「シャンバラを征く者」初見感想録

こんにちは。
前回に引き続き、「シャンバラを征く者」を見たので感想を書きます。
(以降「シャンバラ」と記載)

↓前回


すでにいろんな知り合いにシャンバラの話をしているのですが、2024年にその熱量!?とさんざ言われています。この記事も勢いのまま、押して押して押して、強く押して話していく予定です。よろしくお願いします。


50話も見てきたアニメのタイトルが「死」なわけあるか!?
あと1話で終わるわけないだろ!と叫ぶくらい飲み込めない終わり方をした旧アニ本編。
シャンバラは完全にその続きとして描かれた後日譚でした。
というよりも、この映画をもって旧アニシリーズが完結するという構成でしたね。 多くの先人たちが「必ずシャンバラを見てくれ」と言ってきた理由がようやくわかりました。
当時の視聴者はこの結論が出るまでに半年くらい映画公開を待たされたと聞いて、先人たちはみんな狂っていたんだろうな……と過去の同志へ思いを馳せました。大変だったね。


○本作品の魅力

シャンバラはまさに旧アニのフィナーレに相応しい作品でした。
では具体的に何がすごかったのか?個人的な評価を書いていきます。

◇実際の歴史への落とし込み

1921年ミュンヘン。
この言葉が何を意味するかは語るに及びません。

門の向こう側は、錬金術ではなく科学が発展した我々が住んでいる現実世界である、とアニメ本編で解説されました。それを逆手に取って(というかむしろこれがやりたかったのでは?)、実在の人間の名前をバンバン使い、史実に寄せた創作として成立させているのには素直に感心しました。
パロディと言えばわかりやすいかもしれません。
エドが鋼の錬金術師ではないとしたら?あの時点に彼がいたらどうなる?そういう「IF」のストーリーとしてよくできていると思いました。制作チームに熱心なオタクがいる。

第一次世界大戦が終わり、敗戦色が色濃く残るミュンヘン。
インフレに伴う貧困の最中、懸命に生きる人々。向かう宛てのない怒りと隠し切れない不安。いつ破裂してしまうかわからない市民たちの負の感情がそこらに横たわる。どことなく閉塞感が至る所から漂ってくる街。
この独特の空気感の演出が上手いのはもちろん、エドもそれに呑み込まれているというのが感じられて非常によかったです。
配給を口に運ぶ手慣れた所作や、酒に身を委ねて眠る姿は、かつての彼からは考えられないものです。しかし、これは情熱にあふれる少年のエドがスレて変わってしまったというよりも、この世界を生きていくにはこうするしかないという、ある種適応に近いものだと感じました。もはや日常にまでなってしまっている。
環境が変わると、たとえ同じ人間であっても少しずつ性格や行動も変化してしまうものなんですよね。

これを踏まえると、『元の世界(錬金術世界・アメストリス)に戻る方法を模索するが、進展が無いまま2年が過ぎた現在では、その情熱に取って代わって焦燥と諦念にとらわれつつあるWikipedia引用】』というエドの紹介分についても少し解釈が変わります。
エドは研究していたロケット工学への情熱を失いかけている=元の世界(アメストリス)に帰ることを諦めかけているというよりも、そういう世間の雰囲気に逆らえる情熱が今はないという風にもとれるのではないでしょうか。
そもそも、(まだその目で確認できてはいませんが)エドは弟の身体を取り戻すという悲願を既に一つ叶えているので、燃え尽きている状態なのかもしれません。夢を叶えたその先の世界、英雄譚の蛇足としてただ漠々と生きているのかもなあと思いました。

■キャラクター流用の上手さ

ミュンヘンにはアメストリスにいた人物が多く出てきます。正しくは、姿かたちこそ似ているがその行動は少しずつ、アメストリスにいる彼らとは違う。こちらの世界に生きる彼らです。
これも落とし込みが上手いですね~~
キングブラッドレイが出てきて、しかも味方陣営になってくれるなんてオタク心をくすぐる激熱展開でした。
あとラストとスカーちゃん。萌え萌え。前回のわたし、見てる~?うれしいね~

