なじみの間違い電話

私にはなじみの間違い電話がある。

最初にかかってきたのはもう何年前だろう。

不動産投資の勧誘電話が増えてから見知らぬ番号の電話は取らずに最初に番号をネットで検索するようになったが、当時はまだ、どんな電話も脇がばがばでばんばん取っていた。

「佐藤さんですか、朝霧装飾の山下ですが」「あ、違います」「お、失礼いたしました」

単純に、なにも疑うことなくただ、電話番号を間違えたのだなと、このころはまだ間違い電話が今より日常的だったこともあり、それほど気にはしなかった。

「佐藤さんですか、朝霧装飾の山下ですが」「あ、違います」「お、失礼いたしました」

ほどなくして山下を名乗る声から2回めの間違い電話が入ったとき、これは怪しいぞと思った。

2回、同一の相手から間違い電話があったのははじめてだ。

もしや間違い電話などではなく、朝霧装飾はなにか詐欺的なグループで、私の電話番号をどうにかしようとしているのではないか。もしくは巧みになんらかの勧誘に結びつけようとしているのでは。

いぶかしむもしかし、名簿業者に電話番号を売るために番号の生存を確認しているのであれば電話は1回でいい。2回もかける必要はない。それに山下は間違いだというとハッとして電話をすぐに切る。なにか企んでいるとは思えないのだ。

「朝霧装飾」を検索した。勧誘系の電話主は名前さえわかれば検索で一発でその怪しみが暴かれることが多い。

朝霧装飾はどうも内装を主に請け負う会社のようだ。検索すると企業サイトに合わせてGoogleマイビジネスの表示(なんか右側に出る会社概要と地図みたいなやつ)も出る。

寡聞にして知らない社名だったが、サイトを見ると江戸川区に本社を、また同区内に作業所も1ヶ所、そのほかに独立した支社や事業部が数か所都内と近県に点在している。

なんだ、立派な会社じゃないか。

沿革をみればなんと創業は昭和50年代と歴史がある。本社を起点に一進一退ながら今に至るまでに支社を広げ、苦労しながらも成長を続けているのが伝わる。資本金も成長にあわせ何度も増資されていた。

「常にお客様にご満足いただくことをモットーに、信頼を裏切らない仕事を」

トップページにはそうあった。きれいにメンテナンスされたページで、採用情報には生き生きと働く社員たちのインタビューが掲載されている。老若男女が登場し、仕事への熱意を語って若者へ希望を託していた。

朝霧装飾……! いい会社だ。

すっかり懐柔され、朝霧装飾さん自体は詐欺の会社ではないだろうことを私は確信した。

ということは、山下はなんなのか。

もしや、優良企業である朝霧装飾を騙りなにかを企てているのか。それとも、単純に前回間違い電話をした際に携帯電話のアドレス帳の書き換えをせず、またかけてしまったのか。

よくわからないまま、そちらがその気ならこちらもとアドレス帳に「朝霧装飾 山下」を登録した。

それからはもう山下からの電話はなかった。なんとも思うことなく忘れ、でも一度だけ、居間の障子の破れたのを見て「これも朝霧装飾だったら綺麗になおしてくれるのだろうな」などと想像するがそれきりだった。

どれくらい経っただろう。ある日、見知らぬ番号から電話があった。

その頃もう私はかつての私ではなかった。さんざん不動産投資やセールスの電話を取り、未知の番号からの電話は番号を検索するまで取らないように心がけていた。

ただそのときは、ちょうど宅配便の配達を待っていたところだったのだ。もしや道に迷った配達員さんかもしれないと取った。私の住むあたりは地番がわかりにくい。電話を取る。

「もしもし? 佐藤さん? 朝霧装飾の渡部です」

……朝霧装飾だ! しかし渡部とは?

