【最終報告書】 文化・芸術は人の生活に寄り添った仕事になり得るのか?
こんにちは!
新しい働き方lab第4期研究員のあっちゃんです!
すっかり冬全開。
とある町で、ポツンと輝く街灯を眺めながら、『真夜中のドア』を耳に入れながらこの記事を書いております。
シティポップな文章(?)になったら恐縮です。
さて、今回の記事は、
新しい働き方LABの研究員として実験をしている最終報告書となります。
新しい働き方LABについてご興味のある方はこちらのホームページをご覧ください。
実験の成果とは申しますが、具体的な成果というよりは、
「新しい働き方」を考える上で、精神的に得られたことが大きい、という話しになります。
ご了承くださいませ。
私にとっては、最も大事なことなので。
(これを読んでくださっているあなたにとっても、かもしれません)
◆僕がなぜ掛川で活動をしていたのか?
僕は、新しい働き方LABのポートカケガワで行われる指定企画・アート部で活動していました。
アート部が何をするのかというと、静岡県掛川市で行われる『かけがわ茶エンナーレ』という芸術祭の美術部門のサポートをするのです。
ただの芸術祭なら、サポートをしようなどと思ったりはしませんでした。
この茶エンナーレの美術部門で、今年行おうとする活動に興味が湧いて、参加したのであります。
それは、シンボルアートとして、アーティストと掛川市民の協働で大きな絵を描こうというものでした。
掛川の地で採れた植物や貝殻など、自然の恵みから絵の具を作り、巨大な絵をみんなで描こうというプロジェクトです。
まずは植物を煮出したり、貝殻を細かく砕いたりして、絵の具を作ります。
(それもとんでもない量を)
その後は、アーティストの指示のもと、市民のみなさんが絵を描いていくのです。
「関わった全ての人と自然が、創造主である」と言っても良い絵なのかもしれない。
僕はこれまで、映画制作が全く未経験の人を集めて、映画を作ろうとしたことがありました。
映画制作学校に通っていた僕にとっては、
「芸術を創る人間は、選ばれた人間のなせる技なのだ」
という創作者の(業界の、なのか?)雰囲気が苦手で仕方ありませんでした。
学校は、そんな選民意識を持つ「自分は天才だ」と思いたがる人間をカモに、アコギな金儲けをすることしか考えていない。
人を救う芸術とは、創作とは、そんなものでいいのだろうか。
誰もが芸術の鑑賞者でありつつ、創作者でもいられる環境。
その環境こそが、人に希望を持たせ、「芸術を観たい」「芸術を創りたい」と思わせ、芸術の経済を好循環に導くのではないだろうか。
そのことがきっと「自分は生きていてもいいんだ」という、気力を生むのだ。
誰もが表現者でいられる場、肯定感を持てる場、そしてお金や承認という形で他者から認められる場。
そんな場を作りたい一心で、映画学校以外で、未経験の人を集めて映画を作る活動を行っていました。
やるからには、徹底的に、真剣に、各人が覚悟と責任を持って。
参加者全員が、役割の中で参加する意義を感じてもらえるように。
でも、結果としてその活動は失敗に終わりました。
「映画制作を通して、誰もが生きる気力を得る場」にはならず、団体としても映画作品としても中途半端なまま、空中分解してしまいました。
「人と人が真剣に向き合ったりする中で得られるものは多いはずだ」
「きっと新しい仕事をしたり、お金を稼いだりといった力を養う上でも、誰かの力になれるぞ」
どこかで、映画作りや創作活動を、そんなコミュニケーションツールのひとつと捉えるようになっていたのかもしれません。
「創作」というもので、私が食っていこうと考えすぎていたために。
社会人の役に立つ(実利的な形で)芸術・創作活動を追い求めるようになっていたのかもしれません。
芸術をみんなで創り上げることで得られるものって、そんなものなのか。
芸術を仕事にするって、芸術を通した働き方って、そんなものなのか。
生きる力になる創作活動って、どんなものなのだろうか。
