ここ数年の日本サッカーについて思うこと

ご挨拶

 作ったはいいがその後更新がめんどくさくなる自分のダメなところをいい加減なんとかしたい34歳の暮れ、皆さんお元気ですか?
 さて、本日はタイトルの通り、2019年の終わりにもFacebookに書きたいなーと思ってますみたいなことを投稿してましたが、そこから早一年。
思い出したかのように、ここ数年感じていること、特に日本代表について書いてみたいなと思います。
間違いなく長くなります!それはもう圧倒的にw
興味のある方だけ見て下さればと思います。
(サッカーとフットボールという言葉が併記されますが、その時の語感で使い分けているだけですので、大した意味はないです)

まずは前提知識の共有から

 まず、フットボール(サッカー)というゲームは105m×68mのピッチの中に、11人×2チーム、ボール一つでプレーするという基本的なルールがあります。
前後半の90分間(延長とかもあるけど)に相手より多くのゴールを奪ったチームが勝つというゲーム。
その特性上、一つしかないボールを奪い合うという状況がいたるところで繰り返されることになります。また、広大なピッチサイズに対して1チームは11人しかいない事から、全ての場所を均等に守ることができないというジレンマをどう解消するかなど、ある種の理不尽さを抱えながら戦うスポーツやなと思ってます。

 自分たちがどれだけ理想的なプレー、ゲーム展開をしようと思っても、そこには必ず相手が存在し、相手も自分たちの理想的なプレーを実行しようと考えているため、まず間違いなく90分間の全てを思い通りにプレーするという事ができない。

 そんな中で、どうやって相手を攻略し、自分たちがより良いゲームを展開するのかという事を考え、向き合うことが求められる。
これは何も、日本代表に限られた話ではなく、Jリーグに参加しているチームだけの問題でもなく、幼稚園からシニアまで、『フットボール』というスポーツの全てのカテゴリーに共通している事だと今は思います。

感じる違和感というか恐怖に近い感情

 さて、僕が数年前から強く感じていること、特にここ3年ほどそれまでもより強く感じている違和感というか、ホラーについてお話ししたいと思います。
それは、なぜ我々の国のサッカーは、『自分達のサッカー』にここまで強いこだわりを持ってしまうのか、という事です。

 僕は5歳の頃に初めてフットボールというスポーツに出会い、高校卒業までは部活動で、大学進学以降はサークルや社会人リーグに所属しながらプレーをしてきました。プレーするだけではなく、スタジアムやTVで試合を観ることも好きでした。
ただ、30歳超えてから新たに出会ったフットボールの世界は、それまで自分がやってきた、見てきたモノとは大きく異なる、異質なゲームだと感じるほどのショックでした。
 これは特に戸田和幸さんとの出会いが大きく、彼が解説する試合をよく観るようになってから、フットボールというスポーツへの根本的な理解、プロ選手、監督やコーチングスタッフが見ていること、考えていることに触れることができるようになりました。
それによると、海外のクラブはほとんど(すべてといっても過言ではないと思う)『相手ありき』でフットボールと向き合っているのだということが理解できた。

『相手』がいるスポーツで、その相手を抜きにして戦術や戦略は存在しえないこと。
『相手』をどう上回るか、これが基本的な考え方のスタートだという、本来当たり前であることを、僕は数年前まで考えることができていなかった。
自分たちがどうプレーしたいのか、その為の練習だけを20年以上取り組んできました。

 僕が高校生まで本気で上を目指してプレーしていた時、次の試合に向けてどんなことを考えていただろうかと振り返ってみると、そこに相手がいることは極めて少なかった。
もちろんそれはアマチュアというカテゴリーの中で、リーグ形式がほとんどなく一発勝負のトーナメントが主体であるという中体連、高体連の大きな課題も大いに関係している。
リーグ戦を多く戦うという面では近年徐々に改善がされているように思うが、現場では大きな変化があるのか。
この辺りは現場での指導を主戦場にしている方々からコメントなどで意見が欲しいなと思います。

 ただ、多くの現場では今なお、相手を置き去りにし、『自分たちがどうプレーするか』だけにフォーカスしているのではないでしょうか。
これが一番の病原菌、『自分たちのサッカー』問題。
マジで根が深い。
自分が20年間続けてきていたのに、実はそのスポーツの本質的な部分は誰も教えてくれなかったんだという事実。
これ以上のホラーはないですよマジで。

 さらに、Jリーグの試合後の監督インタビューや選手コメント、日本代表の監督会見や選手コメント、協会の会見など、日本のトップカテゴリーにいる彼らのその言葉の多くが、『自分たち』を主語にした、フットボールの原理原則から大きく乖離した内容に思えて仕方がない。
森保さんや日本サッカー協会のコメントに関しては、我々ファンを馬鹿にしているのではないかと思うほどに酷い。

『自分たちのサッカーができなかった』『思うようにプレーさせてもらえなかった』
当たり前や、相手おんねん。そんなコメントなんも言うてへんのと一緒やぞ。

 日本は相手によってサッカーを変えない(変えられない)ので、次の対戦相手からすれば対策は立て放題。
しかも森保さんになって以降は試合を見ていてもそこから読み取れることは、「前線から激しくプレス」「走力を中心に局面を多く作る」「前線のタレントによる一瞬の閃きとその共有による攻撃」のみ。

