第1章 白熊家は『武家』だった?-第2話 太志と誠-
長兄太志(フトシ)に対し父はとにかく厳しく、勉学に対しては通知表が来る度に、その夜は最悪な夕食タイムになるのだ。だが、太志はその分学費もかけてもらっていた。私立の高校、専門学校に行き手に職を持った。
私(誠)は、三男として生まれ、典型的な三男坊の人生を歩み伸び伸びと育っていくつもりだったが、この一家ではそうはいかなかった。
三男坊といえば『あら誠くんは三男か〜。それなら親御さんも1番に可愛がって甘やかされて育ったんでしょー?』と三男で生を受けていない人間に言われがちだが、私の場合は大方反対の人生だった。
まず、白熊一家の父は子供達に厳しく、口を聞くことすら恐ろしかったので、親に甘える方法を学ぶことができなかった。太志には1番厳しかったが、次男や三男の私にも他の一般家庭からするととても厳しく育てられたと思う。なぜなら通常会話もできず、言いたい事も言えないことが多かった。私は、今でも実家に一歩足を踏み入れると暗い記憶が蘇り、フラッシュバックしてしまう。酒の席でも、私に発言権はなく、いつも自虐ネタを披露するか、聞き役に徹している。そのおかげで実家から帰る時は『いつも静かだね』と妻に言われてしまう始末である。
幼少期のトラウマは、社会人として働く上で、私に多大なる影響を与えた。父のような厳しい上司に対し苦手意識が芽生え萎縮し、出せる力も発揮できない事が多い。理不尽な物言いをされてもここぞという時も言い返すことができない。
父や、太志に対しても今だに逆らうなどという事は一切ない。ここが私の超えなければならない壁なのであろう。
長男の太志は幼少期から厳しく父から育てられたせいか、私への風当たりが強い。父が仕事から帰ってくるまでは、家長のようであり、ふてぶてしくふるまっていた。いつキレるかわからないその目は私にとっては父よりも恐怖の対象と言える存在であった。
ある日、学校から帰った私は太志が帰宅している事を知らず、今からテレビゲームでもして遊ぼうかと楽しみな気持ちで帰宅した。
玄関の鍵が開いていたため不思議に思い家に入ると、どすんとソファーに座る太志がいるではないか。動揺した私は『あ、ただいま〜帰っていたんだね』と、恐ろしいが家族であるので挨拶をしてみる。すると太志は『あぁ、お前か』と鋭い目つきで私を睨む。(私は一体何をしたのだ?)
なんだか怖くなり、いつでも逃げられるようにリビングのドアの端になぜか棒立ちしたまま、太志が視聴しているテレビを茫然と眺めていた。すると太志が『どうした?なぜそこにつっ立っている?』と問いただしてきたので『別に〜、トイレに行きたいけど、テレビが気になるから観てただけだよ、ぁはは』と誤魔化しトイレに入り深いため息をつくのだった。
太志との恐怖エピソードといえば、ある夏休みに宿題を溜めてしまい、1人で愚痴をこぼしながら取り組んでいた事があった。宿題を計画的に終わらせなかったため、『なんでこんな意味のない事を大量にしないといけないのだ!』と、小学生の私が1人むしゃくしゃし、鉛筆を折った事があった。すると、後ろから人の気配がした。
誰かと思い振り向こうとしたその時だった。左足のハイキックが私の後頭部に襲いかかったのだ。
犯人は予想通り、太志だった。
確かに計画的に宿題を進めなかった私が悪いし、腹いせに物に八つ当たりした罰は受けなければならない。
しかし、こんなにも早くバチが当たるとは思いもよらない。(太志、お前は神様か。)
太志から一言『左足でよかったな!次は利き足の右だから覚悟しておけよ!』と蹴りの衝撃で机に顔を打ち鼻血と涙でグチャグチャの私に唾を吐きすてるように去っていった。
なんという野郎だ。
おかげさまで私は、大人になっても父や太志に対しトラウマやコンプレックスまみれなのである。(まれにみる忍耐強くなって良いこともある)
私も今では息子が2人いる一家の大黒柱ではあるのだか、実家に帰省する時は、常に三男=1番下の配下として演じている。そう、今時代は令和だが、白熊家ではいまだに戦国時代の武家が続いているのだ。
自虐ネタでも言わないと私の話はほとんど相手にされない。
お前はいつも家族に迷惑をかけている。
太志のようにやんちゃしていたわけでもなく、何か特別大きな悪さをした訳でもないのだが、酒を片手に白熊家ではいつもそう言われるのだ。仕方がない。三男はカースト最下位なのだから。
帰り道の車の中で妻から一言、『大丈夫?暗かったけど』。
そう、いつも帰省すると覇気がなくなるのだった。
白熊家の三男の少年時代はつづく。
-第2話完-