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 フロイト、アドラーと並ぶ心理学の三大巨匠、ユング。スターウォーズにも影響を与えたとされる、その不思議な魅惑の心理学。『フワっと、ふらっと、ユング心理学Ⅰ』

 フロイト、アドラーと並び心理学の三大巨匠と称される、カール・グスタフ・ユング(Carl Gustav Jung, 1875-1961)は、スイス出身の精神科医・心理学者で、フロイトと深い親交を結び、当初フロイトの後継者と目されていましたが、学説上の見解の相違から関係は破綻し、やがて独自の心理学を発展させました。

 ユング心理学は「分析心理学」とも呼ばれ、主に無意識の探求と、個人の心の深層にある「集合的無意識」を重視します。

 ユングは人間の心理や成長の過程を理解するために、神話や宗教、夢といった象徴的な側面にも注目しました。

 ユングはフロイトの無意識理論を発展させつつ、宗教や哲学、神話学に深い関心を寄せました。

 そのため、彼の理論は心理学だけでなく、文学、芸術、宗教学、小説、映画、音楽、ロック、エンタテインメント等にも大きな影響を与えています。

 ビートルズの代表的な名作アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』のジャケットにもユングの肖像が描かれており、ユング心理学はビートルズにも影響を与えていたことがうかがい知れます。

 また映画『スターウォーズ』もユング心理学からの影響を色濃く受けていると言われています。

 このように芸術や文学、エンタテインメントを創作する上でも、ユング心理学は非常に参考になるため、名だたる作家、音楽家、画家、ストーリーテラー、エンターテイナーも、ユング心理学からの示唆を受けているものと思われます。

 逆に言えば、ユング心理学には芸術性、エンタテインメント性もあるとも言えるため、一旦興味を持つと、グイグイと引き込まれていくどこか魅惑的な不思議な魅力があることでしょう。

 ユングの心理学は、日本文化に通ずるところがあるのか、日本では特に人気があり、またユング派のカウンセラーも数が多いように思えます。

 そんなユング心理学についての連載『フワっと、ふらっと、ユング心理学』を始めます。

 第1回目は、ユング心理学の基礎概念についてフワッと、ふらっと、みていきたいと思います。


1. 心とは何か

 まず、心とは何かということですが、私達は物事を認識し、その認識をもとに目的を持ち行動するわけですが、その主体となるのが「心」です。

 人間は、『心が主体』となって物事を『認識』し、『目的』をもって『行動』を起こし、そして『現実を創造』します。

 例えば、社会人となり、同じ部署の隣の席に座る、異性の先輩に好意を持ったので、「理想の人だ。この人のことをもっと知りたい。気がとても合いそうだ。こんな気持ちになったことは始めて。付き合いたい」と

『認識』し、この人と付き合いたいという『目的』を持って、

終業後思い切って「この後、食事に付き合ってくれませんか?」とその先輩に声をかけるという

『行動』に出たとします。

結末として相手も自分に一目惚れしていて、めでたく付き合うことになり、1年後に結婚し、子供もできて、終生を共にしたということにしておきたいと思います。

  なぜこうなったのかというと、

最初に『心』が、

隣の席の異性の先輩のことを、

「理想の人だ」

(つまり理想の人の『イメージ』があった。すなわち『心=イメージ』ともいえます)

と『認識』し、

「この人と付き合いたい」という『目的』を持って、

『行動』した結果、

このような『現実』が生じたということになります。

 心が主体となってこのような現実を生み出したということになります。

 このように心で思ったことが現実になっていきますので、心を良い状態に保つことが必要となります。

 そのためには心の性質について知り、そしてどのようにすれば良い状態を保つことができるのかについて知っておく必要があります。
 
 以上より、心とは、人間の主体となって物事を認識し、目的をもって行動を起こし、そして現実を創造するものといえることでしょう。
 

2. 心にはクセがある。後天的なクセと・・、そして生まれ持ったクセが。

 心には癖が、もうすこし固い言い方をすると、

「心の動きには習性ないしパターン」があると、分析心理学では考えます。

 ユングが提唱した分析心理学では、

意識できる心の動きの習性を『自我』、

意識できないそれを、

『コンプレックス』、

『元型(archetype;アーキタイプ)』

と呼んでいます。

(この場合のコンプレックスは劣等感という意味ではなく、様々な心理的な要素が複雑に絡み合い、無意識下で形成された複合的な観念のことをいいます)

 「コンプレックス」は、後天的に生活上で獲得し、意識化されていた「心の習性」なのですが、

忘れてしまったり、抑圧したりして無意識の中に閉じ込めたものです。

 しかし、このコンプレックスは、無意識の中で生きており、

意識できない心の癖として現実事象に表れるものとなります。

 コンプレックスが、閉じ込められている無意識領域を、

後天的な無意識という意味で「個人的無意識」といいます。

 対して「元型」は、後天的な心の癖である「自我」・「コンプレックス」とは違い、

生得的なつまり、生まれ持っての「心の動きのパターン(つまり、「型」)」であり、

かつ意識化できないものです。

 穏やかなよく晴れた空を見ると、誰に教わったわけでもなく、

意識したものでもないのに、

「さわやかな気持ち」が沸いて出てきたりする、

これこそが「元型」です。

(この元型のおかげで、例えば初日の出を見たときの「荘厳」な気持ちを意識せずとも、

他人と共有できたりするわけです。)