芸術や創作で生きていくって、不可能なんじゃないか。
芸術や「人とのつながり」を大切に生きていくことを真剣に考えれば考えるほど、そんな疑問が湧き出てきて、止められなくなりました。
そんな時に、新しい働き方labやポートカケガワでの活動を知ったのでした。
◆この活動で考えてみたかったこと
前の部分でも書いたように、僕は誰もが創作の輪に入ることができる場を作りたいと常々思っていたのです。
そして、その個々人の創作活動が「お金」という形で、元気玉のように周囲から信頼を集めていくことができればいいなと思っていたのです。
新しいものを生み出すこと。
人が価値を感じてくれる創作活動を行うこと。
そして、誰もがそんな活動をできる環境を作ること。
それこそが私にとっての新しい働き方であり、
誰かの新しい働き方にもなれるのではないか。
そんなことが正しいのかどうか考えたいと思い、この活動に参加したのでした。
新しい働き方とは、突き詰めれば、「新しい生き方」。
今あるもの(今の稼ぎ方)に芸術・創作をどうしたらアダプトしていけるかばかりを考えていた僕のままずっと生きていても、きっと答えは見つからない。
「我こそは芸術家である!そこら辺の人間とは感性が違うんでい!」
という驕った態度を捨て去りながらも、
「芸術・創作活動を、ビジネス的自己啓発に利用する」
という目先の儲けばかりに目を向けない。
そんな納得のいく形でも、仕事として芸術に携わることができるはずだと思っていました。
納得のいく仕事=「新しい働き方」を実践していく方法がきっとあるはずだと思っていました。
このアート部の活動で、そんな迷いの一隅を照らすヒントが見つかればいいなと思って参加しておりました。
◆掛川でどんな活動をしていたのか
私がこの活動に参加していた期間は、6月〜11月の半年もない期間。
その間に掛川に行ったのは、4〜5回ほどです。
その間、私は映像を撮っていました。
茶エンナーレ期間中、とある洋品店の2階で様々な展示が行われておりました。
その部屋の名前は、【ダラの部屋】。
私が作っていたのは、そこで上映してもらう映像でした。
たくさんの人たちが関わって、
絵の具を作ったり、絵が描かれていったり、
会場である蔵の中で、絵を観ている人たちがいたり。
その様子を映像に収めて、【ダラの部屋】で上映することが、僕の当初の計画でした。
率直に言って、僕は当初、映像制作に飽き飽きしていました。
普段、週5日で映像制作会社に勤務。
最早、映像作りというものの何が面白いのかわからなくなっていました。
そこに物語はない。創作はない。
ただ段取りが存在するだけであります。
ここだけの話(見られていると思いますが)、
そんなことを思いながら、掛川での撮影に赴いていました。
でも、何回も行くうちにあることに気がつきました。
それは、撮影させてもらった人たちが、みんな笑顔だったということ。
絵の具を作っている時も、絵を観ている時も、みんなが笑顔でした。
そして、気が付くと撮影していた僕も、
前歯が乾くほどの長い間、笑顔を浮かべていたようでした。
いつの間にか、「この人を、この場を映像に残したい」
そう思えている自分がいました。
◆掛川での活動で得たもの
結論から申し上げれば、僕が掛川で得たものは
今後の人生を考える上で、とても大きなものでした。
①「楽しむという」感情
掛川で映像を作ることで、気がついたことがありました。
それは「楽しむ」ということの大切さです。
掛川で、絵の具作りや、絵の制作に携わっていた人たちは、
みんな楽しそうでした。
僕は社会人として働く中で、いつの間にか、楽しむということを忘れていました。
映像制作という仕事を「完遂すること」ばかり考えて、
映画制作に携わった人たちの「成長」ということばかりに目を向けて、
「楽しむ」という感情は、くだらないものだと切り捨てていました。
その「楽しむ」ということにこそ、「新しい働き方」のヒントがあったのに。
僕が以前、いろいろな人と映画制作を行っていた時、