また、ヒューズもエドと同じで、環境が違うから性格も微妙に違って見える人物として登場していましたね。グレイシアに思いを寄せる姿こそそのままですが、明らかにやさぐれたというか、警察官という職務にもかかわらず目に光が灯っていない印象を受けました。一市民であるエドにやけに冷たいんですよね。
実際にこの時代に起きた数々の惨劇が物語っている「どんな人でも環境次第でどこまでも非道になれる」ということを、創作物の中でここまで見せてくれなくてもいい。
先日の感想では25話で別れを告げに来てくれた蜃気楼に感動していたというのにこの仕打ち……と頭を抱えました。せっかく生きているんだから幸せであってくれよ、ヒューズ。

■終わらない差別の連鎖

元いた世界――アメストリスでは、エドはホムンクルスに対して「人間じゃない」「だから壊す」という決断を下しました。
姿形は人間とそっくりでも生物として明らかにヒトとは違うから、俺はバケモノを殺すのだと非情ながらもそう決めたのです。

一方、扉の向こう側――ミュンヘンでは、そんなエドの覚悟を嘲笑うかのような酷い差別と迫害が日常に染み付いています。
ロマの人々とドイツに暮らす彼らは、姿形や生まれは多少違いますが、ホムンクルスと人の違いほどじゃない。にもかかわらず、ロマの少女、ノーアに向けられる目はどれも鋭く、冷たい侮蔑を含んでいました。
エドもそれを正しいとは思っていません。ですが、今の彼は鋼の錬金術師ではない。他者の運命に干渉できる存在じゃない。無力な一人の青年です。だから加担はもちろんしませんが、ノーアに向けられる偏見の目をやめるように言うことすらできない。

エドはたしかに二度も禁忌を犯しました。
一度目は、無邪気な子供の頃に人体錬成を。
二度目は、罪を理解しながらも弟を取り戻すために門を開きました。
しかし、その罪に報いる方法もなく、ただ漠々と生かされることが罰なのだとしたら、こんなに辛いことはありません。
これって本当に鋼の錬金術師?と思うくらい、地に足ついた現実がたしかにあって、もはや弱らせというか……もう少しこう、手心というか……

また、トゥーレ協会の会長として登場したデートリンデも最終決戦の場面で「私はお前が恐ろしい。化け物に見える。だから殺せる」と言うのですが、これもすごいセリフだ……と思いました。
戦争が激化するうちに、戦っている相手が自分たちと同じ人間であることを忘れてしまう。相手は化け物なのだから殺してもいい。
この考え方は典型的な「正当化」です。
人間は極限状態に陥った際、自分の精神を守るために、そうしたすり替えを行うようにプログラムされています。罪悪感に押しつぶされないように、殺人という行為を正義の名を冠して正当化するのです。無意識化で起こるこの行為こそが戦争にのまれるということです。

そうした中で、デートリンデは「殺してもいい」ではなく、「殺せる」と言った。大義名分を得た!と高々に叫んでいるのです。彼女はよっぽど戦争を起こしたい人なんでしょうね。今回はたまたまその相手がエドで、アメストリスだっただけなんだと思います。
彼女にもモデルがいるとのことですが、実際の人物も戦争の相手を欲していたのでしょう。いや、戦争という病に憑りつかれただけの一般人だったのかもしれませんが。


◇エルリック兄弟の結末

前回も書きましたが、彼ら兄弟は真実に辿り着くための旅をしているのではなく、人体錬成をしてしまった罪を償うための旅をしている。文字通り彼らの原初の目的である「身体を取り戻す旅」。これは前に進む話ではなく、マイナスからゼロ地点に戻るための話である。

ですが、シャンバラに関しては、贖罪のさらに先。
「どう生きるのか」「なぜ生きるのか」という生きる意味という命題に答えを出していたと思います。

最終回では、アルは兄と旅をしてきた数年の記憶と、それに伴う成長の記録を奪われ、純粋な少年として身体を取り戻しました。
本当に幼い、純粋な少年です。この世界で起こる辛いことの一切をまだ知らない彼は、無邪気に兄を求めていた。
だからこそラースの肉体を対価(贄)としてふたたび真理の門を開き、ミュンヘンとアメストリスを繋ぎ、戦争を引き起こしてしまいます。街は燃え、人が死ぬ。想像もしていなかった地獄の様相にアルは「こんなことがしたかったんじゃない」と自分の犯した罪の重さに耐えきれず膝を折ってしまうシーンがありました。
これって、エドが本編でさんざやってしまった過ちなんですよね。こんなことのために錬金術を使ったんじゃないという悩み、確かにエドも過去に言っていました。
ただ、これは別にアルが殊更愚かであるという意味ではない。アルも兄と旅した中でしっかりと学んでいたはずなんです。ただ、記憶がなくなっているから、初めての体験になってしまっているだけ。鋼の体であった時分の成長が止まっているだけです。