 元型は意識化できない、ということは意識領域ではなくて、

無意識領域にあるということになるわけですが、

「元型」的な無意識領域を、「個人的無意識」に対して、

「普遍的無意識」あるいは、「集合的無意識」といいます。

3. 集合的無意識

 元型は、生得的なものなので、

誰しもが共通的な元型を持っているということから、

「普遍的」とか「集合的」無意識というわけです。

 ユング心理学では、神話やおとぎ話は、人間の深層心理とりわけ、

全ての人間が共通に持っている心のパターン、

遺伝子的な心(これを「集合的無意識」といいます。)に基づいて、

創作されたものだという説を採ります。

 なので、世界中の神話を徹底的に研究していたユングはもちろんのこと、ユンギアン(ユング学派)は心の深層を探求するために神話を非常に重視します。

 ユングは、精神科医だったのですが、

患者が口にする一般的には意味不明とされることに、意味があるのではないかと色々と考えていたところ、

あるとき、その患者のわけのわからない話

(「太陽から尾っぽが出ていて、それが東を向くと東に風が吹き、西を向くと西に風が吹くんです・・。」という話し。)

と、内容が全く同一の神話があることを見つけました。

 レアな神話なのでその患者が知っているわけがなかったのですが、

そこで、

「全ての人間が遺伝子的に持つ原始的な心というものがあって、

神話やおとぎ話は、それが表現されたものだ。」という説、

つまり「集合的無意識説」を思いついたわけです。

 他の患者等についても追証したところ、この説の妥当性がわかったので、

集合的無意識説を基礎として、

ユングは分析心理学を作ったということです。

 世界各地の神話やおとぎ話はよく似ているのみならず、

神話的な話は夢にもよくあらわれるわけですが、

集合的無意識説によれば、これらの現象もよく説明できるということになります。

4. ヌミノーゼとプシコイド

 『コンプレックス』(意識化できない後天的な心の癖)には、

嬉しい・悲しい・腹立たしい等の強い感情が伴います。

 対して『元型』(意識化できない生得的な心の癖)には情動が伴います。

 『感情』は人間的な心の動きで、

対して『情動』は人間的でない心の動きです。

 情動のような人間的ではない、

「非情」な感じさえもする心の動きを『ヌミノーゼ』あるいは『ヌミノース』といいます。

「非情な」とは、人間的ではないという意味です。

 人間的ではないということですから、物質的な感じがするあるいは、

得体の知れない感じがするということです。

 夢(これは無意識領域にあるものです)に出てくる登場人物の中には、

人間の形をしてはいるけれども、どこか非情である、

あるいは物質的な感じさえするというような存在があります。

 そのようなものが「非情」の例です。

 人間は物質でもあるので、

このような物質的心理(心理とは呼べないものかもしれませんが)を持つのではないかとも言われています。

 無意識層の深部にある、

心と物質が渾然一体となっている部分を『プシコイド』といったりします。

 ヌミノーゼは、畏怖と魅惑という相反する心の動きを伴う、

つまり物の怪を見たときのような戦慄すべき、

言葉で言い表せないようなぞっとするような心の動きと、

穏やかなよく晴れた空を見たときの爽快感、安堵感、安心感、

慈悲深さ、荘厳さのようなものとを併せ持っています。

 元型的な心の動きのパターン(型)には、

全てこのヌミノーゼという性質が伴います。

5. 元型(アーキタイプ)

 元型は、無意識的なものだから意識できず、言葉にすることも難しいのですが、

イメージを用いて説明的に表すことはできます。

 例えば、男性が持っている女性のイメージです。

 これを「マニア」元型といいます。

 マニアは言い換えると、男性が生得的に持っている、女性のイメージ、

意識化できない心の動きのパターンです。

 これはだいたい世界のどこにいっても共通しているようで、

おおむね、

① 美しく穏やかで全てを知って、優しく包み込んでくれる、

という感じがする一方で、

② 小悪魔的な関わると奈落の底に突き落とされるような怪しさもある

という感じもするようです。

 つまり、ヌミノーゼ的な性質があるということです。

 また、女性が、生得的もっている男性のイメージを「アニムス」元型といいますが、

こちらは、

① 困ったときにいつでも助けてくれる力強い頼りがいのあるイメージ

という感じがする一方で、

② 暴君的で女性に災いをもたらすイメージ

というような感じがするようです。

 つまりこちらにも、同じく、ヌミノーゼ的な性質があるということです。

 人間が、生得的に持っている、

「人間を超えた存在。人間の力の及ばない存在(人によってはそれをカミと呼んだり自然と呼んだりするのでしょう)」

のイメージというものもあります。

 このイメージも、元型

(「セルフ」・「グレートマザー」・「トリックスター」等の元型が、

カミ的イメージの元型に相当するものと思いますが、

ここでは、これらを総称して「カミ」元型と呼びます)

