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奇跡のコース/奇跡講座 Acourse in miracles ワークブックレッスンでの気づき
新年明けましておめでとうございます。
日々私が学んでいる事、それは「奇跡のコース」という
本当の自分を思い出す為の心の訓練の本です。
1日に1レッスン。
昨年も取り組みましたが今年はレッスンでの気づきをnoteに残してみたいと思います。
元旦の今日からレッスン1がスタート。
新しい気持ちで丁寧に取り組んでいきたいと思います。
奇跡コース
ワークブック
レッスン1
私が(この部屋の中に/この窓から/この通りに/この場所に)見ているものには、何一つ意味はありません。
この手には何の意味もありません。
あの絵には何の意味もありません。
丁度実家に帰省中、部屋に籠ってこのレッスンをする。
自分の部屋にある物、自分の肉体にこのレッスンを当てはめる。
亡くなった父から貰った物にレッスンを当てはめると、心の中が悲しくなった。
これが意味が無いなんて言えない。
自分の周りの物が、今まであった物が、意味ないなんて、失うようで寂しい。
今まであった物が意味ないなんて、依って立つ物がなくるようで不安。
こんな気持ちを感じた。
意味があって欲しい、そう願うけれど、そうする事で、例えば、亡くなった父を「父親」というレッテルを貼り付けて見続ける事になる。
「父親」の役を外してあげた時、どういう彼が見えていたのだろうか。
また、区別なくこのレッスンを周りの物に当てはまるという事も難しかった。
あれは大事だけど、これはそんなに重要では無い。
そんな区別が頭にある。
〇〇という役割、これは重要かそうで無いか、
それらの意味を外した時、ただただ目の前の物が、役に立ちたくて存在している、そんな感じがしてきました。
以上レッスン1の気づきでした。
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