そんな弟に過去の自分を見たのでしょうか。はたまた、落ち込む弟を勇気づけてやろうと思ったのでしょうか。
いずれにせよ、エドはその弟に「この戦いは俺たちのせいだ」「生きてる限り世界と無関係でいることなんてできない」と告げます。
これは本当に……本当にエドの成長の証だと思いました。
かつて出せなかった答えを、次に悩むもののために示してやれることこそが、人間が大人になる瞬間なのでしょうね。
アニメ本編では、アルの成長の伸び幅すごいな〜と思っていましたが、やはり兄だからか、エドはさらに成長しています。
そして同時に、ミュンヘンを自分の世界ではないと思い、どこにも根ざさないでいたエドの心を決定付けた瞬間でもあるのだと思います。
このままミュンヘンに戻って、門を閉ざすという彼の選択を聞いた時、直前のロイマスタングの登場で大興奮していたはずの私も、アルよりも悲痛な思いで「嘘……」と口にしていました。

そして最後。
記憶を取り戻したアルがミュンヘンに来てしまい、兄弟は二人で旅を続けていく……という展開へ。
ラストとスカーが運転する車に乗って、まっすぐな道を進み続ける。これだけでも印象的なシーンですが、この直前に、ウィンリィ宅に飾ってあるエルリック兄弟の写真がズームで映し出されるカットがあります。二回目の視聴で気がついたのですが、これって「二人が同じ背丈の写真」なんですよね。
これを踏まえると、旧アニ、ひいてはシャンバラの結末は「鎧の体、背の低い兄。チグハグな二人がマイナスを取り戻す旅は終わった。これからは対等な二人が、同じ目線で肩を並べて旅をする」なのではないでしょうか。

前回、「エルリック兄弟は歪な車だ」と書きましたが、ガタついていた両輪が同じ大きさになってスムーズに走れるようになった。あの旅は、彼らの成長のための旅だった。そう考えると、別の世界で生きていく彼らの旅路は、一筋縄ではいかないのはもちろんだが、きっと不幸なものではないのだろうと思えますよね。
原作では、二人は旅路の分岐し、それぞれ生きていくという結末だったのでこれは大きな違いです。
ウィンリィとは別れてしまいますし、大団円!というオチではないですが、確かな足取りで進んでいく彼らに、我々は置いていかれるくらいがちょうどいいのかもしれないと思えるいい終わり方でした。

また、原作とはまったく違う道ですが、結局エドが錬金術を捨てるという選択肢が同じになるのも、「この作品も鋼の錬金術師なんだ」とファンとして感動しました。


◇ハイデリヒの存在

弟――アルフォンス=エルリックに姿形がそっくりな、門の向こうの世界で生きる青年。アルフォンス=ハイデリヒ。
錬金術が権力を持つ世界からきたと夢物語を話すエドにも友好的な好青年です。得体の知れないエドの話をバカにするでもなく笑いながら聞いてくれるのはもちろん、差別の対象であるロマの少女ノーアを自室に匿うなど。彼の公平で優しい人柄は、諦念に呑まれ、革命に躍起になっている人々が多いこの時代で異色を放っていました。
そんな彼とエドのすれ違いもこの作品の魅力です。

アメストリスに帰る方法が見つからず、諦念の色を濃くするエドは、冒頭の祭りの頃から、ハイデリヒの夢を純粋に追い続ける姿が眩しくて仕方なかったのではないかと考えています。禁忌とされる意味も知らずに、人体錬成のために無邪気に錬金術を学んでいたかつての自分や弟を重ねていたのかもしれません。ただでさえ弟にそっくりですから。
でも結局はハイでリヒは他人だと、この世界は自分の世界ではないから、とエドは過去についての話ばかりをしていました。そして次第にロケットへの熱意も失い、深酒をしては眠りに落ちる生活を送っていました。