といってよいものだと思いますが、

これが、最もヌミノーゼ的な性質が強いと言われています。

 各地に残る神話は、心の底からわきあがる「カミ」元型に基づいて、

記述されたものかもしれません。

6. 神話と意識の成長過程

 神話は、分析心理学によると、

意識の成長過程が表されたものとも考えられています。

 無意識から生まれた人間の心が、混沌とした無意識を乗り越えながら、

意識化していく過程を表したものと考えられているということです。

 確かに、神話の最初は、理性では考えられない、

よくわからない不可解な、また混沌とした話になっており(特に神々の代の話)、

ストーリーに人間が、登場しだしてから少し理性的な話となってきます。

 神々の代の話が無意識、人間の代の話が意識、

あるいは神々が無意識、人間が意識を表しているのかもしれません。

 人の心理の発達過程もこれによく似ており、

フロイトの心理学(精神分析学)でも、

幼児の頃、誰しもがギリシャ神話に登場する「エディプス(オイディプス)の悲劇」のような混沌とした世界観、

集合的無意識的な世界観に浸っていて、これがエディプス・コンプレックスとなるとしています。

(フロイト心理学でいうエディプス・コンプレックスについては以下をご参照ください)

 (但し、フロイトは、集合的無意識については深入りすべきでない、それよりも個人的無意識を重視すべきと考えていたようで、この点につき、ユングと意見が合わず、蜜月関係が破綻したと言われています)

 神話的ストーリーでは、人間が登場してからも、

神々によって困難を突きつけられるという話が多々あります。

 特に人間の時代が発展しだし、自分達の力で何でもできると思いだし、

神々のことを忘れだしたときに、神々によって、困難がもたらされるという話が、

世界各地の神話のメインストーリーになっているものと思われます。

 人間を意識、神々を無意識に置き換えると、

意識が発展し、無意識的なものを切り捨てると、

無意識によって困難がもたらされるということになります。

 人間は、社会化した生き物ですから、

理性をもって社会のルールを守っていかなければ生きていけず、

好きなことをずっとやっていて、いいというわけでもありません。

 好きな物事を、我慢して生きていかなければいけない宿命にあるといっても過言ではありません。

 よって、様々な欲望や希望、夢等、そして科学化された、いや、科学万能の世においては、

理性的なもの以外のワケのわからないものに対する感情等も全て押し殺して、

全て無意識の領域に閉じ込めて生きていかなければなりません。

 そうすることによって、意識できる心の癖、

つまり「自我」、すなわち社会の要請にそった「自我」を作っていくということになります。

 しかし、その社会の要請に沿った、一般社会から見ると良いとされる「自我」が確立された、

40歳代になったぐらいから、無意識に抑圧されていたものが暴れだしてきたりします。

 学生時代は遊ぶことを我慢し(つまり「遊びたい」という気持ちを無意識領域に閉じ込めた)勉強に明け暮れ、社会人になってからも仕事に全力投入してきた。

 そのおかげで資産も築け、穏やかな家庭を持つことができ、あらゆる面で余裕が出てきた人が、失ったはずの青春を取り戻すかのように突然遊びに夢中になり、毎夜、夜の街に繰り出し、ギャンブルに手を出し、身を崩しだすというようなことが起こり得ます。
 
 ゆえに厄年辺りにはロクなことがなかったりするわけです。

 この過程は、神話のストーリーに非常に似ているともいえます。

 神話のストーリーも、先の言い換えに従えば、意識が発展し、

無意識的なものを切り捨てると、

無意識によって困難がもたらされるというものだからです。

 分析心理学においては、自我が確立される40代あたりになれば、

(あるいは人生の節目節目において)

今まで無意識領域に切り捨てられてきた、

理性的な世の中からすると、価値がないとされた価値が、

色んな形で自然と表に出てくるとし、

また、そんなときはその意味をよく考えるべきであるといいます。

 経済的価値や能率等ばかりが優先される生き方が追求される中で、

そういうものとは、ほど遠いところにあるために、

私達の意識から切り捨てられたものに対して、

光を当てることも時には必要なのかもしれません。

 なお、無意識は、人間に困難をもたらすだけではなく、意識を補償するとも考えられています。

 意識と無意識との向き合いから統合が生じ、

人生に欠けていたものが、相組み合わされ、全体性に向かうことになりますが、

これが補償だといえることでしょう。

 分析心理学派の心理療法は、このような無意識の補償作用を促進するために、

夢分析や箱庭療法等を行います。

参考文献)


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