 だからこそ、前線から激しく来るプレスをどう回避するか、局面を多く作られることが自分たちにとって不利になるのであれば、その局面をいかに作らせないか、相手のタレントの特性を見極めて、どうすればその力を発揮できないようにするか、を準備して対策してくる。
先日のヨーロッパ遠征4試合は全てそのようにうまく相手に上回られているなとみえました。

 かつては多くの国々でも、代表は活動期間が短く、次の試合への準備や対策がやりにくいことから、クラブ同士の試合に比べて戦術的な面白さ欠けるなーという印象でした。
それが、2018年のW杯で劇的に各国代表の戦術度合いが進化し、CLなどのクラブのトップトップがやっているような試合展開が多く見られるようになりました。
強豪国の多くの選手がヨーロッパのトップクラブに所属する様になり、各クラブチームで日々取り組んでいるフットボールのレベルに適応し、それを代表での活動にうまく還元できているのだと思います。
そして、各国の指導者や分析スタッフも、世界の最先端から学び、選手の要求に対して応えられる体制を整えているのだと思います。
それほど、世界のフットボールはここ数年で大きな発展、進化をしている。
相手に対する分析技術や、解析のスピードはどんどん早く、正確になっていると感じますし、それをピッチ内にどのように活かすのか、表現するのかというトレーニング理論なども日々進化しているでしょう。

 まず相手をリスペクトして、相手にはどんな選手がいるのか、自分たちのプレースタイルに対して相手はどのようなメンバーでどのように振舞おうとしてくるのか。
その理解があった先に、自分たちはどのメンバーでどのように振舞うのか。
過去の対戦成績や直近の試合などを分析しながら、相手の出方を読みながら、自分たちはどうするのか準備してゲームの日を迎える。
スタメンが発表されれば、この試合に向けて準備してきたプランのどれが当てはまるのかを最終確認し、ゲームが始まる前のミーティングで改めて落とし込む。
いざ試合が始まってみれば、こちらの予測通りに相手が振舞ってこない可能性も大いにある。
今この試合では何が起きているのか、相手の優位性はどこにあるのか、自分たちが機能していないのはどこで、その要因はなんなのか。
ハーフタイムの時間は限られているため、数あるトピックスに優先順位をつけて、対策を落とし込む。
後半が始まり、改善できていることとできていないことを見極め、できていいない部分を選手交代などでピッチ上に表現する。

 そんなことを毎週の試合で繰り返していれば、そこに所属している選手たちも、今自分のチームの状況はどうなのか、目の前の相手はどんな意図でプレーしているのかを考えるようになるでしょうし、監督の要求に応えられなければ試合に出られなくなるという厳しい環境で磨かれているのです。

では我々のトップリーグはどうか?
日本代表はどうだろうか?

Jリーグはごめんなさい。
あんまり多くの試合を観れていません。なぜなら僕にとっては90分間集中してみることが極めて困難な試合が多いからです。
本当にこの対戦相手のために1週間を過ごしてきたのか。
ヨーロッパのトップクラブの試合を観ていれば、なんとなく透けて感じることのできるチームごとの『原理原則』と『再現性』が、Jリーグではなかなか見ることができない。
例えば川崎や横浜のように、尖った個性的なチームは確かにあるが、その切れ味で勝負しているのであって、彼らも本当に次の対戦相手と真摯に向き合って、試合のための準備をしているのだろうか。
そう思ってしまうほどに、毎試合やっていることが変わらなかったりする。
それで勝ててしまうのがJリーグなのかもしれない。
でも、だからこそ、ACLではなかなか勝てないんじゃないですかね?
本当にACL獲ろうとしてるんですかね?

まとめ

話がそれにそれましたが、最後に言いたい事は、『日本サッカーマジでこのままで大丈夫か?』ということです。
別にね、別に僕は心のクラブはロンドンにあるし、レベルの高いゲームが観れればそれでいい人なので、日本がW杯に出れない日が来てもまぁそれはそれでって思うわけです。おまけがなくなったなーというぐらい。
でも、多くの人にとってはそうではない。
日本サッカーにおいて最大のコンテンツが日本代表であり、その日本代表がW杯に出れない日が来るってことは、日本国内でサッカー人気が低迷するってことで、それは即ちグラスルーツが衰えていく、日本サッカー文化が衰退していくってことなんです。
それはさすがに厳しいよね。
ただでさえヨーロッパに比べ脆弱なサッカー文化が、またここから衰退するってどうなるのか。
多くの子どもたちがプレーすることから遠ざかるかもしれない。
優秀な選手がサッカーではなく他のスポーツを選ぶことが多くなるかもしれない。
日本代表の強化は未来の優秀なサッカー選手の育成と繋がっている。
それなのにも関わらず、オールジャパンだ!みたいなクソ気持ち悪いスローガンを掲げて発足した森保JAPANは世界の進化に取り残され続けている。
ほら、そんなクソみたいなスローガンは早く捨てて、もっと世界に学ぼうよ。
日本人だけでやりたいならそれはそれでいいけど、せめて自分たちが劣っているという発想から全てを始めよう。
勝つためにできる事をすべてやる!
これができない組織に強化もくそもあるかいな。
頼むぜ日本代表。
頼むよJFA(田嶋は辞めろ!)



長々と駄文失礼しました。


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