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浮世離れしている父②

父は昔から通信教育が好きだ。
私が知るだけでも4〜5年おきくらい、数十年間何らかの通信教育に投資している。


まずベタなところで英会話。
私が知るだけでも2社は買っている。
もう1社くらい他の英会話教材も買ってそうな気がするが、秘密主義者なのでわからない。
いまも家の引き出しに収蔵されている沢山のテキストやテープ、CDたち…製本の美しさやパッケージの丈夫さから推測するに、おそらく高額。



しがない中小企業のサラリーマンだった父。
服もカバンも全然買わないのに、こういう物にかけるお金はなぜか惜しまない。
しかも母や私達には事後報告かバレないよう内緒で購入してしまう。
賭け事もタバコもしない父のお金の使い道。

大人しくて真面目な人間が、たまに見せる狂気。


…だが、
私は父が英語を話しているのをいまだかつて聞いたことがない。
そもそも人と喋る姿もあまり見たことがない。
外では人が良さそうにニコニコ笑っているだけなのだ。
そのお陰か父の事を悪く言う人を私は知らない。
「沈黙は美徳」を体現する人。

ただ家族としては厄介だ。

こちらから話しかけても、最低限の文字数で返事しようとする父。
口を大きく開かないで早口で話してしまうので何を言ってるのかわからない。
聞き返すと「もういいッ!」と機嫌を悪くして話すのをやめてしまうので、高度な音声認識能力が要求される。

そして父の本棚には「話し方が上達する本」が何冊も。


高額な英会話の通信教育を契約する前に、自分が人と喋るのが苦手なことは思いださなかったようだ。
外国人となら喋れると思ったのか?

テキストは今も綺麗。
いずれも早々に挫折していると思われる。



他にも水墨画やら油絵やら…数々の通信教育の受講歴。



中でも一番驚いた通信教育はフルートだ。
コレは我が家で伝説級のエピソードとなる。

数ヶ月間、家族の誰も、父がフルートを通信教育で習っていることに気づかなかったのだ。
というのも、週末に妻と子供達が買い物などで家を空けた隙に一人で練習していたらしい。

年末の大掃除の時に父の本棚で見慣れない黒革のケースを見つけた私。
「コレは何?」
はじめはぐらかそうとした父だったが、私があまりにしつこく聞くので観念し、ケースからピカピカ輝くフルートを取り出した。
そして恥ずかしそうに、通信教育でフルートを習っていることを白状したのだ。
テキストを元に自分が吹いた音色をテープに録音し、郵送で先生に提出するシステム。

急遽、大掃除を休止して父の演奏を聞く時間となった。

家族が皆、期待に目を輝かせ、ピカピカのフルートを構える父の姿に注目した。
仕事一辺倒で寡黙な父の評価が爆上がりする予感。
息を吸い込んで下唇辺りにフルートを当てる父。


ブ…ブ…ブオオォォ〜ピョロロッ


家族、大爆笑。
本気で腹がちぎれるかと思った。
その後も


ブォー、ブォー、ピョロロッ、ピーッ


目の前の楽譜「さくらさくら」のフレーズは一切聞き取れなかった…。


「音を出すだけでも難しいんやぞ!」


はじめは一緒に笑っていた父も、あまりに家族が笑うので徐々に不機嫌に。

バレてからは家族の前でも練習するようになったが、毎回、隣の部屋で私たちが涙を流しながらクスクス笑うので(我慢しようとするが堪えられない)いつの間にか辞めてしまった。
いま思えば悪いことをしたなぁ…
でも通販代分はしっかり笑わせてもらったな。


さて時は流れ、最近の父の話。

癌の診断を受け、手術することになった父。

手術が終わりちょくちょく見舞いに行く私。
寡黙な父と二人、沈黙の時間…。
私もよく喋るタイプじゃない。

すると父が、テーブルに置いてあった二本の白い紐をおもむろに手に取った。

「ちょっと見てみ…」

父は片方の手に白い紐を結びつけ、もう片方の手で紐の端を引っ張った。

シュルル…

手に結びつけたはずの紐が解けている。

「…へ?」(私)

「この紐を結んでみ…」(父)

渡された白い紐を私が結んで返すと何かゴチャゴチャ触ってまたスルスルと解く。

「…へ?」(私)

私の驚く顔を見て、満足げに黙々と紐マジックを披露していく父…。



我が父、入院中の時間潰しに通信教育で手品の教材を取り寄せておりました。


想像の上を行くマイペース!
謎の心のゆとり!

やはりこの人は、常人の器では測れない人物だと再認識した。

あと…
手品は黙々とやるもんじゃないということも勉強になった。


思うに、父が始めるべきは話し方か発声の通信教育でしょう。
とっくの昔に受講済みかもしれないが…。


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