名作ドラマ『すいか』に見る母娘の親離れ子離れ
思えば私は、物心がついた時からドラマ好きな子どもでした。
私は30代半ばですが、記憶している中で一番古い朝ドラの記憶は“ふたりっ子”で、大河ドラマは“徳川慶喜”です。
小学校から帰ると、リモコンはいつも10チャンネルに合わせるのがお決まりでした。(テレビ朝日でサスペンスドラマが放送されていた)
そんな筋金入りのドラマ好きな私の中で、最も記憶に残っているドラマがあります。
それが、今から20年前の2003年に放送された、木皿泉さん脚本の『すいか』です。
当時私は高校生でしたが、世界観やメッセージ性の奥深さに圧倒され、それから20年間その記憶が色あせることはありませんでした。
そして最近無性に『すいか』が見たくなり、思い切って全話をレンタルして20年ぶりに見てみました。
相変わらず心に響く名セリフがそこかしこにちりばめられ、たくさんの発見や気づきがありました。
また、何より“それでいいよ”と励まされた気がして、心がじんわり温かくなりました。
(さすが、20周年イベントが開催されるだけはあるなと感じます。)
『すいか』に込められた、人として生きる上で重要なメッセージは十分今にも通ずるものがあり、書こうと思えば関連記事が10個くらい書けそうな勢いなのですが、
今回はとりあえず、自分がまさに今直面している“母娘の親離れ・子離れ”に焦点を当てて記事を書きたいと思います。
まずは、『すいか』のあらすじをさくっとご紹介。
『すいか』は、小林聡美さん演じる早川基子が、同僚が突然会社のお金を横領し逃走してしまい、
それをきっかけにハピネス三茶で暮らす人々と出会うことから、物語は始まります。
この早川基子というキャラクター、典型的な過保護な親に育てられた娘として描かれていて、まず親近感が半端ないのです。
親の言うとおりに生きてきた結果、やりたいこともなくただ毎日を過ごす日々。
世間や社会に対して憤りを感じる一方で、人からどう思われるのか過度に気にしてしまい、そのことに自己嫌悪を持ったりする。
会社では同期はみんな退職し、勤続14年のキャリアは自分だけ。それでいて、後輩からは“行き遅れの先輩”として、どことなく煙たがられている。
と、行きつけのバーの主人にこぼしたり。
そんな基子ですが、ハピネス三茶の人々と出会い、人生が少しずつ変わっていきます。
まず、過保護な母親から離れるために、家を出る決意をしハピネス三茶に引っ越します。
が、GPSで娘の居場所を特定した母親が乗り込んできます。
とまくし立てたかと思ったら、
と、娘を責め始めます。
(ちなみにこの母親役、白石加代子さんが演じていて、かなりのハマり役となっています)
生きづらさを抱える子どもの親の特徴として、ダブルバインドがあります。
ダブルバインドとは、
とあります。
基子の場合、
“早く結婚して親を安心させてほしい”
というものと、
“ずっと子どものままでいてほしい”
という、矛盾した親の願望を押し付けられている状態と言えます。
私自身も、親からの
“早く自立してほしい”
と、
“一人は寂しいからそばにいて欲しい”
の、矛盾した見えない圧に悩まされているので、基子にものすごく共感してしまいます。
ことあるごとに、家に帰って来いと基子に迫る母親ですが、
その一方で、『いつまでも嫁に行かない娘を目覚めさせる方法』なるセミナーに参加し、
“女は、結婚して子供を産んで、普通の主婦になるのが一番幸せ”
“35を過ぎて成功した女はこの世にいない”
“女で成功するには、「才能」か「おっぱい」のどっちかがないとダメ”
というカリスマ講師(通称:リーダー)の発言を真に受け、基子に豊胸手術を勧めるというとんでもない行動に出たりします。
(ここらへんの描写は、20年前の世相を反映しているような気もします😂)
そんな母親に基子はますます反発し…と、母娘戦争は終わりがないように見えたのですが、
母親に初期のガンが見つかったことで、その関係に変化が訪れます。
母親は基子が生まれた頃を、こう振り返ります。
この、“寂しかった”と“嬉しかった”という正反対の言葉によって、親のダブルバインドの心情が巧みに描写されています。
親子といえども、所詮は別々の人間です。
どれだけ思い出を共有し合っても、絆を深めても、時が来たらそれぞれがお互いから自立しなくてはいけません。
子どもは、“親に世話をしてもらうという存在”から、
親は、“子どもを守り育てるという存在”から、
それぞれ卒業し、『対等な人間同士』という、新しいアイデンティティを獲得していく必要があります。
子どもは、いつまでもできないふりをして親に甘えたり、
親は、“頼りない”、“だらしがない”とわが子をいつまでも子ども扱いしたりと、
お互いが、それぞれとっくに終わった役割をいつまでも引きずっていてはいけないのです。
母親から家に戻ってくるように言われた基子は、次のように打ち明けます。
それに対して母親は、“あんたの言う通り”、“ずっと一緒なんて無理な話”とつぶやき、さらにこう続けます。
そして、熨斗に『独立記念日 早川基子』と書かれた紅白饅頭を自身の快気祝いとして基子にもたせ、ハピネス三茶の住民に配るよう告げます。
この母娘のお互いからの卒業シーンは、見ていてこちらもスカッとすると同時に、脚本家さんの人に対する温かいまなざしに心がジーンとしてきます。
ここでさらにもう一つ、印象的なシーンがあります。
それは、基子がハピネス三茶に引っ越してきた際に、
と教授(浅丘ルリ子さん)につぶやくシーンがあるのですが、それに対する教授のセリフがこちら。
これに対し、基子は、“それって、親離れってことですか?”と問いかけ、教授は、“とりあえず、おめでとう。”と答えます。
エディプス期を調べると、フロイトが提唱した発達段階において、3、4~6歳ごろとされています。
このエディプス期は、母親からの(身体的)自立と父性の登場が大きなテーマとされていますが、何らかの原因で父親が父性を発揮できないと、
母子カプセルに風穴を開けられず、子どもと親との間に疑似夫婦関係が生まれてしまうとされています。
言ってみれば、このこころのエディプス期ともいえる期間を、私はきちんと通過することができてこなかったように思います。
早くから親元を離れ自立する人もいれば、私のように、とっくの昔に不要になった子どもの役割をなかなか脱ぎ捨てられない人もいます。
けれど、早ければいいとか遅いからだめとかそういうことではなく、人それぞれこころのエディプス期があっていい。
大事なのは、すべての責任を自ら引き受け生きていくこと。
自分の人生は自分で切り開いていくと覚悟を持つこと。
私たちに必要なことは、年齢や状況に関係なく、主体性と責任感を持って自分の人生を楽しむことなのだ
ということを、私は今回『すいか』から教えてもらいました。
今の私に必要なのは、親からの卒業というよりも、
親から卒業できない自分からの卒業、なのかもしれません。
おわりに
“女が成功するには「才能」か「おっぱい」がないといけない”と豪語していた講師でしたが、
実は苦悩を抱える性転換した元男性という設定で、篠井英介さんがとても素敵に演じられてます。
そして、その回の終わりに、ハピネス三茶の管理人のモノローグとして、きちんとその反論が述べられています。
才能を、“心が震える瞬間”と置き換えてみると、自分の中にもたくさんあることがわかって、心がほっこりしてきます。
人間、やっぱり重要なのは、この心が震える瞬間をたくさん持てるという“才能”なんだなぁと思いました😊
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