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猫を愛する人に捧げる2つの話:その2

(タイトルで謳っている通りの内容で、引き続き猫を好まない方への配慮はいっさいありませんが、どうぞあしからず)


かくも人の心の優しさ温かさを導き出す猫とは何者なのか

episode2では、こちらも代々の猫を愛した森本家(仮)最後の猫、たまちゃんのお話が続きます。

たいへん恐縮ですが、お話の行きがかり上episode1を先にお読みいただきたく、ご案内申し上げます。 まだ読んでないかたはこちら。↓
猫を愛する人に捧げる2つの話:その1|日々樹(ひびき) (note.com)


episode1のみこちゃんに続き、これからご紹介するお話も、猫と人を繋ぐ愛を記録するもので、わたしが体験した真実の物語です。


episode2 森本家(仮)最後の猫・たまちゃんの話
わたしが子どもだった頃から、森本家にはたくさんの猫たちがいた。
ほとんどが保護猫だったが、当時よく見掛けたような日本猫だけでなく、毛がフサフサの優雅な猫や、シャム猫みたいなのもいて、その子たちがソファーや階段でたむろしている様子は夢のようだった。常時10匹近くは飼われていたように記憶する。

あの頃は、一般にどこの家でも、猫は外に放してあった。
猫用の通路を家のどこかに開けておいて、猫が家に入って来ると餌をやったりかまったりして、猫が飽きると勝手に外へ出て行ったものだ。
トイレなども無責任なものだった。

そんな時代に森本家では、猫たちを外には出さず完全に家猫として飼っていた。
とにかく森本家の人たちは猫好きで、そのうえきれい好き。
ピカピカのお部屋でピカピカの猫たちと遊ばせてもらえるのが、わたしは嬉しくてたまらなかった。
森本家のおばさんは、仕事を持っていて忙しかったが、森本家のお姉さんがいっしょによく遊んでくれた。心愉しい記憶だ。

時は流れ、お姉さんは就職して東京で一人暮らし。わたしも結婚して地元を離れた。
けれども時に、お互い一緒に、猫たちがおおぜい暮らす森本家に帰って、近況を語り合い、猫たちと昔のように遊んで、ノスタルジックな時間をたのしんだ。森本家の猫が亡くなったと聞くと、わたしも線香をあげに行った。

昔は、森本家の猫は数が減ることがなかった。たぶん猫が死んでも、また新しい迷い猫を、どこからか連れてきて家に迎えていたのだろう。
不妊手術を受けさせる前のメス猫が、閉め忘れた窓から姿を消してしまい、しばらくしたら、仔猫を3匹連れてフラリと帰って来たこともあった。全員まとめて引き受けた。

しかしさすがに、おばさんが高齢になってきてからは事情が違った。
高齢な猫が順々に亡くなり、それにつれて森本家の猫は3匹にまで減っていた。
おじさんも亡くなった。

ひとりになったおばさんも、実は命にかかわるような病気を患っていた。
足にも病気が見つかり、歩くのが辛くなっていた。
治療を受けながら、3匹の猫を大事にお世話して、暮らしていた。

猫のほうも高齢になっていたので、腎臓が悪かったり、歯が悪かったりして、動物病院に連れて行かねばならない機会が増える。
そんな時は、森本家のお姉さんが東京からやって来て、猫が入ったキャリーバッグを抱えておばさんといっしょに病院へ行った。

森本家にはもう一人、お兄さんがいた。こちらも仕事の都合で東京暮らし。
お母さん思いで、何かにつけてお金を送ってくれるイイところもあるのだが、猫に対しては少し冷たかった。

3匹の猫のうちの1匹が死んだのは闘病の末だった。
もう1匹は老衰で静かに死んだ。
おばさんは次々と猫を見送って、とうとう最後の1匹になってしまったたまちゃんをますます可愛がった。
たまちゃんは、きょうだい猫が病むたびに、そばに付き添っていつまでも離れない、やさしい猫だった。


ちょうどその頃、おばさんは自分の病状も悪化して、検査や治療に追われがちになっていた。
お姉さんがいつも付き添って、医師の話を聞いていたが、近い将来には入院も考えねばならないような容態だと説明された。

