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激化する美の競争、その行き着く先
最近、SNSを見ていて思ったことがある。
みんな「キレイな人」になり過ぎじゃないかと。
SNSが発達して、他人の姿(容姿)をスマホで気軽にいつでも、どこでも、何度でも見ることができるようになった。
当然、そこには発信者と視聴者がいて、発信者は当然、自分の見せたいを姿(自分のキレイな姿)を視聴者に見せる。
SNSは、10代20代が主役だ。自分の顔や体を投稿することで、周囲の異性へのアピールとなる。注目される程、周囲からの評価が高まり、自分のステータスも上がっていく。
その為、10代20代の投稿は1つ1つが自分の最高傑作でなければいけない。
言い換えると、他人より美しく(優って)なければいけない。
これはより良い配偶者を獲得するという一種の競争で、生物が生きる上で必ず起こりうる競争だと考えている。
しかし、便利なSNSのおかげで、私たちは「キレイな人」を気軽に見つけることができるようになってしまった。
これが結構問題だと思っていて、SNS上のリアルで出会うはずのない「キレイな人」を見過ぎて、視聴者はそのレベルに慣れ、それが視聴者がリアルで異性に求める外見(容姿)の基準になってきている気がする。
そうすると当然、リアル男女はSNS上の「キレイな人」に追いつくべく、自分磨き(化粧・整形・筋トレ・画像加工)に励む。当然たくさんのお金と時間と労力をぶち込む。
だけどそれって、SNS上の「キレイな人」を視聴者が見ることがなければ必要のない競争だったのでないだろうか。
これから先、リアルで会うことがないであろう、SNS上の「キレイな人」を見たことで、私たちの美の基準が自動的に上がっていき、勝手に高いレベルで競争しているが、リアルにはそのキレイな人はいないという感覚。
勝手にそのコミュニティのレベルを上げているが、その対象はフェードアウトしているみたいなイメージ。
私たちは、絶えなく無限にSNSに出現する「キレイな人」を見過ぎで、一生理想の人を探し続けて結婚できなくなったり、自分磨きのやり過ぎで気づいたら路頭に迷う人がでてくるのではないかと感じる。
また最近、リアルに近い写真のようなAI画像の出現でこの意味ない外見(容姿)の競争がより一層激しくなるのではないかと予想している。
人間は人間。本来そんなにキレイではない。
キレイなところだけ見過ぎると、リアルに物足りなく感じ、生物としての感覚がバグってくるんじゃないか、というお話でした。
あなはたどう思いますか?