挫折から得た座右の銘「鶏口となるも牛後となるなかれ」(前編)
タイトル「鶏口となるも牛後となるなかれ」は「鶏口牛後」という中国由来の四字熟語の語源とされるものであり、以下のような意味のものです。
大集団の末端に属するよりも、小集団の先頭に立った方が良い
私はこの言葉を意識して、人生の様々な選択をしてきました。今回は私がなぜこの言葉を意識するようになったのか、この言葉を意識するとどうなるのかを整理してみようと思います。
長くなってしまったので、前編と後編に分けます。
高専入学まで
中学生までの勉強では躓いたことがなく、成績も常に学年上位でした。中学3年生になって進路を考え始めたとき、「地元の高校に進んでもそれなりの成績は取れるだろう」と思い、そこから大学を受験しようと考えていました。
そんな折、ひょんなことから高専のオープンキャンパスに参加できることになり、そこで地元の高校とは比べ物にならないくらいの充実した設備、カリキュラムに衝撃を受けました。また、「国立※」であるということにも非常に魅力を感じました。※現在は独立行政法人
そんなことで私は高専を学校推薦で受験し無事合格、15歳の4月から親元を離れた地での寮生活が始まりました。
高専入学後、周りのレベルの高さに挫折
ここまで順風満帆な学業を修めてきた私でしたが、高専の授業が始まってすぐに打ち砕かれることになります。
高専は各県にだいたい1つ(ない県もあります)の国立の高等専門学校機関であるので、自ずと県内でも優秀な学生が集まってきます。(どの高専も概ね偏差値60以上)
私は学習塾に行っていなかったため「全国模試何位」みたいなことが良くわかりませんでしたが、高専の同級生には全国模試2位、3位といった強者がゴロゴロいました。「全国模試の順位とか関係ない!」と始めは自分に言い聞かせていましたが、レベルの高い授業についていく周りの同級生や、難しい中間試験でも易々と高得点を取ってしまう隣の席の人を目の当たりにして彼らの学力はもはや認めざるを得なくなりました。
私にも地元の中学校では成績トップレベルだったという自負がありましたが、授業に全然ついていけないことや周りの人たちとの学力の差を感じたことから、それが如何に「井の中の蛙大海を知らず」だったかということを思い知らされました。
うまく行かない日々
授業に付いて行けず、試験の成績も悪く、な日々が半年ほど続いたある日、3者面談というものがありました。3者面談とは、先生と親と自分の3者で学校生活についての話をするというものです。私の3者面談には母親が来てくれました。
3者面談は最初は和やかな雰囲気でしたが、学業での成績に話が及び、ついに先生が「学校推薦で入学されたのですよね?」と母と私に言い放ちました。その後の話はよく覚えていませんが、当時は「母に申し訳ない」という気持ちと、「周りが勉強出来すぎるから自分がどれだけ頑張っても無駄だ」という気持ちが堂々巡りしていたと思います。
それ以降私はあきらめの気持ちが強くなり、夜は寮の友人と夜更かし、翌日の授業はほとんど寝てしまうというような生活をしばらく続けてしまうことになります。結果的に高専1年生の時の成績は学科で下から数えて3番目であり、幸い単位は落とさなかったものの3年生以降の進級は厳しいと周りからみられていました。(高専は3年生から4年生に進級する際に単位不足で留年する人が非常に多い。)
どん底からの脱出
2年生になって授業中に寝ることは少なくなったものの、試験勉強を頑張っても成績が上向くようなことはなかなかありません。
この頃私は心理学にハマり、心理学に関する本を読み漁っていました。あまりにも心理学が面白いため、大学で心理学を専攻するために高専から他の高校に転向できないか、高専3年生で大検しようか、といったことに妄想を膨らませて心のバランスを何とか保ち日々をしのいでいました。
そんな2年生も終わりかけの学期末試験の結果で、異変が起こりました。ずっと成績が下から数えて3番目くらいだった私の順位が、下から十数番目まで上がっており、学科の順位でいうと中の下くらいに食い込んでいることが判明したのです。
順位が上がったのは自分の成績が劇的に向上したわけではなく、学科の他の人が徐々に勉強をさぼり始めて成績が落ちたためでした。つまり私は相対的に順位が上がったのです。
この学科のトップにはなれなさそうですが、しっかり授業を聞き、試験勉強をすれば他の人が勉強をサボる分だけ自分の順位が上がっていくのではないかと、高専生活の中で初めて希望が見えた瞬間でした。
続きは後編に
自分の半生を思い出しながら書いていたら想像以上に長くなってしまいました。続きは後編に書きたいと思います。
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