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ピアノと腱板損傷と私

私がピアノに初めて触れたのは、3歳くらいの頃でした。
近所にピアノ教室があり、まだ小さすぎて通常は受け付けていないそうなのですが、私が駄々をこねたそうで、そこで初めてピアノを弾かせてもらったそうです。

どのように習っていたのかも記憶にありません。
その後、幼稚園の頃から我が家の引っ越しが続き、自然とピアノから離れていきました。

家に残ったのは子供用の赤いバイエルと古いオルガンでした。
引っ越しをしてからはピアノの興味も薄れていきました。

オルガンも母がどなかに譲ったのでしょうか…家からなくなっていました。

そんな感じなので、ピアノに興味をもったのは早かったけど、ほとんど弾けず楽譜も読めませんでした。


40代になり当時勤務していたクリニックにアルバイトに来ていた先生の影響で私は宝塚歌劇にハマっていました。

宝塚の影響で様々な音楽にも触れて、クラッシックをよく聴くようになりました。

その頃から仕事や日常生活の充実した日々の裏で、年を重ねるごとに何とも言えない孤独感と将来の不安を漠然と感じるようになっていました。
とくに冬に日が暮れると寂しくなり、夜の静寂がそんな気持ちを助長するのでした。

そんな時、NHKで放送されたフジコ・ヘミングさんのドキュメンタリーを見たのです。
フジコ・ヘミングさんの波乱の人生と、どん底からの栄光の舞台で弾くピアノの音色に自然と涙がでました。
ピアノの音色だけでなく、フジコ・ヘミングさん自身に魅力を感じ、ファンになりました。

ピアノの音色聴くと、なぜだか私の心が落ち着き安心しました。

そして自分の老後を想像しました。

冬の雨がしとしと降っている。
世界に私しかいないの?って思うくらい静かな夜。
暖色系のランプの明かりをたよりに、ピアノを奏でる私。

そんな老後を過ごすには今からピアノを習わないと間に合わないと思い、早速ピアノ教室に行きました。


私は楽譜も読めないし、両手でピアノも弾けない、ほぼ初心者ですが、基本から練習というより、簡単な曲から弾けるようになりたいと希望しました。

初心者向けにアレンジした楽譜が沢山あるので、楽譜が読めなくてもピアノを楽しむことはできました。

教室は週1回30分なので、自宅での練習がメインで、教室ではその成果を先生に聴いてもらったり、わからない部分を教えてもらったりしていました。


ピアノを習い始めて7ヶ月経った頃、右肩に痛みが出てきました。
その痛みは徐々に悪化していきました。

痛み止めを飲んでごまかしていましたが、仕事に支障がきたすほどになってしまい、整形外科を受診しました。
右肩は私が思っていたより、かなり重症になっていた様でした。

リハビリも1週間に1度通うことになり、担当の理学療法士さんにピアノを習っていると話すと、残念だけどピアノは辞めたほうがいいと悲しげな顔で言われました。

私は簡単な曲しか弾いていないし、そんな程度のピアノが悪いとは思えなくて驚きました。

ピアノが原因か分からないけれど、肩が極めてよくない状態で、仕事は簡単に辞められないだろうから、ピアノは諦めたほうがいいと。

その言葉に私も危機感を感じて、あっけなくピアノ教室は辞めることになりました。


その後、私の右肩は治療の甲斐もなく、4件ほど病院を転院し最終的に仕事もドクターストップ。
1年以上休職し手術もしましたが、今も後遺症が残ってしまいました。

長い年月をかけて、右肩から始まった数年間のことは不慮の事故だと思えるようになりました。
私の人生のネタ話。
ピアノはもう笑い話。

そして、昨年あたりから、私はピアノを弾いています。
リハビリ程度に。

簡単な優しい曲しかできませんが、何より楽しいのです。

そして、老後、寂しくなった冬の夜に、大好きな【カッチーニのアヴェ・マリア】の中級くらいは弾けるようになることが、私のひそかな夢になっています。












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