
ボストン駐妻?日記|#4 学生
大人になってからもう一度する学生生活というのはかなりいいものかもしれない。
ー
ここにきて1か月とちょっと、学校が始まって2週間が経った。
ランチを一緒に食べてくだらない話をするような友達もできて、最大限楽しく暮らしていると思う。授業を受けて、宿題をして、たまにダンスやワークアウトをして、なんだか学生に戻ったみたいだ。
10代で学生をしていた時は、例えばテストでいい点が取れなかったらダメな人間になってしまうんじゃないかとか、友達ができなかったら誰とも話すことなく一生終わってしまうんじゃないかとか、経験不足からくる不安で押しつぶされそうな時が確かにあった。
社会人をそれなりに経験して、学校の成績なんかが将来に何の影響もしないことも、友達がいなくたって一人で遊べばいいこともわかった今、学校ってなんて自由な環境なんだろうとうっとりしてしまう。
昔は授業なんて聞くつもりもなくずっと寝ていたが、呆れるほどくだらない会議ですら寝ない鍛錬を受けた今となっては、小さなポイントで驚いたり感心したりしながら楽しく聞ける。
大人になってからもう一度する学生生活というのはかなりいいものかもしれない。
学校、とくに授業に対してあまりいい思い出がなかったせいで、せっかくボストンに来るというのに自分の進学のことなどまったく考えていなかったが、最近はちょっとビジネススクールに通いたくなってきた。
ちょっと調べてみたところ、今から準備をして挑めるのは2026年の夏から始まる学校のようで、ここからの夫の予定とまったく合わないのがネックだが…。どうせ勉強しているし時間もたんまりあるのだから、試験の対策でもしてみようかな、とか思ったり思わなかったり。
夫に「ここ数年で一番やわらかい表情をしている」と言われた。自分としては会社でもそれなりに楽しくやっていたつもりだったが、ただの小娘が大企業の役員に対してアカウンタブルなプランを立てるなんて、プレッシャーがあって当然だ。慣れないアメリカ暮らしにストレスを感じることがあるとは言え、誰からもプレッシャーを受けない穏やかな環境に多分ほだされている。
濁流のような東京での生活から離れて、家と学校の往復80分の雪道を歩く間、自分にとってどんな環境に身を置いて、誰に何を求められることが幸せなんだろうとよく考える。
上司にこのところよく言われていた、もうトランザクション数を増やすことに時間を使うな、という言葉もよく思い出す。
意識的に歩みを止めて、対他人ではなく自分を見ながら、引き返すならここだぞと周りの道を探す。そんな時間がつらくも楽しい。