ハイデリヒはそんなエドを心配しながらも強く言えない……なぜなら自分は他人だから……と悲しい表情を浮かべるハイデリヒに、もう〜もうね。同情。同情禁じ得ないこれは。
しかもハイデリヒが持病に苛まれながらも研究のためと必死に駆け回っている間に、エドはどんどん別の方向を見ていってしまう……という悪循環。
この頃には完全にハイデリヒに同情してしまっているので、エドに「気づいてくれ!!」と叫んでいました。

気づいてくれよ!ハイデリヒはエドに認めてもらいたいんだ!!!!!!

ハイデリヒが必死になるのは別にこの理由だけではもちろんないです。鬱屈した敗戦後に明るいニュースを届けたい。長く生きられないであろう中で、なにか一つでも生きた証を残したい。こっちの方が当たり前に大きい。
でも「エドが成し遂げたことは本当だ」と思っていたはずなんです。ロボット研究に熱心になるエドのことも、彼の過去の功績のことも心から尊敬していた気持ちも嘘ではないはずなのです。
そんなエドが「こっちの世界では無理な話だけど」と弱々しく微笑む度に、探究者として悔しい思いをしていたはずなんです。
何より、疎外感を覚えたはずです。エドのことを兄のように慕っていたのに所詮他人なんだと線引きされたのだと感じていたのではないでしょうか。

仮説ばかりではずはず言っていて申し訳ない。でも絶対にそうだと思う。だって私このパターン知ってますもん。
エドはギャルゲーってやったことある?
いつも自分の身を案じてくれる親友ポジは大体お前に対して劣等感を抱いているよ。鉄則だろ。
偉大なことを成し遂げたはずのエドが今は無気力でいる……という姿を見るたびに、「自分の研究はやはり大したことがないのか?だから興味を持ってもらえないのか?」と疑心暗鬼に陥ってしまうものだろ。ペルソナ4とかやってください。(ギャルゲーではないよ)

それでもハイデリヒはエドに何も言う資格はないと思っている。このすれ違いがもう〜辛いのなんの。
そんな中、「ロケット研究は軍事利用に使われている。考え直せ」とか言われたら逆上もするだろ。僕のことなんか所詮他人だと思っているくせに、自分はこの世界の人じゃないくせに!こんな時だけ止めてくれるなと飛び出す気持ち、わかる。本当に。


でもこの話の本当に辛いところって、エドはハイデリヒのことを守りたいと心から思っているけど、それは「アメストリスのアルのため」というもう一つデカいすれ違いがあるところなんですよね。
46話でエドがパラレルワールドの自分に乗り移った挙句死んでしまった経験から、「パラレルワールドで自分が死ぬ=門を通ってこちらに来れるようになる」という法則ができました。それに則れば、ハイデリヒが死ぬことはアルフォンスがこちらに来れるということにもなってしまいます。
だからこそエドはハイデリヒのそばにいた。本当に彼の身を案じてはいたとは思いますが、おそらくその捩れに関してもハイデリヒに見抜かれていたんじゃないのかな〜。

ただ、それでも最後、ハイデリヒはエドがアメストリスに帰るために命を賭してくれました。
エドを元の世界に帰らせてやりたいという優しさと、彼が夢を叶えて欲しいという祈りがそこにはありました。
この構図って、最終話でアルがエドを生き返らせるために自分の命を使ったことと重なるんですよね。
他人だと線引きされて突き放されても、相手の夢を叶えてやりたい。だって夢を叶えたことを語るエドを、ハイデリヒは心から尊敬していたから。これって愛じゃないんですか?
死に際の満足そうな笑みと、急激に失われる体温を見た瞬間、ハイデリヒも本当にエドの弟なんだと思ってしまいました。兄弟を生かすために自分を犠牲にすることを厭わないところがそっくりだよ。
無茶苦茶な皮肉すぎて言葉にならない。

