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ボストン駐妻?日記|#1 破壊
涙が出そう。バスの車窓を眺めながら、ヘッドホンをつけてSpotifyを再生すると、きのこ帝国の金木製の夜が流れてきて、あまりにもセンチメンタルジャパニーズな自分の姿にすっと涙が引いた。
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夫の留学についていこうと思ったのは去年の春。大した相談もなく、スーパーでキャベツを選びながら「来年留学する」と言われ、動揺を隠しながら「え、いいね。ついていくわ」と軽々しく答えてしまったのが事の始まり。それなりに誇りを持って担当していた仕事の切れ目を待って、夏に渡米した夫から遅れること半年、今新年に私もボストンにやってきた。
私の英語力は、観光客の中では上等だが、ビジネスには全く歯が立たず、ネイティブの雑談ではみんなが笑っているところで笑うしかないくらい。何をするにもまず英語を身につけなければ話にならんということで、1月末から語学学校への入学が決まっている。
少々早めに渡航してしまったのと、日本で手続きをおろそかにしていたののダブルパンチで、語学学校から入学前に必要な手続きの案内が来たのが1月10日。NY旅行から帰ってきてその案内に真剣に取り組み始めたのが1月16日。その中にあったアメリカの銀行口座からの振り込みと、英語での予防接種記録の提出。これがもう本当に大変で、、、目下奮闘しているところである。
生活費は夫の口座から出すことが決まっていたし、20か国以上の旅行でもクレカで払えないケースなどほとんどなかったから、まあ今回も何とかなるだろうとなめ切っていた。
それがどっこい、100万単位の語学学校の支払いがクレカでできないときた。となれば話は変わってくる。緊急事態発生だ。
とにかく日本の老齢の親に頼み込んで国際送金を試みたが、今海外への送金はとても厳しくなっているらしく、送金まで早くても2週間かかるという。語学学校の前期分の支払いは今週中に行わなければならない。
「すみません、5000ドル貸してください…」
夫は快く送金してくれたが、私のプライドはその時点で半分へし折れていた。自分で稼いだ自分の口座にあるお金が自分の意志で使えないこと、いろんな事態を見越して多めにドルを持ってきていた夫に対してクレカ一枚でのほほんとアメリカに来てしまったこと。情けなくて武士ならギリギリ腹を切るほど悔しかった。
次に予防接種記録の提出だが、これがまた本当に厄介だ。医師免許を持つ人のサインが必要なため、日本語で記載されている母子手帳の内容を英語で転記したうえでサインをしてくれる、要は日本語と英語両方がわかる医師をボストンで探さなければならない。
Googleでヒットした日本人医師のいる病院に電話をかけた。
「Are you a patient?」と聞かれたので、患者=病人かってこと?と考え、「No. But I want him to sign my immunization form」と答えた。「What kind of immunization form?」と聞かれたので、「For entering school」と答えた。「So, what kind of immunization form?」ともう一回聞かれてしまった。困った。「I'm not good at English, so I'll call back with my husband」と言って電話を切った。
「すみません、病院の予約を取ってください…」
夫は快く予約を取ってくれたが、私のプライドはこの時点でもう半分折れた。こんな簡単な交渉ができない!日本ではどちらかといえば困難な交渉をそこをなんとか!!と突破するような仕事をしていたのに、病院の予約一つ取れない。今まで当たり前にできていたことができなくなる、介護を嫌がる老人はこんな気持ちに違いない。
夫に取ってもらった予約の日が来た。13:30の予約なので早めに13:20にはついておこう。Google Mapでは30分の道のりだが、何かあった時のために12:40頃家を出た。予定通りの時間にバス停付近にはついたが、しかしなんとまあバス停が見当たらない。探せど探せど見つからず、バスの時間は過ぎてしまった。まずい。予定していたバス停を探すのはあきらめて一駅分歩いてなんとかバスに乗り込み、病院についたのがちょうど13:20。
よかった間に合ったと受付に行くと「We don't have your appointment」と言われた。そんなはずはない!何せTOEIC満点の夫が予約を取り、メールでConfirmも来ているのだ。
やんややんやとやっていると、「アポイントはあったが彼はこっちの病院にはいない、ここにいる(もうどんな英語だったかは忘れた)」とメモ用紙を出された。マップで調べると、バスでは全然間に合わないが車で8分の距離。ギリギリ駆け込めるかもしれない。タクシーを呼ぼう。慌ててGrabをインストールし、登録したのになぜかシンガポールのタクシーしか呼べない。シンガポールに旅行した時のアカウントが残ってしまっている!?Holly shitすぎる!
