見出し画像

友人との距離感

昨日は友人とランチをした。

友人も看護師で10歳年下だが、総合病院の外来師長を務めている。
その友人とは10年以上前に知り合い、偶然にも、私の兄と友人のご主人が同じ会社だったので、私たちはすぐに打ち解けた。

私はマメに友人たちと連絡をとるタイプではないので、普段は連絡を取り合っていないが、私がそろそろ会いたいな…なんて思っていると、連絡があるから不思議だ。

以前の私は、友人の悩みを聞くと、力になりたいと思い、よかれとアドバイスをしても、後からそれが正解だったのか、話したことを後悔してしまうこともあった。
会っている時は楽しいけど、家に帰ると疲れがでてしまい、友人との距離感が分からなくなっていた時期もあった。

そんな私も年を重ね、色々な経験から価値観も変わってきたようだ。

その友人は昨年から大きな悩みに直面し、最近は1~2ヶ月に1回、会っている。
今は友人の悩みは友人の悩みとして、ただ話しを聞いてあげて、後はくだらない話しで盛り上がっている。

なのに、友人は帰るときに、笑顔で「楽しかった、また会いたい」と言ってくれる。
私は悩んでいる友人に何もしていない感覚だが、どうもそれでいいらしい。

友人も様々な経験を積んで自分で悩みを乗り越える力を持っている。
私はそれを見守ることにした。

これからも年齢と共に変わる環境や人との関わりあい、身体の変化にも順応できる柔らかい心でありたいと思った。


話は変わり、私がランチで注文したのは、かけうどんと単品の茶碗蒸しだった。
後から単品の茶碗蒸しが届いたときに、友人と目が点になった。
茶碗蒸しの器の大きさが握りこぶしくらい。
とても小さく見える。
でも、器は小さいが、蓋を開ければ、器いっぱいに茶碗蒸しが入っているのかも...と想像しながら、蓋を開けてみると、中身は器の半分以下...。

何かの間違いであろうか...。いや間違っていない。
二口くらいで食べ終わる茶碗蒸し。
これで328円。高いな。
でも、これが現実...。
















この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?