「あの、もしもし?」

渡部はなんだか、山下よりも態度がでかい。

「す、すみません、こちらの番号は佐藤ではありません」

丁寧に、できるだけはっきり伝えた。佐藤では、ないのですよ。

渡部は「すみません、間違えました」と切った。

どういうことなんだ。

入電は山下の電話番号からではない。はじめて着信する、私のアドレス帳が記憶しない番号だ。そして番号だけではなく人間の方も渡部と新しい。

山下同様、渡部の電話番号も登録しておくことにした。「朝霧装飾 渡部」またかかってくるかもしれない。

しかし、またかかってくるかもしれない、ではなかったのだ。

スマホのアドレス帳に登録したところ、着信履歴にたまっていたいくつかの見知らぬ番号が「朝霧装飾 渡部」に変わった。怪しんで取らなかったり、移動中で取れなかったりした電話だ。おまえ、渡部だったのか。

そこでハッとわかった。

私の番号は、佐藤氏と呼ばれる人物の電話番号として朝霧装飾のデータベースに登録されているんじゃないか。

朝霧装飾は大きな会社である。社には部を横断した取引先のデータベースがあり、集約して管理されている。渡部がしつこくかけてくるのも無理はない。社のデータベースに載っている番号なのだ。間違いだとは思わないだろう。

山下は、辞めたのだろうか。いや、異動でもしたかもしれない。あの朝霧装飾だから、ポストも様々あるだろう。後任である渡部に対し、山下はとくに佐藤氏について詳しく引き継ぐことをしなかった。データベースがあるのだから必要ない。

こう推測すると、まず言いたいのは山下に対して、最初の間違い電話でなぜデータベースを修正しなかったのかよ、ということだ。

おそらく2度間違い電話をしたタイミングで自身のスマホのアドレス帳の方は修正したのだろう。一緒に修正してくれ、取引先登録も。

そう思ういっぽうで山下の気持ちも分かる。取引先登録みたいなやつを修正するのは案外手間なものだ。朝霧装飾は優良企業だが、もしかしたら横の連携は弱いのかもしれない。

営業の山下がデータベースを修正するには紙で修正依頼を回送する必要があるんだろう。課長に回し部長に回してから、データベースを管理するコーポレート部門の担当に持っていかねばならない。これは面倒だ。山下、私もやらないよそれは(やります)。

こうなってしまうとどうしたらよいか。朝霧装飾のことはもう住所も代表電話もこちらにはわかっている。電話をかけて、これこれこういう理由でおたくさまの会社のデータベースに私の電話番号が誤登録されているようなのです、などと訴えるのが良いのだろうか。

いや。

朝霧装飾は真面目な会社だ。社をあげて間違い電話をしていたなどと大事になって山下や渡部が責めを負うようになっては良くない。異動してちょっと出世したかもしれない山下、そして山下の後任となったばかりではりきっている渡部。気の毒だ。

……とそこまでの思い入れはさすがになく、間違い電話がたまにかかるくらいで困らされているわけでもないのだからとまた放った。

そこからしばらくの時がすぎた。春夏秋冬と季節が何度かサイクルした。

世の中がパンデミック一色になり、私は勤務をおおむね自宅で行うように、会議もリモートが中心になった。

会議が続く日だった。午後一番から夕方までずっと何本かの会議を渡り歩く。

山下から電話がきた。

朝霧装飾の山下だ。

うわっ! 山下、久しぶりじゃん! と思うも私は会議中である。着信音をオフにしてとりあえず会議に集中した。

ひとつ会議を終えて電話を見ると、山下から30分おきに1回のペースで着信している。こんな着信、恋人からでも経験がない。

山下、大丈夫かよと思いながらも時間がなく次の会議へ。終わるころ確認すると、また同じようにたくさんの着信と、それからショートメッセージが入っていた。

「佐藤さま 朝霧装飾の高井です のちほどまたお電話いたします」

……んっ?

高井!?

山下じゃない!

これはなんだ。山下が所有していた社給の端末の番号が、高井と名乗る別の人物に受け継がれたということか。

山下はついに辞めたんだろうか。渡部は元気だろうか。

しかしどうしよう。高井のこの、私を佐藤氏だと疑っていない様子から、データベースはいまだ修正されていないと思われる。

私にはなじみの間違い電話がある。ちょっと恐ろしく、なにか可笑しなことでもある。

可笑しみ続けるのも良いのかもしれないけれど、高井という新たな人物からのショートメッセージ。これは長くつづくボタンのかけちがいをなおす千載一遇のチャンスだと思った。

そろそろ私達の関係も潮時だろう。

高井に向け「大変恐縮ですが、私は佐藤さまとおっしゃる方ではありません。貴社の数名の方からお間違いの電話をいただいているようでして、お手数ですがご確認いただければ幸いです」こう送り返した。

高井からすぐに「大変申し訳ございません、確認いたします」と返事があった。

以来しばらく、朝霧装飾からは連絡がない。沿革をみると最近はまた新たなサービスをはじめ、業績は順調のようだ。


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