書いててやるせなくなってきましたが、、、
ハイデリヒの死を受けてヒューズもトゥーレ協会も皆冷静になり、戦争に対する恐ろしいまでの熱狂が萎んだのは良かったと思います。いや、よくないけど……
なんの罪もない一般人の犠牲を出さなければ止まれないところまで到達していたというのも本当に恐ろしい。
この作品はナチス教という事実を他者から見た狂気としてではなく、現地の人々から見た視点で描かれていると監督のインタビューにありましたが、劇的な事件ではなく、そうした日々の鬱憤で視野が狭まり、革命というまやかしの光に目が眩んでしまった……という人が踏み外す時のリアルさが感じられました。

あと小栗の声優も本当に良かった。
優しくも強い青年がエドのそばにいてくれた日々をスピンオフとかでいいからもっと見たかったね。


◇ロイ=マスタングという男

すいませ〜ん! この話がしたくてこのブログを書きました!
これまで色々書いたけど、全部2回目視聴時に気づいたことばかりで、初見時はロイマスタングの話しかできませんでした。告解卍――

■北の左遷されたロイマスタング

おい!!!!!!!!!!!!!

ありがとう……(光の粒子となって消えていく図)


大総統を殺害した国家反逆罪で北方僻地へと左遷されたロイマスタング。雪に埋もれてもそれを払う気力すら湧かず、かつての部下に伍長殿!と格下呼ばわりで茶化されても嫌味の一つも言わない生気のない男に成り下がっていました。
錬金術を封印し、慣れないマッチを使ってハボックのタバコに火をつけようとする姿。言葉を選べなくて申し訳ないんですがエロすぎではないか???
本当にこれ萌え萌え萌えすぎてデカい声出していたせいでロイマスタングが何話しているのか全然聞こえなかった。腹から声出してくれ。

常々旧アニのロイマスタングは色気があると思ってきましたが、彼もまた弱さを内包している人間だからこそなんだとこのシーンで思い知らされました。
本編のエンディングにあった、何も映していない虚な瞳で月を前に酒に語りかけているカットも内面すぎるだろと思ってましたが、これはなんていうか臓器を直接見せられたくらいの衝撃。内側のさらに奥にある弱さだった。
こんな状態になった男が哀れすぎて、誰か抱きしめてやれよ!!と思いましたが、「今の大佐が望んでるのは……」と部下も言うくらい、下手な慰めが通じない状態でした。
胸に抱いていた夢を失い、ぽっかりと穴が空いた状態は、端的に言うと未亡人の魅力です。失ったものを懐かしむにはまだ傷は癒えていないよね……
青少年の性癖が歪むだろってマジで。やめな〜?!(ありがとう……)

てかこの〜このね。部下が誰を連れてきたらいいかをわかっているのに口にしないのが良かったです。だって口に出したって異世界に行った人を連れ戻すのは無理なんですから。ロイマスタングにわざわざ現実を見せつけてやらなくてもいいっていう、最後の気遣いなのかな〜と思いました。
あと、中尉を呼ばなかったのも良かった。こういう時、女は落ちぶれた男を心配しないとか巷では言われていますが、違いますよ。
中尉にこんな姿を見せるのも双方にとって得ではないし、何よりロイマスタングの最後のプライドとして、中尉には頼りたくなかっただろうから、中尉は部下としてその意思を言わずとも汲んでいたんだと思います。いい意味で「戻ってこないならそれまで」とうタイプの信頼をしていたんでしょうね。


じゃあ誰を待ってるかって?
すぐにわかるよン……

■戦場に帰還したかつてのロイマスタング

おい!!!!!!!!!!

ありがとう……(光の粒子となって消えていく図)

もう何も語ることない――――




――――めっちゃある

トゥーレ協会の侵攻を受けて現場に帰還したロイマスタングがかつてのように兵士達に指揮をするシーン。
雪山で見た虚な瞳には焔が宿っています。彼の焔は死んでいなかったんだ! 48話で夢を諦めるだなんて言っていたけど、やはり虎視眈々とお前はずっと!!!と部下と共にガッツポーズを決めながら涙しました。かっけえよ……ロイマスタング、輝いてるよ……
落ちれば落ちるほど、再起した時の良さが際立つンゴねえ……この位置エネルギーで人間は発電をしています。

