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小説『10年目のロックスター』後篇

 二人が知り合ったのは、高校の最初の学園祭の時だった。中学二年の時に父親にねだって誕生日プレゼントとしてフォークギターを買ってもらったコースケは、友人と一緒にフォークソングを唄うグループを作った。高校に進学した頃、フォークからロックへ音楽の興味は移って行き、最初の夏休みでバイトした金でエレキギターを買い、その年の秋の学園祭に即席のバンドを組んで出演した。リズムパートが弱体だったので、演奏自体はお世辞にも優れているとは言えなかったが、コースケのギターだけは高校生のレベルを超えていた。しかし、その学園祭で一番目だったのは、コースケたちの次に演奏をしたケンジたちのバンドだった。
 このバンドはドラムが比較的しっかりしていたので、演奏自体はタイトに引き締まったものであった。それ以上に圧倒的に魅力を放っていたのは、コースケのボーカルだった。まずルックスからして違っていた。他のバンドが学校の規定通りに制服を着ていたのに対し、コースケは一人、古着屋で手に入れた革の上下の下に、セックスピストルズのTシャツを着て、髪は金髪に染めて逆立てていた。タイトな革のパンツを躍動させて、ステージを動き回り、シャウトする様は多くの女子生徒と同じくらいの男子生徒の心も鷲掴みにした。
 ステージパフォーマンスだけではなく、そのボーカルテクニックも他の学生たちとはまるで違った。演目は当時流行りの和製ロックだったが、音域が広くテンポも速く、歌いこなすには難しい楽曲をただ歌いこなすのではなく、自分の個性を付け加える事にも成功していた。舞台の袖で聞いていたコースケは、鳥肌が立つのを感じた。
 ケンジからアプローチがあったのは、翌日だった。学園祭の実行委員でもあったコースケは、翌日の他の委員たちと一緒に、様々な後始末で忙殺された。やっと全てが片づき、帰ろうと思って校門を出ようとすると、目の前にサッカーボールが飛んで来た。
「そんなにスタスタ行くなよ。ずっと待ってたんだぜ」
 ケンジは見事な足裁きでサッカーボールを今まで相手をしていたサッカー部の方に蹴り返すと、コースケの背中をドンと叩いた。ケンジの話は単刀直入だった。
「一緒にバンドやらないか? ここらでロックやっている奴で、プロになれるのはお前と俺だけだ。俺と一緒にバンドをやろう。ドラムとベースは、取り敢えず今の俺のバンドの連中で我慢しよう。一緒に東京へ行ってメジャーになろうぜ」
 
 東京へ行ってメジャーになる、というのは田舎でロックバンドをやっている連中の大半が思い描いた夢だ。しかし実際に行動に移す奴は少ない。そして成功する奴はさらに少ない。コースケも考えないではなかった。しかし、それは実行される事のない夢、叶えられることのない夢として、思い出のスクラップブックに張り付けられる物だと思っていた。
しかしこの目の前にいるナルシストでエネルギッシュな男は、自分が成功しないなどとは微塵も思っていない様子だった。
「とにかく明日から練習だ。絶対に来いよ」
 ケンジはそう言うと握り拳を差し出した。戸惑いつつコースケも握り拳を差し出す。ケンジはコースケの拳に自分の拳をゴツンと当てた。拳の握り方が緩かったせいか、思った以上にそれは痛みを伴った。その痛みがケンジの本気を表しているように思えた。
 
 翌日、指定された場所に行くと、そこは郊外の自動車廃車工場だった。廃車となった車が運ばれて来て、バンパーやドアなどの必要な部品が取り除かれた後、巨大なプレスマシーンで、踏みつぶされた空き缶の様に圧縮され、積み木の様に積み上げられて行く。そんな場所の一角の倉庫を、仕事が忙しい時は手伝うという条件で、ケンジはタダで借りていた。コースケがエレキギターを肩から下げて現れると、すでにドラムとベースはセッティングを終え、クビになったギターが肩を落として立ち去るところだった。
「お、来たな。さっさとつなげよ。始めるぞ」
 コースケはすれ違う様に去っていた前任者を振り向いた。そいつは工場の出口の所で一度だけ振り向き、コースケと目が合った。しばらくコースケをじっと見ていたが、何も言ずに立ち去った。
 その日からバンドは時間があれば夢中で練習した。地元で行われるバンドコンクールや音楽祭に片っ端から参加し、ファンを増やして行った。そして半年後、バンドは上京した。抜け目のないケンジは、それまでにレコード会社のプロデューサーと渡りをつけていた。地元出身でレコード会社か音楽プロダクションに入社した連中を調べ上げ、彼らが帰省するタイミングを見計らってコンタクトを取り、食事に誘った。自分たちの自主制作CDを渡し、ライブに招待する。その程度なら誰でも考えつくだろう。だがケンジは、もう一つ先を行っていた。食事の席には必ずケンジのグルーピーを数人連れて行った。その頃には、ケンジの為ならなんでもするという若い女の子がもう何人もいたのだ。上京してメジャーになりたいという夢を語り、その為のきっかけが欲しいと相談を持ちかけ、相手が適当な受け答えをしながら食事が終わる頃、ケンジは「ここにいる子で気に入ったのがいたら、連れて行っていいですよ」と耳元で囁いた。激怒する人間もいたが、殆どはニヤニヤと笑いだし、「君は若いくせに世の中を知ってるねえ」とか言って気に入った女の子と夜の街へ消えて行った。
 