おばさんは、たまちゃんを置いて入院など出来ないと、はねつけた。
たまちゃんはたまちゃんで、元来から腎臓が弱かったうえに高齢猫だったので、こちらも医者通いとは縁が切れない。
飼い主と飼い猫は、お互いに同じ境遇に陥って、傷をなめ合うように寄り添っていた。

おばさんとたまちゃん、それぞれの通院を、お姉さんが東京からやって来て支えた。お兄さんも車で送迎をしてくれるようになった。
そしてある夏の日に、おばさんは倒れた。
病院に運ばれて検査を受けた結果は、ステージ4の胃癌だった。

駆け付けたお姉さんは、おばさんに必要な物を揃えて、もろもろの手続きを済ませて、その足で実家に向かった。
たまちゃんに水とごはん。トイレの砂をきれいにしなきゃ。
猫缶をお茶碗に移しながら、涙がにじんだ。

この日から、
お姉さんは仕事帰りに電車を乗り継いで、毎日たまちゃんの所に通うようになった。お姉さんの家はペット禁止のマンションだった。
往復の時間はキツいけど、たまちゃんを放ってはおけないし、何よりたまちゃんの顔をみると、一時だけどお母さんへの心配が和らぐ。
ごはんとトイレが片付いても、なかなか傍を離れられず、お姉さんが東京の家に帰り着くのは、日付けをまたぐ少し前になることが多かった。

一方で、お姉さんはおばさんの今後についての対応を迫られていた。
入院先の病院から、ホスピスに転院するように勧められたのだ。
そんなことはどこ吹く風で、おばさんはたまちゃんのことばかりを心配していた。
「たまちゃんが家にいる間は、死ねないわ!」
おばさんは、治るつもりでいたらしい。

お姉さんが毎日たまちゃんの所へ通うようになってから、またたく間に1か月が過ぎた。
お姉さんは、わたしの所に「お留守番を頑張るたまちゃん」の写真をLINEで送ってくれるようになった。命の日記のようなその写真を見て、わたしはたまちゃんとお姉さんを静かに応援した。
(体を壊さないで‥‥)
このままずっと通い続けるのはどう考えても無理だ。お姉さんが何かいい手はないかと調べたら、実家の近所にペットシッターをやっている所が見つかった。
お金はかかるが有り難い。

そして東京のお兄さんも、たまにはオレがたまちゃんの世話に行くよと言って、仕事帰りに車を走らせて実家に行ってくれた。
これが間違いだった。

お兄さんは、実家に行き帰りの路上でたまたまなのか、大渋滞に巻き込まれ、「あんなことは二度とできない!」と怒った。
「お前も、あんなことを続けていたら、いまに死ぬぞ!」
そして、お兄さんはペットの終身ホームというのを捜し出して来て、もう次の休みには申し込みに行くと断言した。

ペットの終身ホームは、事情に迫られて利用されるかたも多く、一概には言えないものの、お姉さんがよくよく調べたところでは、ケージ飼いが実情。某施設では300匹の猫を4人でケアしているとの状況で、たしかに餌とトイレのお世話は保証されるものの、手元の愛猫を託して明るい気持ちになれる場所ではなかった。(一部情報です)
面会もできると言うが、お兄さんが勧めるホームは片道300㎞ほど離れた他県にあった。
そんな所にたまちゃんを入れてしまったら、二度と会えない。

「オレが入所金50万を出してやるから、きまりな!」

おいそれと、たまちゃんをそんな遠くにやってしまうなんぞ、出来るもんか。お姉さんは、必死に考えた。
里親さんを探すしかない。
早く、誰か、見つけないと、次の休みにはお兄さんがたまちゃんを連れていってしまう!
知り合いに片っ端からあたったが、ほとんどが二つ返事で断られる。
わたしの所にもお姉さんから話があった。
うちでは飼えないので、わたしも知り合いをあたったのだが、なにしろ大急ぎをして焦るばかりだった。

まさにその時、
病院でおばさんが息を引き取った。

家にいるたまちゃんの事を案じてたおばさんは、最期のほうになると、「今はたまちゃんがずっとそばにいる気がするの」と穏やかだった。
お葬式が終わると、おばさんの遺骨はたまちゃんのいる実家に帰って来た。

お姉さんは相変わらず、通い続ける。
たまちゃんのごはんと、おかあさんのお線香。
お葬式を出したりして、お兄さんもショックだったのか、たまちゃんの施設送りの一件は下火になっていた。

