
消ゆる踏切「ショートホラー」
小さき町に奇妙なる噂あり。
曰く、「消ゆる踏切」と呼ばるる場所があるという。その踏切は町外れの古き線路沿いにあり、昼間はただの踏切とて何ら変わらぬ様子を見せる。
しかし、夜半になれば忽然として姿を消し、闇の彼方へと吸い込まれる。そして、夜中にその地を訪れる者は、二度と戻ること叶わぬというのだ。
町の少年ケイタ、その噂を戯言と信じず、軽んじていた。ある宵、友らと酒宴の帰り道、その踏切の話がふと頭をよぎり、興味本位に寄り道せんと決めた。
時刻は夜も更けし十一時過ぎ。薄明かりの街灯が点るばかりの寂しき道を進み、ケイタは町外れの線路沿いへと辿り着いた。噂に聞く踏切はたやすく見つかった。錆びつきし遮断機、音なき古びた警報機、すべてが時代に取り残されし有様であった。
「何だ、ただの古ぼけた踏切ではないか。」
ケイタは嘲るように笑い、踏切を渡らんと足を踏み出した。だが、その刹那、周囲は凍りつくごとき静寂に包まれた。風の囁きも虫の声も途絶え、あたかも世界そのものが止まったかの如し。
慌てて振り返るに、先ほど歩み来た道は消え去り、ただ終わりなき線路が闇の中へと伸びていた。遮断機も警報機もその影形すらなく、ケイタは全く見知らぬ地に迷い込んだことを悟った。
「これは一体…?」
その時、線路の向こうより、足音がゆっくりと近づき来た。暗闇の中から現れたのは、古ぼけた衣をまとい、手に古きランタンを携えた一人の老婆であった。
「こんな夜更けに踏切を渡るとは、珍しいことよ。」老婆はかすれし声で呟いた。
「ここはどこだ?俺はただ家に帰ろうとして…」ケイタが問いかけるや、老婆は首を横に振り、にやりと笑った。
「ここは戻ること叶わぬ場所よ。踏切を越えし者は、進むか戻るか、選ばねばならぬ。」
「選ぶ?何をだ?」
老婆はランタンをケイタに差し出し、低く囁いた。「進むなら、汝の望むものが手に入る。しかし、それには代償が伴うのだ。戻る道はすでに閉ざされたゆえ、選択の余地は乏しいがな。」
ケイタは振り返り、老婆の言葉を確かめようとした。だが、彼女の言葉通り、背後にはただ闇が広がるばかりで、戻るべき道は何一つ見えぬ。
「進めばどうなるのだ?」
老婆はにたりと笑み、「進めば、お前の心が何を真に求めるか、知ることになる。」
不安と興味とが胸を交錯しつつ、ケイタは進むことを選んだ。老婆の示すまま、線路沿いを歩む。ほどなくして、彼の前方にぼんやりと光が現れた。光へと近づくほどに、彼の記憶は徐々に鮮明となり、幼き頃の情景が脳裏に蘇る。
そこには、幼少の頃に別れし亡き母の姿があった。彼女は微笑みを浮かべ、「よく帰ってきてくれたね」と優しき声で迎え入れた。
ケイタは目に涙を浮かべ、彼女に駆け寄らんとする。だが、その途中で気付いた。自らの足元を見やれば、自分の影がすでに消え失せていたことを。
「おかえり」と母が再び囁いた瞬間、ケイタの意識は闇へと沈みゆく。
翌朝、町外れの踏切は元通りその場に佇み、まるで何事もなかったかのようであった。しかし、ケイタの姿はどこにも見当たらず、ただ線路の傍らに片方の靴が遺されているのみ。
それ以来、その踏切はますます「消ゆる踏切」として町の人々の噂の種となり、夜半に近づく者は一人としていなくなったという。踏切は今も静かに佇みながら、次なる「選ぶ者」を待ち続けているのかもしれぬ。