→ダウンロードすべきはLyftだった。間違えた…。
受付の方にお願いをしてタクシーを呼んだが、到着に10-15分かかるという。だが行かなければならない。なぜなら、どこにどうやって連絡をすれば遅れる旨を伝えられるのかわからないから。
正しい病院の姿が車窓から見えたとき、携帯に電話が来た。「予約の時間を15分過ぎたのでリスケです」「もうすぐ着くので行きます、その場で話しましょう」と返して電話を切った。外国人がいかにかわいそうな間違いをして遅れたのかを力説すればどうにかなるかもしれない。
ブロークンイングリッシュで「同じ名前の病院が二つあるなんて知らなかった」「学校は来週からスタートでどうしても今日彼にサインしてほしい」というようなことを何とか伝えようと頑張った。
受付の人がため息をついてこう言った。「OK, do you need a translater?」
何も伝わっていなかった。私は観念して、「いえす」と言った。
その後、電話口に通訳オペレーターを挟みながらリスケの予約を取った。通訳を介して交渉をする元気も、通訳を飛ばして「Next Friday please」と言う元気ももう残っていなかった。大きなため息をついて振り返ると、とても身なりの良い日本人の老夫婦がキラキラした目で「最近は便利なものがあるんですね!初めて見ました!」と伝えてきた。私はなんとか笑いながら「私の英語があまりにもひどいので登場しました」と返した。
折れるプライドはもう残っていなかったので、バスの座席に座ると鼻の奥がツンとして、視界が滲んだ。日本に居るときにはひとりで大企業の役員に会いに行っていたのに、ここでは病院でドクターに会うことすらできない。
ヘッドホンをつけてSpotifyを再生すると、きのこ帝国の金木製の夜が流れてきて、あまりにもセンチメンタルジャパニーズな自分の姿にすっと涙が引いた。もういっそ上げていくしかないとちゃんみなを聞きながらバスに揺られていくと、目的地付近で地下に潜っていく。
地下!?そう、最初にどうしても見つからなかったバス停は、地下鉄の駅の中にあったのだ。見つかるはずがないじゃないか!地上にないんだから!!
家路を歩きながら、これまでの情けない失敗について考えた。
語学学校のお金を借りなければいけなかったのは生来のウッカリが原因。これは頼もしい友人に支えられてなんとか回避したりしなかったりしているだけで、日本でも日常茶飯事な出来事だった。
予約が取れなかったのは英語力不足が原因。これはアメリカだから起きた悲しい出来事だった。
病院で医師に会えなかったのは土地に不慣れなことが原因。これは私がずっと東京で暮らしているから起きていないだけで、日本でも知らない場所に引っ越せば起きうる出来事だった。
狭い世界でわずかばかりに育っていた全能感、プライド、そういったものをこっぱみじんに破壊してきた一週間。私ができることなんてほとんどなく、ただ単純に、日本語が話せて東京に慣れていて友達に助けられる環境があったからたまたまできていたことがなくなっただけなんだ。
努力で解決できるのは英語力と友人作り。今日診療室の前まで行けたから次は大丈夫。とりあえず来週から語学学校を頑張ろう。お金は払ったし、予防接種記録のことでは何か言われるかもしれないが、まあ何とかなる、はず。。
家に帰って2つで6ドルもするマカロンを食べた。今日は頑張ったよ。
日本では日常的にこなしていた役員との会合どころか、予約を取った医師にも会えなかったけど、もう今日はあったかくして寝よう。ボストンは寒いから。