今のうちに、早く里親さんを探さなければ。
お姉さんの心は、おかあさんを失って、もぬけの殻になっていた。
それでも必死に仕事に行き、毎晩実家にも通っていた。
お姉さんの姿を見るとたまちゃんは「おかあさんを連れてきてくれたの?どこ?どこ?」というように、しばらく探すのが常だった。
お姉さんは、広い実家でポツンと待つたまちゃんを抱えて、たまらず泣いた。遺骨をさわらせて「これがおかあさんだよ」と話しても、たまちゃんにはわからなかった。

夏のある晩、わたしが風呂上りに炭酸水を飲んでゆっくりしていると、お姉さんからの電話が入った。

「今ね、たまちゃんと別れて帰るところ。お月様がきれいだよ。
昔、わたし達が通った小学校の前を、歩いてるんだ‥‥」

懐かしさと切なさが、一気にこみあげた。
窓を開けて夜空をあおぐと、きれいなお月様が中天に昇っていた。
こんな時間に、お姉さんはまだ外を歩いていたのか。

「月も、樹も、変わらないのにね、わたしたちは何処に行くんだろう」


里親さん探しは進捗しなかった。
おしいところまで行くのだが、決まりそうで決まらない。
ひとり、隣町の町内会で相談役をしている人がいた。
たまに「まだ見つからないの~~?」などと連絡をくれる。陰ながら協力してくれる人だった。
「ダメです‥‥。おまけにね、あのお兄さんが、またぞろ遠い施設にたまちゃんを連れて行くって、騒ぎ出したんですよぉ~(涙)」

お兄さんは、実家に放置されるたまちゃんと、そこに通い続けるお姉さんに、業を煮やしてキレていた。
「オマエがやってることは虐待だぞ! 自己満足だ!」
里親さんを見つけるから待ってくれと行っても、耳を貸さない。
とうとうお兄さんは、次の休日にたまちゃんを施設へ連れて行くことに決めてしまった。

お姉さんはさすがに落胆した。里親も探し尽くした。もうあてが無い。
わたしも探し尽くして、力を落としかかっていた。
今日は水曜日だ。もう間に合わない。

その時、例の隣町の人が「まだなの~~?」と来てくれた。
わたしは、もう時間が無いですと伝えた。諦めますと言ったかもしれない。
「‥‥でも、遠い施設じゃ、かわいそうだねぇ」
その人は遠慮がちに申し出てくれた。
「見ず知らずの人にもらわれるのはイヤですか?うちの町に『いらないモノのネットワーク』ってのが、あるんだけど、そこに出してみない?」
やめてくださいよ、『いらないモノ』なんて、いくら何でもひどいな。
説明は続く。
「不用品の交換情報はもとより、犬猫の里親募集の投稿も多いんですよ。それがけっこう決まるんです。市長も時々コメント入れたりして、地元では評判のいいサイトなんですよ。」

へーーー。
ですけど、もう3日しか無いのに、まさか見つからないでしょうよ?

お姉さんにこの提案を連絡して、すぐに承諾をもらった。
隣町の人は家に帰って、自分のアカウントからすぐにたまちゃんの里親募集の呼び掛けを開始してくれた。

「今ね、たまちゃんの記事を5人の人が見てますよ!」
隣町の人から知らせが入った。
「たまちゃんのカワイイ写真をもっとください!」
「エサ代3万くらいつけられませんか!」
隣町の人から続々とオーダーが飛んでくる。
「今ね、18人の人が記事を見てますよ!コメントも入ってます!」
投稿開始後、2時間しか経っていなかった。
「たまちゃんを貰う事はできないけれど、応援しています」というコメントも、多数入っているという。目頭があつくなった。
そして3時間後に、あっけなくたまちゃんの里親さんが決まった。
その後にも、続々と声が上がり、「もしも里親さんと相性が悪くて破談になった時にはうちで迎えたい」という補欠候補まで現れた。

たまちゃんをもらい受けてくれたのは、中高生の子どもさんがいる主婦のかたで、州々井さんといった。
とても猫が好きな一家で、保護猫を飼い続けて長く、子どもと猫がいっしょに育ったようなお宅だった。その時には2匹の猫を飼っておられた。

お兄さんの車に乗せられて、たまちゃんは州々井さんのお宅へと引き取られて行った。お別れの時のたまちゃんはあっさりしていて、お姉さんは拍子抜けしたが、内心ほっとした。
わたしはうきうきしていた。
何故ならば、洲々井さんのお宅は、わたしの家からバスで15分ほどの近所だったからだ!遠くへ行って会えなくなるかも知れなかったたまちゃんが、うちの近所に引っ越して来るなんて。猫の神様ありがとう!

