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本当に子供は増やさないといけないのか?

少子高齢化、人口減少、
国が若い人たちに子供を沢山産んでほしいと手を変え品を変え働きかけている。

でもふと思う。

本当に人口は増やさないといけないのか?と。


昭和の子沢山時代、映画の看板は手書きだった。極小の文字パーツを並べて綺麗な字の印刷物を作る活版印刷という、目眩のするような仕事があった。その時代が終わると綺麗な書面を作成する機械、ワープロが普及した。きれいな書面を作成できるだけだけれど。建築や機械の図面は手書きで引いていたし、電車の改札は駅員さんが神業スピードで切符を切っていたし、アニメの絵は全て手書きなので主人公の顔が毎回別人のようになっているのもあるあるだった。

とにかく色んなことが人海戦術。
大量の人が手間を惜しまず、高度な技術、専門知識や匠の技でもって頑張って頑張って国が成り立っていた。


しかし世の中は変わったのだ。
スマホ一つで新聞も読めれば論文も書ける。工場の多くがオートメーション化されており、ボタン一つで製造から品質チェック、梱包まで行える。
スマホがあれば楽器を練習しなくてもオーケストラの作曲ができるし、物の売り買いから婚活までできてしまう。色んな仕事がアルバイトで成り立っているし、専門知識はネットに載っている。

きっとこれから、ありとあらゆることが今よりも効率化されるだろうし技術は進歩することだろう。


あれ?ではどうして我々は子供を沢山産めよ増やせよと焦らされているのだ??


仕事しながら子供を産み、家事育児とキャリアの両立…簡単に言うが実際に行うのは超ハードモードだ。国会議員の皆さんはやってみたことがあるのだろうか?もちろんお手伝いさんなど無しで。

子供がみんながグズらず保育園に行く訳じゃない。
保育園は大丈夫でも、小中高で不登校になったり、体調を崩したり、心身の問題を抱えたり、トラブルに巻き込まれたり。子育ては衣食住さえ整っておれば大丈夫というものではない。真っ当な人間を育てることを少し簡単に考えすぎてやいないだろうか。


そもそもいまの少子高齢化は、氷河期世代が結婚適齢期の時に結婚できるような経済状況ではなかったのが大きな原因だろう。当事者であった私は、正直その当時の大人達の都合や圧に屈服させられたのだと思っている。学童期の子供を養っていた大人達、家のローンを支払っていた大人達の給与や雇用を守るために学生達が犠牲になったのだと。

既卒採用枠が無かった時代、新卒でどこかに就職しなければ転職すらできなかったのだ。なのに多くの企業が「今年の新卒採用はありません」とのたまう。内定取り消しも普通にあった。学生から社会人になるためのハシゴを外される、今思えばこんな理不尽な話はない。既卒採用枠ができたのは何年も後の話、パワハラセクハラモラハラ三種盛りなブラック企業の説明会にも大学生が殺到した。
この不況が終わればきっと私達世代にチャンスが巡ってくるはず…そう信じて日々の食い扶持をその場凌ぎで稼いでいたら結婚適齢期を過ぎていたという人は多かったのではなかろうか。
運良く就職できたとしても同期が極端に少なかった世代、愚痴を言い合える仲間もおらず、仕事の量が減る訳でもなく、ただただ仕事に忙殺されて適齢期を過ぎた人もいただろう。


少子高齢化は、とうの昔からわかっていたことではないか。当時何の策も打たなかったのに、なぜ今更産めよ増やせよと焦らせるのだ?

人が少なくなっても快適に過ごせる社会づくり、少なくなる国民が快適に暮らせる技術革新に注力する方がよほど理屈にかなっているのではなかろうか。

古い昭和脳な大人達の言葉を鵜呑みにして子供をたくさん産むことが、果たしてその子たちの幸せに繋がるのか、就職氷河期に憂き目を見た私はつい疑問視してしまうのだ。

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