 そんな訳でバンドが上京するころには、いくつかのレコード会社のプロデューサーがケンジのバンドのライブを見に来るようになっていた。そして数カ月後、バンドはメジャー契約をしてデビューが決まった。まるでとんとん拍子に事が運んだように聞こえるが、実際、メジャーデビューってこんなに簡単なのか、とその時のコースケは思った。しかし、やっかいなトラブルその後に起きたのだ。レコード会社が欲しがったのはボーカルのケンジだけだった。後で分かったことだが、そのレコード会社がデビューさせる予定だったバンドがすでにあって、そのボーカリストが病気をして田舎に帰る事になり、代わりのボーカルを探していたのだ。つまり最初からコースケ以下他のメンバーには用がなかったと言うわけだ。


「確かにあれはお前のバンドだったよ。バンド名だってザ・ケンジだからな。普通もっとグループらしい名前つけるだろ?」
「あ、お前分かってないな。ボン・ジョビだって、あれボーカルの名前だぜ。サンタナとかバン・ヘレンとか色々あるじゃねえか」
「……まあ、お前がいなけりゃ、わざわざ東京まで出て行ってプロになろうなんて思わなかった。それもまあ本当の事だ。けどな、あの頃のお前のワンマンぶりは、皆、うんざりしてたんだ。だから、お前がバンドを抜けてソロでプロデビューするって言った時、正直に言えば、皆、ホッとしたんだ。これでもうお前のわがままと付き合わなくてすむってな」
「何だよ、それ? 強がり言うなよ」
「なあ……皆が皆、お前みたいにロックスターになりたいと思っている訳じゃないんだぜ。もっと平凡な普通の生活を望んでいる人間だって、沢山いるんだよ」
 コースケの言葉にケンジは沈黙した。自分だけにプロデビューの声がかかった時、正直に言えば、ケンジは優越感を刺激された。表面上は皆で一緒にデビュー出来ない事を嘆いていたが、内心では自分だけがスターになり他の皆がそれを羨望するという構図に、自尊心をくすぐられたのだ。
「じゃあ、それは何だよ?」
皆が皆ロックスターになりたいと思っているわけじゃないと言ったコースケに対し、ケンジは自分のパネルを指差して反撃した。
「何で俺のパネルをこんな所に飾ってあるんだよ。俺が成功したのが羨ましいからだろ?」
「確かに……」コースケはそのパネルの前に立ち、静かに答えた。
「華やかなスポットライトに当たっているお前を見るのは刺激的だし……これ、俺の友達なんだとか言って自慢する事もあったよ」
「だろ?」
「けど、皆、自分の仕事に忙しかったし……段々と音楽自体聞かなくなった……そうすると、お前のこともそんなに羨ましいとも思わなくなったし……」
「嘘つけ」
「嘘じゃねえよ! 時間が経てば若いころの衝動も収まって来る。つまらない事を言うようだが、要するにそれが大人になるって言うことだ」
 それはコースケの実感だった。かつてあんなにも熱狂し、切望していた思いも、時間とともに穏やかなものに変化していく。それは残酷でもある反面、優しい真実だった。もし若い頃と同じような焦燥感を今も持っているとしたら、それは耐えがたい物になっていただろう。
「……つまらねえ事を言うなよ!」
 そう反駁したケンジだが、コースケの言う事は身に沁みて分かっていた。時がたち失ったものは、自分のスキルではない。それはむしろ時間と共に磨かれてゆく。ケンジのボーカルもそうだった。以前は唄いこなせなかった歌も、今では歌える。出なかった音域も出る様になった。ボイストレーニングと積み重ねた経験のお蔭だ。問題は、以前の様にそこに喜びを見いだせなくなったということだ。
「まあ、いいよ昔の話は……」ケンジは会話を元に戻そうとして、「とにかくさ、そんな冷たい事言わないで、助けてくれよ。なっ?」と手を合わせた。
「そうだ。俺がここで働くっていうのはどうだ? 俺、ここで弾き語りやるからさ。そうすれば俺のファンがドッと来てさ、この店の売り上げもガンと上って……いいだろ、このアイディア。あ、俺のギャラなら安くしておくぜ。昔の友達のよしみでよ。なっ?」
 ケンジは自分のアイディアに一人で酔って、ステージの上に飛び乗ると、立てかけてあったギターを再び取り出し、コースケを挑発するようにロックンロールのリズムを刻みだした。昔のコースケだったら、ケンジが何か短いリフを弾けば、すぐに自分もギターを取って、それに答えたものだ。しかし、今のコースケはそんな気分にはなれなかった。ケンジは尚も挑発しつづけたが、その時、携帯の呼び出し音が鳴り、慌てて自分のポケットを探った。
「今度は俺だよ」
 慌てて電話に出ようとするケンジを手で制すると、コースケは自分の携帯を持って、カウンターの中へ戻って行った。
「……あ、みません。こちらから、お電話しようと思っていたんですが……はい、今、店の方は片づけている最中で……お約束通り、今月末には引き渡し出来ると思います。もちろんです。はい、それでは失礼します」
 電話を切って振り向くとすぐ側にケンジが立っていた。どうやらコースケの電話をこっそり聞いていたらしい。
「そうかい……そういう事かい。それじゃあ、俺を雇うことも出来ないよなあ。お前も見栄っ張りだね。それならそうと言えばいいじゃないか」
「何?」
「この店、閉じるんだろ? 今、電話で引き渡すとか言ってたろ?」
 コースケはどう答えたものか迷っていた。ケンジは自分の推測が当たったと思って、次第込み上げて来る笑いを押さえきれなかった。
「まあ、そんな事だと思ったよ。ここじゃあ、大した商売にはならないもんな。孝太郎や良夫とは違って、お前の第二の人生は上手く行かなかったって事か……」
 コースケはため息をついてスツールに座り直す。
「なあなあ、その話さあ、ちょっと引き延ばせないの? さっきも言った様にさ、俺がここで毎晩演奏するから、そうすれば売り上げも倍増してさ、向こう少しは考え直してくれるんじゃないの?」
「向こうって?」
「だかちら、その、借金取りだか何だか……ここを引き渡す相手だよ」
「謝金きりじゃねえよ。ここは不動産業者に売ることにしたんだ」
「もう契約しちゃったのか?」
「ああ」
「取り消すこと出来ないのかよ」
「無理だよ」
「じゃあ、この店を閉じて、それで、お前はどうするつもりなんだ」
「俺は……東京へ行くことにしたよ」
「出稼ぎか。今、いろいろと大変だぞ。あんまりいい仕事はないしさ……お前には東京、向いてないよ。田舎でのんびりやった方がいいって。俺もさっき言ったような状況だからさ、一緒に何かやろうぜ」
 ケンジは時間をかければコースケを口説くことは簡単だと思っていた。もう三十も過ぎた男が、今さら東京に行ってもやれる事は限られている。ビルの清掃か警備員か道路工事か……どっちにしたってそれほど楽しい仕事ではない。自分よりも年下の人間にあれこれ指図され、長時間重労働をして、もらえる金はパチンコでもやってすぐにすってしまう。そんな結果は目に見えていた。それよりもこのライブハウスを拠点に、二人でまた何か始めた方がいい。コースケだって馬鹿じゃない。それくらいの事は分かっている。ただ自分に対して意地を張っているだけだ、何か説得出来るきっかけさえあれば……。
 
