申立ての合意の範囲外であるとする。
② 関係当事者の契約どおりにSPVによる履行やSPVの財産管理がなされていない場合やその疑いがある場合には、債務者であるSPVは倒産手続開始不申立て合意の存在を理由とする、倒産手続開始申立ての却下を信義則上主張できない。
③ 倒産手続開始不申立て合意は、倒産手続の控除としての性格上、関係当事者の契約どおりにSPVによる履行やSPVの財産管理がなされていない場合やその疑いがある場合は、効力を生じない。
この点をどのように考えるべきかは悩ましいところです。
債務者の財産管理などが不十分であったり不正が疑われるような場合の倒産手続の存在意義と、債権の内容としての処分可能な倒産手続開始申立ての権利の関係をどのように考えるべきかはむつかしいところです。
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