この展開、ロイマスタングは大総統を殺害した後は殊勝に退役軍人らしくしていたけど、結局は錬金術を捨てるとか、戦いをしないとか、そういう平和みたいなものは彼には似合わないんだって言っているみたいでしたよね。
武装解除で平和が訪れるみたいな綺麗事はロイマスタングのガラじゃないので、なんていうかお似合いだと思ってしまいました。

あとこのシーンで最も重要なことは、ロイマスタングは戦争が起こったことでエドが帰還したことを悟り、活力を取り戻したということです。
これ、前回散々言っていたことの答えだと思います。

ロイマスタングは、48話で賭けに出た。
一つは自分がキングブラッドレイに勝つこと。
もう一つは、エドが勝つこと。すなわち、自分が彼に見ていた夢が叶うこと、です。
彼はエドが勝つことに賭けていた。そしてこんな大規模で馬鹿げた事態に、エドが駆けつけないわけがないと確信し、自分が賭けに勝ったことを知ったからこそ再起したんです。
それは即ち、エドが勝つことをずっとずっとずっと信じ続けていたということです。これは過言でも妄想でもない絶対的な事実です。
なぜならハボックたちが言っていた「大佐が真に待っている人」とはエドのことだからです。

前回、ロイマスタングは眼帯をすることになって、エドという夢ををもう見なくても良くなったから清々しく微笑むのでは?と思っていたけど全然そんなことなかった。むしろ片方しか無くなった瞳で夢を見続けていた。
この男って結局全然夢をあきらめてないじゃん!こんなの一人勝ちじゃん!エドに夢を託して結局両ドリするなんてずるいよ!ずるすぎる……ずるい男だ……俺の負けだよ……

しかもエドには弱って情けない姿を一切見せていないところがニクいですよね。勝手に期待して、勝手に失望して、勝手に勝っただけなので。
かつて子供だったエドに情けない姿を見せるなんて彼のプライドが許さないんでしょうけど、本当に弱みを見せようとしない姿勢が逆に彼の未熟さを物語っているような気がします。
お互いに弱みを見せたがらないところが、男の信頼関係という感じがしていいですね。最後、エドの決断を止めないところも対等になったからこそで良かった……

あと共闘のシーンバカバカばかばか萌えちゃって脳裏に焼き付いたからいつでも再生可能になりました。BORUTOでサスケとナルトの共闘を見た時も脳汁すごかったんですが、こういう本編では決して見れない協力みたいなのってオタクを喜ばせる成分が入りすぎている気がする。
thank you for シャンバラを征く者…………


○印象に残ったシーン

上でほぼ書いちゃってるんで少しだけ……
ロイマスタングありがとう……

■赤いコートをはためかせて砂漠を進む金髪の少年

憎いね〜〜この演出。
アニメの第一話で砂漠を歩いていた二人〜のオマージュですね。エドが帰ってきたのだと我々に錯覚させるには十分です。映像としてもめちゃくちゃ気合いが入っていて良かったですね。

■三つ編みを結ばないエド

シャンバラのエドはアイデンティティとも言える三つ編みをしていません。
無気力さの表れ?とも思っていましたが、この世界の義手は機械鎧ほど精度が良くない……という演出でもあるのかも。細かい作業は昔より苦手になってたら個人的に萌えます。
窓ガラスで頬を切ってしまった時に静かに痛がる表情とか、随所に「ただの人」なんだと思わせる演出があって良かったです。

■ラースの最期

切ねえよ
お墓のすぐ近くで無気力に転がる姿は見てられなかった。せっかくエドから完全に肉体を奪えたのに。当たり前だけど、本当の願いは「世界に必要とされること」ですから。こんなこと望んでなかったんだよね。
最期、エドとアルのために命を差し出すことで「世界にとって意味があるものになろうとした」という苦悩がひたすらに切ない。
もう少し幸せになるかな〜と登場時は思っていました。彼が門の先で本懐を遂げられることを祈っています。

■映画に傾倒するキングブラッドレイ(フリッツ・ラング)に激昂するエド

「夢が現実に侵されるのが怖いんだろ!」
戦局に影響力を持てるくらいには資金力や人脈があるにもかかわらず、映画に傾倒することで現実逃避するフリッツに向けてエドが怒るシーン。
自分だってこの世界に対して無責任だったくせに、正義感が先走ってしまったエドはそのまま撮影所を飛び出してしまいます。