 そんな風に思ってうろうろと歩き回っていると、音楽雑誌が出演ミュージシャンたちのお手製のチラシを置く場所に無造作に放置されているのを発見した。ふと手に取ってバラバラとめくる。中程にページな肩を折ってある場所があり、そこに書かれた記事にケンジの目がとまった。
「……ははあ……なるほど……お前が東京へ行く理由が分かったぞ」
 ケンジはそのページを開いてコースケの方へ見せた。そこには大きく赤い水性ペンでマークが付けてあった。
「あっ、それは!」
 コースケは慌ててそれを奪い返そうとする。ケンジがサッとかわして、部屋の隅に逃げる。
「やっぱ、まだ音楽に未練あったんじゃん。皆が皆、ロックスターになりたいと思っている訳じゃない、とか格好いいこと言ってたけどさあ……やっぱり、プロになりたかったんだろ?」
 コースケは雑誌を取り戻す事を諦め、大きく息をつくと、苦しそうな顔で言葉を吐き出した。
「……もちろんそうだ」
「そうそう。素直に認めなくっちゃ」
「孝太郎と良夫はそうでもなかったよ」
「まあ、それは分かるよ。あいつらは大した腕もなかったしな」
「でも、俺は正直、プロになりたかった」
「だろうな。お前はギターも弾けたし、曲も書けたし、唄だって悪くなかったもんな」
 コースケは再びケンジのパネルの前に立った。
「このパネルを見ながら、ずっと考えていたよ。何でお前だけがプロになって、俺はなれなかったんだって……」
「それは結局、顔か? それともカリスマ性かな?」
「だから……もう一度挑戦する事にしたんだ」
「ミスター・ガガ、バンドメンバー募集……」
 ケンジは、コースケの顔色を伺いつつ、持っていた音楽雑誌の記事を読み始めた。
「インディーズ業界を席巻し、ついにメジャーレーベルと契約した謎の覆面ロッカー、あのミスター・ガガがバンドメンバーを募集中。年齢不問。年内にメジャー第一弾アルバム。来年には全国ツアーの予定……来れ勇者ども」
 ケンジは読みながら笑っていた。
「やめといた方がいいぜ」
「何で?」
「だってこいつ長続きしないよ。謎の覆面ロックスターだぜ。ダセエよ」
「やっぱり、そうかな……」
「よっぽと面に自信がねえんだな。あ、それにお前、これ締め切りとっくに過ぎてるぞ。今からじゃ間に合わねえんじゃねえの?」
 