上手くいかなかったのは
「まず自分が楽しむ」「みんながゆるやかに楽しめるようにする」
このことが抜けていたからだと、今となっては思います。
真剣にやるとか、気合いを入れて、責任感を持って、とか。
そんなことよりもまず「楽しい」と思えることを緩やかにできる場を作ること。
そのことで、自然とコミュニティが出来上がっていったり、長く続いていくものなのではないか。
稼いだり、ちゃんとした仕事とするというのは、
もしかしたら、その後に自然と出来上がっていくことなのかもしれない。
「仕事」というものに対する先入観が抜けて、
「楽しむ」ことの大切さに気づくことができた。
このことが、僕が掛川で得た一番大きな財産でした。
②「気楽にやろう」という心構え
掛川に来る前、僕はいつも心のどこかで緊張していました。
人と話すとき、何か仕事をするとき、
「こんなふうに思われたら」
「失敗したら」
とか。
そんなことをずっと考えていましたが、
掛川に来てから、その考えも徐々に変わってきました。
何度も掛川に来ているうちに、
「掛川は、面白いと思うことを気楽にやる天才たちがなんて多いのだろう」
と、そんなことを思ったからです。
「こんな面白いことを考えていて」
「自分が楽しくて、今こんな会をやっているんだよね」
そんな話をしている彼らの顔は、誰も彼も少年のようで、
羨ましくなるぐらいでした。
でも、もう僕は他人を羨むことはないと思います。
掛川のみなさんから、たくさんのことを学んだからです。
まずは、やってみる。ゆるく、楽しく。
そして、もし「何か違うな」と思ったら軌道修正していく。
何かを始める前や、誰かに自分の考えを話す前に、
躊躇しないでトライ&エラーを繰り返していく。
この気楽さこそ、フットワーク軽く、
さまざまな仕事を続けていくコツのような気がして、
今も勝手に感動しています笑
③「専門性」に縛られない覚悟
僕は映像制作を一応仕事にしているので、「映像を作る人」というカテゴリだと思います。
そのためか、これまで映像以外のことに関して、
自分の意見を求められたり話したりと言った機会が、あまりなかったのかもしれません。
でも掛川では、「映像を作る人」にではなく「僕」に声をかけてくれる人が
たくさんいました。
「あっちゃん、これに参加したら楽しいと思って」
そんなふうに声をかけてくれた人が何人いたことか。
これからは、僕はそんな人の気持ちに応えられるような仕事をしていきたいと思ったのです。
「私、伊藤篤志というジャンルで仕事をしています。僕にできることは、なんでもします」という…。
もちろん、そのためには勉強が必要です。
ライティングやら、デザインや、マーケティングや、いろいろ勉強を続けていく必要があると思います。
でも、僕自身にお声がけいただいた仕事に関しては、
どんな分野でも勉強して、期待に応えていくというのは、これからやっていきたいなと思ったのです。
ーーーーーーーーーーーーーー
さて、とんでもなく長い文章となってしまいました。
具体的な実績というよりは、気持ちの面での話が多くなってしまいました。
しかし僕にとっては、
これからの「新しい働き方」を具体的に計画していく上での第一歩になる、とても実りの多い半年間でした。
これを読んでくださった方にとっても、これからの働き方を考えるヒントになる部分があったらいいなと思います。
少しだけ自分のことを好きになれた気がする。
少しだけ自分のことを認められた気がする。
少しづつ自分を変えていける自信が出てきた気がする。
そんな半年間でした。
お世話になったみなさん、ありがとうございました。
【追記・今後について】
これからランサーズでは、今までに見たことがないような仕事が、
パッケージとしてバンバン出品されるだろうと思います。
時代はどんどん変わってきています。
僕も、「ドキュメンタリー動画の制作」を手始めに、
「創作活動を中心にしたコミュニティ形成」といった分野についても、
ランサーズで出品していきたいと考えています。