一通の『手紙』がくれる、温かな心のつながり
今朝、『手紙』について思いを巡らす時間があった。
身近な人とは、スマホ片手に、何でもメールをやり取りして終わっている。
手紙を書くことも、もらうこともめっきり減ってしまった昨今。
ポストに入っているのは、DMか役所からの書類ぐらいになっていることに、改めて寂しさも覚える。
まあ、年の初めに年賀状はまだ届くが、手書きのものは殆ど無い。たまに友人からの手書きの私宛の手紙が届くと、とても嬉しい。
かつての日、この手紙(葉書)でとても心温まる経験をしたことがある。
娘が就職して東京で寮生活をしている時、当初毎日のように娘から葉書が届いた。
寮長さんが、「お母さんには、毎日ハガキを出してみるといいよ。それも心配させるようなことは書かないように、明るいことを書くといいよ」とアドバイスしてもらって、素直に書いてくれていた。
忙しい日々の中、いつも寮から勤務先への電車の中で書いていたようだ。
慣れない東京で、ホームシックになっていた時もあったと思うが、一言もそんな事は書いていなかった。
「出勤前、お母さんに葉書を書く事で自分に気合を入れていた」と、随分経ってから教えてくれた。
葉書が届くと、いつも「よく頑張っているんだな」と愛おしさが募って、葉書を抱きしめていたものだ。
綺麗な花のシールなどをたくさん貼って、「お母さんへ」の大きな文字で始まる葉書。
毎日のように届けてくださる郵便局の配達員さん。もちろん内容を読む事はなくても、離れて暮らす娘から母への葉書という事は、よくわかって配達してくださっていたのだろう。
今時、こんなアナログな家族のやり取りはめずらしいことだったと思う。
出先から帰ってきた時に、ちょうど配達に来てくださったことがあった。
お盆前だったと思う。
娘からの葉書を手渡してくださりながら、「娘さんお盆には帰ってこられますか?」と聞いてくださった。
すぐに、こういうことを口にするのは、コンプライアンスに触れると思われたのか、「あっ!内容は見てませんから💦」と焦って言われた😆
(配達員さんの名誉のために、確かに法に触れるような事はなかったと言い添えておきたいと思います!)
だが、私はその一言が嬉しくて、「いえいえ、大丈夫です。いつもありがとうございます。お正月までは帰れないんです」と答えた。
その方は、「そうなんですね。今はこういう葉書を配達することも余り無いので、こちらも配達し甲斐があります。」と笑顔で言われて、次のお宅にとバイクを走らせて行かれた。
娘のおかげで、こんな心温まるやり取りの機会をもらった。
娘の心を毎日大切に届けてくださっていた配達員さんに、改めて感謝の心が湧いた。
娘の親を思う心が産んだ、葉書以上の私へのプレゼントになった。
当時の大量の葉書の山は、もちろん今も私の宝物として、大事にとってある。
今日、若葉の絵が描かれた便箋を買ってきた。
離れて暮らす、実家の父や嫁いだ娘にも、久しぶりに手紙を書こう。