 ケンジはコースケにその雑誌を開いたまま差し出した。それを受け取ったコースケは、改めて記事を見た。イタリアの覆面舞踏会でかぶる様な装飾のついか仮面をかぶった男が、気取ったポーズを取って映っていた。
「こんなバンドじゃお前のギターは勿体ないよ。だから、俺と一緒にまた組もうぜ。絶対に上手く行くって……」
 コースケは雑誌を閉じると、そっとカウンターに置いた。
「メンバーはもう全部決めたんだ」
「えっ?」
「年齢制限とか設けなかったから、皆、同世代でさ。腕のいい、でも気持ちの熱い連中が集まってくれたよ」
「ちょっと待てよ……」
「まあ、覆面ロックスターってのは確かにダサイと思うけどさ……もう若くはないし、自分のツラの事はよく分かっているつもりだから」
 ケンジにはいやな予感がした。まかさ、そんな事がある筈がない。しかしそう考えれば、辻褄が合う。
「お、おい、嘘だろ? 冗談だよな?」
 コースケはきっぱりとした目線をケンジに向け、そして言い放った。
「ミスター・ガガは俺だよ!」
 ケンジの嫌な予感は当たった。
「……ここまで来るには、俺もいろいろと悩んだり、迷ったりしたよ。このままライブは打てやっていてもさ、食えなくはないんだけど、やっぱりもう一度挑戦したくてさ……コツコツと曲を書きためて……この間数えたら百曲以上になってたよ。で、その中のいくつかをデモテープにして、あるプロダクションに送ったら興味を持ってくれてさ……去年、インディーズで出したら、これが意外と売れちゃってさ……謎の覆面ロッカーってコンセプトも結果的には良かったのかも知れないな……ついにメジャーデビューって事になって……それで、ここを売って、東京へ行くことになったんだ」
 あり得ない。そんなことはあり得ない。あっていい筈がない。ケンジは心の中で、今ここで語られている事実が嘘だと叫んでいた。
「……そんなこと、マジでありえないだろ」
 その言葉を聞いてコースケは、何処か遠くを見るような目つきになり、そして静かに苦笑した。
「俺の同じ事を言ったな、あの時」
「えっ?」
「お前が俺たちを見捨てて、ソロデビューするって言った時だよ。そんなこと、マジでありえないだろうって……お前にそう言ったんだよ。そしたらお前、何て言ったと思う?」
 一言ずつケンジに詰め寄るコースケの目には、涙が溢れていた。ケンジはその迫力に気押されて、ずりずりと後退した。下げた足がギタースタンドにぶつかり、大げさな音を立ててギターは床に倒れた。一瞬の静寂の後、コースケは言った。
「人生は自己責任だ。だから、お互いに頑張ろうぜ。お前はそう言ったんだよ」
 
 ケンジの心の中にあの時のコースケの、そして他のメンバーの顔が鮮やかに蘇った。そうだ。確かにケンジはそう言った。自分たちを見捨てて一人だけプロデビューしようとしているケンジを責める様な、それでいてケンジのやりそうな事だと諦めている様な、そんな複雑な悲しみを漂わせたその顔。
 東京で成功しようと誓い合って、一緒に故郷を出てきた仲間たち。彼らにケンジは言ったのだ、『人生は自己責任だ。だからお互いに頑張ろうぜ』と……。
「ケンジの言った通りだったよ」
 コースケは爆発しそうになる気持ちを懸命に押さえ込みながら続けた。
「人生は自己責任だ……だから、お互いに頑張ろうぜ」
 ケンジはコースケの目を見た。その二つの目は、高校で互いに知り合ってから、いまだかつて見たことのない、異様な光を帯びていた。
 コースケはケンジを見つめたまま右手を差し出した。ケンジがその右手を見た。いつまでもその右手を見続けていた。

おわり。

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