聞かせてやりてえよ。48話のお前に――

エド自身も口にしてから気づいたんだと思いますが、本質を突く一言でした。
錬金術で人を幸せにするとか、身体を取り戻すとか、アメストリスに帰るとか、そういう夢にばかり向き合って現実を見ないようにしていた自分への皮肉です。
この言葉を受けてフリッツが酒場に車で乗り込んで来てくれたのも良かった。


あと、こちらの世界でキングブラッドレイの姿を見たエドが、ロイマスタングが負けたとショックを受けたという事実。これはエドも大佐が勝つことに賭けていたんだっていうアンサーになっているんですよね。しかもエドも本人に言わないし。
なんなんですかね?萌え萌えなんだが?


○「シャンバラを征く者」とは誰なのか

最後に総括です。
この映画のタイトルである「シャンバラを征く者」とは一体どういう意味なんでしょうか?

私個人の考えですが、「シャンバラを征く者」とは、シャンバラという理想郷を求める心を持つ者、すなわち「すべての夢を追う者」のことだと思いました。
その証拠に、シャンバラに出てきた人は必ず皆、心に夢を抱いています。

トゥーレ協会はシャンバラを見つけること。(力を誇示することが本来の目的ですが)
ノーアは自分を拒まない場所を見つけること。
フリッツは映画によって人々に享楽を与えること。
ハイデリヒはロケット研究で成果を出すこと。

別に物語の中だけではないです。生きた証を刻みたいと思い夢を追う者全員がシャンバラを目指す者なのだと思います。

でも、全ての人がシャンバラに到達できるわけではありません。多くの人が様々な要因で夢を諦めることになります。
この作品内でもそうでした。諦めの悪い男の代表格、ロイマスタングですら、自分の夢を諦めました。
ですが、その代わりに彼は夢を託しました。他でもない、エルリック兄弟にです。ロイマスタングだけじゃない、ハイデリヒもフリッツも、誰も彼も、です。

エルリック兄弟はこの作品内で唯一、夢が負けていない人間です。
道の途中で何度か夢を変えることはありましたが、最後には夢のために旅に出ています。彼らはまだ夢を追う者――シャンバラを征く者なのです。
多くの者に願いを託されて、祈りを捧げられて、それでも旅を続ける者。理想郷を目指し続ける者。それこそがエルリック兄弟なのです。

ウィンリィは、そんな彼らの姿を応援することが好きだったから、夢を追う彼らのために、餞別として機械鎧を授けてくれたのではないでしょうか。あの時、早く走れる手足を与えたら、エドがもう二度と戻ってこないことを彼女は知っていたのだと思います。
ただ、やはり彼女も彼らに夢を託した。兄弟がどこまでも行けるようにという夢を、です。そうして彼女と兄弟は別れ、兄弟は延々と旅を征く運命を選んだ。多くの人々の夢を背負って。
私たちも彼らの旅が続くことへ思いを馳せて、願いを託すことでこの作品は終わります。
そうしたメタ構造を含めた結末が「シャンバラを征く者」という言葉に含まれているのではないか。彼らの旅は続いていく。それを示唆して旧アニは完結したのだ。私はそう考えました。


○終わりに

旧アニ面白かったね!!!
原作とは全然違うオチに到達してるけどこれもまた鋼の錬金術師だと思います。二次創作としての質がいい。
嘆きの丘の星も同様に良かったです。ゲームも買ったのでPS2を起こしてプレイしたいと思います。

改めてハガレンのこと好きだな〜と思いました。
主人公が挫折したり苦悩したり、それに合わせて視聴者の我々も苦しんだり。万能感に酔いしれる爽快さみたいなものはないけど、それがむしろキャラクターを身近に感じられるのかなと思ったり。
結局勝ってはいないけど、どんなに負けても必ず立ち上がって旅を続けていくというドラマチックじゃない展開が、実際の人生に似た趣があります。

あとこの時代に出会えたからこそ、ロイマスタングの魅力がわかった。今知れて本当に良かった。
周回遅れもいいところですが、先人に追いつけた達成感があります。


というわけでブログも終わりです。
また懐古したくなったら何か書きます。

2024年はハガレン!!!!!!

ありがとうございました。

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