【わたし】私のこと
noteというものは、自己紹介を書いた方がいいということで、改めて書いてみようと思う。誰か興味があるんだろうか。まあいいや。
現在のわたし
・転勤族の妻&ワーママ
年長娘・年少息子の二児の母。
転勤族の妻ということで、保活を繰り返し次で5回目の保活。
4回目の保活に失敗、転居エリアに保育園の空きはなく。保育園入園を優先し明るく平和に夫と別居中。
(私と子どもたちは保育園の空き枠があった私の実家に住んでいる。)
・フルタイム正社員
出張残業ありのフルタイム正社員。
仕事は好き、出張も好き。
会社の看板でやりたいことをやらせてもらっているので、会社には感謝しかない。
職種は広報マーケ、たまにワークショップのファシリテーター。
・副業してます
一時期グラフィックデザイナーだったこともあり、たまーにグラフィックデザインの仕事を少々。
バナー・電子書籍表紙の作成実績が多い。
・やりたいことやってます
私を変えたのは3つ。
・よさこい
・市民ミュージカル「ア・コモンビート」
大人になってでも青春できる環境が好きで、仲間と1つのゴールに向かうのが好きで、舞台というものが好きで。
好きを煮詰めたのがよさこいと「ア・コモンビート」だったので、今も休み休みだが続けている。
これまで
転勤族の妻ということで、転職回数は6回。
キャリアが全く積まれていないことに悩みまくり、さらに子を産んだことにより、迷子になりまくる。
キャリアの本は多分100冊は読んだ。
そもそも、高校生の時の夢は新聞記者だった。
だから大学も社会学部でメディアに強い大学に入った。
しかし記者への道は狭く、私は夢をかなえることができなかった。
就職したのは某予備校。
生徒と接する中で、言葉一つで生徒の反応がガラリと変わる、ということを何回も経験してきた。
これがマスになったとき、どうなるんだろう。
言葉1つで、見せ方1つで、何か変わるのかもしれない。
そう思って20代後半でデザイン専門学校に入り直し、グラフィックデザインとwebデザインを2年学んだ。
晴れてデザイナーとして就職して3か月で夫の転勤が決まり、デザイナーとしてのキャリアは実はこれでおしまい。また教育畑に戻るが、4年ほどやってバーンアウトしてしまった。そのころ、また転勤になり、イベント企画職に就く。
イベント企画職はなかなか天職だった。
楽しくて仕方がなかった。職場環境も申し分なく、大好きな職場だった。
モノを売る、というところに注力した部署で、「マーケティングとは」というところを必死に勉強した。
商品開発の裏話を取材したり、企業さんと話したり、とにかく楽しかった。
ここで「知ってもらうこと」「興味をもってもらうこと」の重要さを知る。
こんな大人になりたい、という方とも何人も出会った。
実はここではインハウスデザイナーとして、色々つくらせてももらった。
途中、娘を産み産休育休を挟んで頑張っていたが、また転勤になってしまった。
次は起業支援の職に就いた。
そこで幾人もの起業家さんと出会い話し見る中で、こんなに素晴らしい人・商品・技術があるのに、全く知られていないことへの憤りを(勝手に)感じた。
そこで思い出した。
私が記者になりたかった理由。
世の中に知られていない素晴らしいこと、またとても悲惨なことを世の中に知ってもらいたかったからだった。
素晴らしいことは応援してもらいたいとも思うし、悲惨なことには手を差し伸べて欲しいと思っていた。
大人になって、そんな簡単にすすむことはないって知っていたが、それでも誰か一人でも共感してもらいたい、この起業家の情熱を、素晴らしい技術を……と思い、「広報マーケ」という職になるために転職したのが数年前。
今思えば一貫していたのは「相手の行動変容を促すコミュニケーションをしたい」だったんだと思う。
また、「みずちゃんの文章は面白い」と実は結構な人から言ってもらえることが多く(リップサービスもあるかもだけど)「自分の武器は文章だ」と思っていることもあり、今の仕事はようやくたどり着いた「やりたいこと」だと思っている。
これからのこと
私はとても欲張りである。やりたいことは絶対やりたいと思っている。
仕事
まだまだ力不足。独学でやっていることも変な癖がついていることもありそうなので、体系的に学び直したい。
来年こちらの講座を受ける予定だ。
