【20230104】30歳の自分と、剥がれてゆく「繋がり」【日記】
こんにちは、くうねるです。
唐突に自分の思ったことを書き残したいと思いキーを叩いています。
「自分の生きた証を残す」とか言うと御大層な言い方になっちゃいますけど、この文を未来の自分が読み返した時、今この瞬間に自分が抱いている感覚を噛み締めることができれば面白いな、と思ったことが一つ。
あと毎日noteに日記を上げてるドリルフィールドさんの活動がちょっといいな、と思ったから。継続すごい。
もっとも僕は毎日書く気はさらさらありませんが、書き残したいなと思った時に書いていければ。これで終わったらそれはそれでご愛敬ということで。
本題。
昨年の12月13日に30歳になりました。
ついになってしまった、30歳。
20歳の時は自分が30歳になるなんて思ってもみなかった。
今、40歳になっている自分を想像できないでいるのでそういう気持ちで40歳を迎えることになると思うし、きっとそのノリで死んでいくんだろうなぁ、となんとなく思っています。
誕生日ツイートへの皆さんの返信やいいね、ありがとうございました。
これみよがしに祝ってほしさうなツイートに対して袖にすることなくお声をかけて頂けたのがとてもうれしかったです。
改めて「誰かと繋がっている」という感覚はないがしろにできないものなのだな、と実感しました。
本来僕は社会や共同体、コミュニティと繋がるのが苦手な人間です。
一人でいるほうが気楽で、積極的に他者とコミュニケーションを取ったりもしません。難があるとまではいかないが、確実にMPを消費しながら生きているタイプです。
先日はしゃべっている間にどう息継ぎしていいかを忘れて呼吸困難になりました。
そんな僕でもやはり完全な孤独には耐えられません。
少ないにしても、こんな僕でも繋がっていてくれる人は今も確かにいる。
それがとてもありがたいことだと年を重ねてまた実感します。
僕にとって「繋がるのが苦手」というのは「繋がり方がわからない」という意味でもあります。
自分が共同体や社会の中で「ここに居てもいいよ」と言ってもらえるイメージは、正直なところあまり持てません。
愛想よくしたり、見た目を良くするなどして内面/外面問わず愛される努力をするのもとても苦手です。それもあって「繋がり」を維持したり産み出したりすることもでまた苦手なのです。
今でも繋がってくれる人はいますが、それでも年々、僕と他者を繋いでいる糸の本数は少なくなったり、脆くなったりしているなと感じます。
遊戯王を起点とした創作活動、動画活動を通じてオンライン、オフライン問わず繋がりを作ることができていました。昔の話です。
でも、今まで繋がってくれた人の環境が変わったり、カードゲームをやめたり、僕の活動の方向性がコロコロ変化し、僕自身の環境が変わったりするにつれて僕と他者との繋がりが薄くなってきたように感じています。
数年前は良く会話したけど、今はそんなでもない人や、何をしているのかもわからない人がけっこういる。
そうして剥がれていった繋がりの糸は、いくつもある。
それは僕が今まであった繋がりを維持する努力を怠ったからでもあるし、新しい繋がりを作り出すこともしなかったからでもあります。
きっとこれがずっと続くと、気付けば僕は恐れていた完全な孤独に身を置くことになってしまう。
だからといって反省していきなり全身繋がり人間に生まれ変われるほど僕という人間はよくできてはいないみたいです。
どうやって繋がっていいかは相も変わらずわからないくせに、完全な独りになるのも嫌とは、我ながらワガママなことだと思います。
だからせめて今年は、少しずつでも自分に絡みついた「繋がりの糸」を大事にしていきたい。
ストレスを感じない程度にこの社会とゆるく繋がって、自分に今くっついてる糸を愛おしく思う。
そして、できれば。
もしできれば、まだ見ぬ新たな糸にも目を向けていきたい。
まだ自分の方から歩み寄って、糸を「ちょっといいですか」なんて具合に結わえていいのかはわからないけれど、そういうマインドを持っておくぐらいは自分に許してもいいんじゃないかな、なんて。
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