第1章 白熊家は『武家』だった?-第7話-白熊家は武家になりたかった?-
現在、執筆をするにあたって気づいたことがある。
私の、読解力の無さや語彙力の無さ、本を読むスピードの遅さである。
妻は、本当に読んでいるのか?と疑わしくなるほど本を読むのが早い。そして文章能力もある。
どうしてそんな力があるのかと聞くと、幼少期の母親の読み聞かせや、自分で読書をしていたから。らしい。
振り返ると、幼少期の白熊家には、絵本や小説、読み物はほとんどなかった。
私たち白熊家の三兄弟は、読書や勉強こそ後回しにしていたが、自然豊かな田舎でのびのびと自然と遊びながら育ったのである。
例えば、小学生の時には近所の遊泳禁止の川が遊び場だった。兄弟ともにTシャツと水着姿でチャリで爆速する。川に着くと、Tシャツを脱いで、すぐさま深さ2メートル以上あろう川にドボンと入る。もちろん、水泳教室など三兄弟は行ったこともないが、夏になると毎日のように川に足を運んでいたため、自然と人並みに泳ぐことができていた。
実際に何度か死ぬ!と思うこともあった。調子に乗った私は、足が底に届かず溺れかけたのだ。
すぐさま次兄正樹が気づいてくれ、投げた浮き輪に間一髪で抱きつき事なきを得た。
流れが早くて岸に戻れなくなり恐怖を味わうこともあった。
私が遊んでいた川は、日本でも有名な川の支流であり、深さもあったため、学校でも絶対に行っては行けないとお達しもあった。そこで遊んでいたと今思えば恐ろしくなる。
(今の時代では、事件になっている事案である。絶対に真似をしないでほしい。)
小学5年生頃の、とある日も、友人と川で遊んでいた。夕方、帰り道の途中で友人と別れ、1人でチャリを漕いでいた。だんだんと、汗でTシャツが湿ってきたので、Tシャツを脱いで颯爽とチャリを漕いだ。風が気持ちいい。田舎道なので特に人目も気にならなかった。
30分ほどかけてチャリを漕ぎ、自宅がようやく見えてきた頃、パトランプを焚き付けるパトカーが自宅の近くに停まっていた。
なんだろう、事件でもあったのか。と思いながら急いでチャリを走らせると、パトカーは反対方向へと走り去っていった。
『ただいま〜』と玄関を開けると、驚いた顔をした母が私を見て言った。
『あなただったのね!(驚) 今、警察が見回りに家にも来たのよ!近くに坊主男が上半身裸で自転車に乗って走っていたと近所の通行人から通報があったんだって!不審者が近くにいるので気をつけてくださいねって言われたのよ!まさか誠だったなんて恥ずかしくて仕方がないわ。』
母は怒りというよりも、完全に呆れた表情をしていた。当時の私は深く傷ついた。まだ子供(小5)のはずの自分が不審者扱いされるだなんて、思ってもみなかった。
苦い思い出の川であるが、川だけでこんなにも遊んだ思い出が蘇ってくる。
しかし、勉強に関しては、父に『勉強せんかッー!』と、しょっちゅう三兄弟は怒られていた。
本や絵本がない白熊家で育った私は、国語が1番苦手であった。
冒頭でも申した通り、現在でも語彙力のなさや読解力のなさに苦労している。例えば、『重宝』も三年ほど前まで『じゅうほう』かと本気で思っていた。全くもって恥ずかしい限りだ。
大人になり学歴コンプレックスを抱いた私は、国家資格をいくつか取得した。それでもコンプレックスは収まらず、今からでも通信制の大学に通えないものかと機会を伺っている。
子供の頃に勉強をあまりしなかった分、勉強することが今最高に、楽しいのだ。こんな私でも今では管理者になり部下を守っている。立場上、バカではいられないのだ。
そうやってふと自分自身を振り返ると、白熊家は文武両道の武家ではなく、ただの一般家庭ではないか?と疑問が湧いてくる。
文と武、どちらも兼ね備えてこそ本物の武家なのである。これでは、庶民派白熊家である。
今日も冷たい空気に吹かれながら、現場で指揮を取る誠であった。
-第7話完-
第一章もそろそろ終盤戦です。
あけましておめでとうございます。
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本年も何卒、応援宜しくお願い致します🐻❄️
Shirokuma_TARO
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