その後、洲々井さんのお招きに甘えて、たまちゃんの面会に伺った。
もちろん、わたしも一緒だ。
お姉さんの実家にいた頃のたまちゃんは、おっとりした温和おとなしい猫だった。14歳の老描でもあった。
それが数か月ぶりに再会したら、全く様子が違っていて、感動のご対面どころではなくなっていた。
突然の来客に興奮したのか、たまちゃんは洲々井さんの広いリビングをとび回り、ちゅーるを出されると、2匹の先住猫をさしおいて飛びついていた。
お姉さんは恐縮して「たまちゃん、いけません!ちゃんと序列を守って!あなたは最後にこのおうちの子にしていただいたんだからねッ!」
禁止しているキッチンカウンターの上にも、たまちゃんはひらりと飛び乗った。「ひゃあ~~~」(お姉さん)
「いいの、いいの、たまちゃんは特別よ♡」(洲々井さん)
たまちゃんはずいぶん贔屓ひいきされているみたいだった。

ひととおり暴れると、たまちゃんは窓際の猫ベッドに行ってごろりと横たわって、静かになった。まるで何年も前からこの家にいるかのようなふるまいで、先住猫をじゃっかん圧倒しているようにすら見えた。
「たまちゃんは女王様キャラなのよねぇ~🎵」
と笑う洲々井さんとたまちゃんを見て、お姉さんは絶句していた。
想像を絶するキャラ変だった。

洲々井さんのお宅では、とくに中学生の娘さんがたまちゃんを気に入って、とても可愛がってくれているという事だった。
腎臓がもともと悪かったたまちゃんは、その年の冬を越して3月の春を目前に、あっけなく亡くなった。
最期まで娘さんの腕の中に抱かれていたという。



かくも人の心の優しさ温かさを導き出す猫とは何者なのか


人の心の中には、元来きたない物、みにくい物が、いくらでも入っている。
それらをことごとく、猫は浄化してしまう。
ちっぽけで、無力な猫なのに、人の心にある愛を呼び覚ます。

漫画家つづ井氏の言葉を借りれば、「愛猫とは愛が猫のかたちをしたもの」で、それはもう姿かたちを超えた魂の共鳴に他ならない。(と思う)
少なくとも、生涯を共にした猫と人は、その境界を意識することが無くなるように見受けられるものだ。

よく、「猫の手でも借りたい」などと言うが、人はそう言いながら傍でうろつくだけの猫に癒され励まされて、自分を見失わずにやって来れた。
猫の手は、人には見えないけれどとっても大きくて人をすっぽりと包み込む。どちらが飼い主かわからなくなる。


かく言う自分は、訳あって猫を飼えない者なので、よその猫にちょっかいを出して無責任な愛をあたためている。
野良猫は、そばに近づけば逃げてしまうし、遠くから見ているだけでも不機嫌そうにされる。目を合わせたら怒られるから、ちょっと寂しい。けどやめられない。

その点、よそのお宅の飼い猫には、多少愛想のいいのも居て、慰められる。
慣れた飼い猫のなかには、近くに来てこちらの目をじっと覗き込んだまま動かないようなのが居て、そんなふうにガン見されると、猫独特の美しい瞳に釘付けになって見とれているうちに、こちらの心の内を吸い取られるようでボーッとしてしまう。そしてそんな時わたしは、自分が人間であることを忘れる。



猫を愛する人へ。
ささやかなあなたの心がはじまりで、たくさんの生きものの絆がうまれ、人も猫もなにもかもが分け隔てのない世界を、この世に映し出して、愛で満たしてくれる。
その心と行いに、深い尊敬と感謝を捧げつつ、猫たちの幸せをこれからも願ってやみません。

 


                         photo by庭師さん

°✧°✧ 長い話を最後までお読みくださり、ありがとうございます °✧°✧





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