また、webマーケも体系的&実践的に学びたく(実践はしているが自分のやり方が果たして正しいかわからないため)値は張るが投資だと思い、助成金が出る講座を受ける予定。
個人活動①
私がずっとコモンビートの活動をしている理由は
単なるミュージカルではない「共育」「教育」要素があることだ。
対話の時間も、世界を理解するための時間も実は多い。
楽しいワークショップから入って、最後は奥深い学びに繋がるその時間がめちゃくちゃ私は好きだった。
教育畑にいたとき社会を教えていた。
教科書通りに進めても全く生徒は興味を持たないが、偉人のエピソードや失敗話、ドラマを話すと面白いくらい食いついてきた。
教育の入り口はエンタメ要素がある方がいい、というのが私の思っているところではあるが、これをコモンビート以外の場所でやりたい。
できれば親子で。
親子とエンタメと共育とコミュニティ
私は産後うつになった。圧倒的な孤独が理由だ。
その時に同じマンションの方々と偶然にも仲良くなり、支えてくれ、孤独は消えていった。
この経験が私を強く変えた。
孤独は人を蝕む。
身近にあるリアルなコミュニティは人を助ける。
親、というのは孤独になりやすいが、
頼れるコミュニティがあれば救われるかもしれない。私のように。
でも世の中の親支援は単発的なものが多く(いや、それでも大変ありがたいと思っている)「相談しあえる関係」になるには足りないと思っている。
そこで、だ。
コモンビートのようなスタイルで、エンタメや表現活動を中心に活動し、1つのゴールに向かってみんなで頑張る中でコミュニティができていくとどんなにいいだろう。
これを、大好きなよさこいでできないか。
ということで、アフリカ×よさこい×コミュニティ×共育の欲張りプログラムをやることにした。
こちらは既に東京で開催されたものを、私が頼み込んで関西開催が決定したものだ。
このアフリカよさこいについての熱意は別エントリーで語るとするが、開催決定したときは興奮して眠れなかった。
個人活動②
親子でキャリアを考える活動をやりたい。
なぜなら私がスーパー迷子になり苦しんだ時期が多かったからだ。
私が思うキャリアは仕事だけではなく「どう生きていくか」を考えるもの。それを親子でやっていきたいと思っている。
例えば、自分の羅針盤を見つけるWSや、子が親にメンタリングするWS、海外の生き方ってどーなんだろうトークセッションなどなど、
妄想すればキリがない。プランナー魂が騒ぐ。
これは一人でふつふつと考えていることだけど、一緒にやってくれる仲間を募集していますw
プライベート
よさこいは死ぬまでやりたい。ので、休み休みだが、踊り子として自分も部隊側に立つ。
最後に、母として妻として
「ママは仕事ばかりでどうして僕と遊んでくれないの?」と言われたことがある。
正直グサッとした。そんなこと思わせていたんだと思ったし、そう思うよな……という心当たりも十二分にある。
子どもといるときは子どもと過ごしたいし、一緒にゲームもしたい。
帰り道はゆっくり話したい。
ので、子どもとの時間中はスマホを触らないことに決めた(撮影以外ね)
子どもといる時間に子ども以外に心をとられることは、
心身共に健康で、自己肯定感・効力感・有能感・レジリエンスが強い子を育てる、という自分で決めた子育てのゴールに反する気がする。
もちろんよさこいやコモンビートの活動に連れていくときは母でない自分が多く出てしまうが、帰り道や帰宅後は二人のママとして接しよう。
二度とそんなセリフを言わせないために。
(この記事は二人が昼寝した時を狙って書いている)
そして「なんでこんなにみずちゃんは頑張るの?」とよく聞かれるが
それは私が思う妻の役目でもあるからだ。
夫がもしメンタルやられたとき、病気になった時、人生に迷ってキャリアブレイクしたいとき。
「私が稼ぐからしっかり休め」と言ってあげたい。
そのためには、仕事もプライベートも分散しておいたほうがいい。
だから本当にやりたいことは、諦めないのだ。
飲み会や夜の集いに私が行かないのは、その分の時間をやりたいことに充てるためだ。飲み会や女子会などの楽しい時間は、あきらめた。
ということで
なんだかすごく自分語りをしてしまった。恥ずかしい。
本当に恥ずかしくなったら消そうと思う。
が、もしこんな私と一緒に何かやりたいという奇特な方がいらっしゃったら、どーぞ仲良くしてください。