スイングバイ! 第4路:〈はじめまして〉と〈さようなら〉の間にあるもの
何日もかけて僕は北京の街を歩き続けた。地下鉄で移動し、好きな場所で降りて、気の向くまま探索する。繁華街、デパート、本屋、お茶屋、路地裏、飲み屋、などなど、北京の街を残さず見てやろうと言う気持ちで歩き回った。(ドラクエのダンジョンでも、僕は全てのフロアを調べ尽くす派)
そうする内に「あれ?この道、前も来たことあるな」と知っている道と知らない道が僕の中で繋がってきた。
未知が未知でなくなり、土地勘が出てくる。なんだかそれが堪《たま》らなく嬉しかった。かなり時間がかかるのを承知で、わかるようになった道を辿って、ゲストハウスまで帰ったりした。
ゲストハウスでの状況も大きく変化していた。期間を伸ばして10日ほど滞在していたこともあり、そこでの生活にずいぶん慣れてきた。
朝起きれば近くの飯屋で粥を食べる。携帯用のバケツを使って、シャワー室で洗濯をする。わからないことがあれば、ネットを使って調べる(とは言え当局の規制で、多くの日本のサイトは見ることが出来なかった。)
何より変化したのが、同室の旅行者との関係だ。初日は誰にも話しかけれずにヤキモキしていたが、今では当たり前のように会話できるようになった。そのきっかけを作ってくれたのは、ヤンさんだった。
ヤンさんは、同い年の女性で北京語、広東語の他に英語、日本語、韓国語、少々のスペイン後を話せる才女だった。香港の学生が北京に留学するのをサポートする仕事をしていたが、少し前にその仕事を辞めて、現在は転職活動中らしい。「僕も無職なんですよ」と謎のアピールすると面白がってくれ、仲良くなれた。
彼女が繋いでくれたおかげで、ゲストハウスの面々と話ができるようになった。
僕が「何カ国後も話せてヤンさんはとても優秀ですね」と伝えたら、「はい、そうです。私は優秀です」と素敵な笑顔で返してくれた。 まさか、そんな返答があるとは思っておらず少し驚いた。日本だったら「そんなことありません」と謙遜する場面なのではないかと思えたからだ。
しかし、考えてみれば謙遜なんて日本式のややこしい美徳でしかないだろう。それに誉めて素直に受けとられるほうが気持ちが良い気がした。良しとされることも国によって変わってくるのだ。
ヤンさんは3日ほどでゲストハウスを去ってしまったが、中国語が堪能でない僕の代わりにゲストハウスの面々に「この人は日本人のジュン。旅人、無職。害はない。なんか、みんなと仲良くしたいらしい」と伝えてくれたおかげで、まるで牢名主のように、その部屋の中心人物になれ、自然と拙い英語でコミュニケーションを取れるようになった。
ヤンさんが繋いでくれた人の中にショウと言う男性がいた。ショウは西安《せいあん》から旅行に来ていた学生の男の子で、その人懐っこい笑顔を思い出すと今でもほっこりしてしまう。
彼とは良くゲストハウス近くの飯屋に一緒に行って、沢山おしゃべりをした。
互いに生い立ちを伝えあった。僕は山梨のとんでもない田舎で育ったこと。上京した大学で国際協力について学んだこと。大阪でゼネコン系の会社で3年間働いて、その時に貯めたお金で行けるところまで旅をしようと思っていることを伝えた。
ショウは、西安の都会で育った。一人っ子で姉がいる僕を羨ましいと言う。大学ではビジネスを専攻しているが、将来はITで起業したいと話していた。日本に行ったことはないが学生の内に沢山旅行したいので、いつか日本にも行くかも知れと言っていた。
正直に言って僕の英語は、ペラペラと言うよりはヘラヘラぐらいで、困ったらヘラヘラ笑ってゴマカすしかないレベルである。
ショウの英語も完璧には理解できないけど、前後の文脈でなんとなく、こんなことを言っている気がすると理解する。正しく伝わっているかも、正しく聞けているのかも怪しいものである。拙い会話だったが、それでもコミュニケーションをとれることはとても楽しいことだった。
あるとき炎天下の中、散歩をした帰り道にショウとお茶屋さんに寄った。メニューを見たら烏龍茶があったので、それを注文した。
運ばれてきた烏龍茶は湯気がたっていた。良し!暑い中ふーふーして飲むぞ!
違う。圧倒的に違う。
当然冷えたものが出されると思っていた僕は店員さんに「コールドはありますか?」と尋ねたが、うろんな物でも観るみたいな目をされ「メイヨー(無いよ)」と言われただけだった。
ショウに「何でコールドが無いの?」と尋ねてみたところ「だって冷たいと健康に悪いじゃない」と屈託なく言われてしまった。 なんてことだ冷えた烏龍茶の美味しさを知らないとは。。君たちは4000年も一体何をやっていたんだ。「日本にきたら冷えた烏龍茶をごちそうするよ」と彼に言うと困ったように笑っていた。
結局2週間近く滞在した後、ゲストハウスから離れることにした。ショウに挨拶をして、「君が日本に来たら案内するよ。かわいい女の子も紹介する」と無責任に約束した。ショウは「それはいいね!ぜひお願いするよ」と言った。これが実現する可能性が低いことはお互いにわかっていた。でもそれで良いのだ。旅ではたくさんの人と出逢うが、〈はじめまして〉と〈さようなら〉の間隔がとても短く、だからこそ、その間にあるものを大切にしたいと思えた。
ショウは異国でできた初めての友人だった。
宿から出る前にささやかなお礼をしたいと思った。ショウの枕元にこっそりThank you! Shaw From Junと羽の所に書いた折り鶴を置いておいた。
次の日、彼からBest wishesと題名されたメールが届いた「Jun, I saw the paper crane you folded for me, it means everything to me, thank you so much, I will miss you, have a good trip in China, all the best.
Shaw 」
ありがとう、ショウ。またいつかどこかで。
ゲストハウスをチェックアウトした後で、北京の独勝門のバスターミナルから長距離バスで2時間ほど移動して、万里の長城の八達嶺長城《はったつれいちょうじょう》に向かう。八達嶺長城は万里の長城のもっと有名な観光地で入り口の1つだった。
万里の長城は、全長21,196 kmもあり、一説には宇宙からも観測できるらしい。山の稜線《りょうせん》に沿って永遠と続いていた。
ある程度の覚悟はしていたが、平らな道だけでなく険しい坂道になっていて、それはまさに山登りだった。
日本人でも中国人でも山登りのしんどさは同じである。すれ違う人々から時々、加油《ジャーヨウ》=頑張れと声をかけてもらう。その度に力を貰いなんとか進んでいく。
道の途中に楼と呼ばれる見張り台みたいなところがあり、たどり着くたびに倒れるように休憩した。汗だくになりながら何とか北八楼(8つ目の楼)に到着した。八達嶺から行けるルートとしては、一応のゴールになる。なんて広大で壮大な景色だろう。
ここまで到着するまでに、すれ違ってきた1人1人に人生があり、物語があると思うとなんだか不思議な気持ちになる。
僕は心の中で繰り返した。みんな加油と。