「教えること」と「学ぶこと」は、 「売ること」と「買うこと」に似ている
「教えること」と「学ぶこと」は、 「売ること」と「買うこと」に似ている。
「誰も学んでいない」のに「わたしは教えた」と言うならば、 「誰も買っていない」のに「売った」というのと同じことである。
問題解決学習で有名なジョン・デューイの言葉である。
教育現場では、やややもすると「誰も買っていない」のに「売った」と勘違いすることがある。
説明的文章の構成や内容の読み取りについて教えた。 毎日、合唱の指導を行った。 学習のルールを教えた。
それでも、子どもたちが理解できない、守れないというのであれば、「売った」ことにはならない。
「売った」状態にするためには、「わかる・できる」の状態にしなければならないのである。
そのためには、「どんなことに取り組んだか」も大切だが、それ以上に「どう変わったか」に目を向ける必要がある。 「どう変わったか」に着目することは、形骸化している取組を見直すことにもつながる。
もちろん、正確に変容を把握できるものばかりではない。 その場合は、教師の主観でもよい。
例えば、朝、子どもたちに「あいさつ運動」の取組を促しているが、「それによって、子どもたちはどう変わったか」を考える。
それだけで、その取組の目的や妥当性を振り返るきっかけとなり、教育活動の充実につながっていく。
「誰も学んでいない」のに「わたしは教えた」と言うならば、 「誰も買っていない」のに「売った」というのと同じことである。
教育界に身を置くものとして、この言葉を忘れないようにしたい。